このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

蕉 門

己白
indexにもどる

岐阜の 妙照寺 住職日賢和尚。秋芳軒宜白。

三光山妙照寺


貞亨5年(1688年)6月8日、芭蕉は妙照寺の秋芳軒宜白を訪れている。

祖翁の日記 自筆にて三行ばかり 六月六日大津を立、ゑち川に泊、七日赤坂に一宿、八日岐阜に到る。秋芳軒宜白を主とすと云々。

『芭蕉翁略伝』 (湖中著)

美濃来訪を4月とする説もある。

超えて貞亨五年(元禄元年)春芭蕉大和行脚の後、京都に留寓し、夏四月美濃の沙門己百(岐阜妙照寺住)の案内にて美濃に來遊す。

『大垣市史』

妙照寺に芭蕉の句碑がある。


やとりせむあかさの杖になる日まて

ところどころ見めぐりて、洛に暫く旅ねせしほど、みのゝ国よりたびたび消息有て、桑門己百のぬしみちしるべせむとて、とぶらひ来侍りて

しるべして見せばやみのゝ田植哥
   己百

 笠あらためむ不破のさみだれ
   ばせを(う)

   其草庵に日比ありて


やどりせむあかざの杖になる日まで


『笈日記』 (岐阜部)

 貞亨5年(1688年)6月17日、芭蕉は 荷兮越人落梧 らと黒野の神山寸木を訪れて連句。

どこまでも武蔵野の月影涼し
   寸木

  水相にたり三またの夏
   芭蕉

海老喰ひにむれゐる鳥の名を問て
   荷兮

 ゑぼし着ぬ日のさらに楽也
   越人

懐を明てうけたる山ざくら
   落梧

 蝶狂ひ落欄干のまへ
   秋芳

 貞亨5年(1688年)6月19日、芭蕉は荷兮・越人・落梧らと岐阜で連句興行。

   貞享三(五)戌辰林鐘十九日
   於岐阜興行

蓮池の中に藻の花まじりけり
   芦文

 水おもしろく見ゆるかるの子
   荷兮

さゞ波やけふは火とぼす暮待て
   芭蕉

 肝のつぶるゝ月の大きさ
   越人

苅萱に道つけ人の通るほど
   惟然

 鹿うつ小屋の昼はさびしき
   炊玉

真鉄ふくけぶりは空に細々と
   落梧

 かし立岨の風のよめふり
   蕉笠

古寺の瓦葺たる軒あれて
   己百

 夜る夜るちぎる盗人のつま
   梅餌

芭蕉は妙照寺に約1ヵ月滞在したという。

   濃の已百おもひかけぬ盲目となれ
   はそれをさへ哀に聞侍るに

行あたる壁にもさそなけふの月
   已百


元禄11年(1698年)11月1日、55歳で没。

己百の句

涅槃佛今のなけきや俗の筆


行あたる壁にもさそな月のかけ


   我庵ハ因幡やまに隣て松風
   常に耳にたのし

世の中は喰ふて延して火燵猫


一夜さハ盗人となり花に僧


俳 人 に戻る



このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください