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俳 人
五味可都里
『名録帖』
・
『俳人住所録』
可都里の句
本名は五味宗蔵。
加藤暁台
、
高桑闌更
に学ぶ。別号、葛履。葛里。蕪庵。雪亭。
甲州藤田
可都里
五味宗蔵
『諸郡銘録』
寛保3年(1743年)、中巨摩郡藤田に生まれる。
明和7年(1770年)11月、高桑闌更に入門。
天明2年(1782年)4月10日から22日まで五味可都里が信州諏訪・佐久及び上州妙義・榛名を旅する。
『諏訪道之記』
天明3年(1783年)秋、加藤暁台は信濃から甲斐に赴き、可都里を訪ねている。
信濃の道くだり、甲斐の国に歩みを引ちがへて行ほど、藤田の可都里は年頃文してしれる好人なれば尋ぬ。其夜ごろにもあれば、月を見せばやなどわりなくとゞめられ、望の夜もこゝに遊ぶ。士峯の北面まぢかくひたひにかゝるやうなり。
高根はれて裏行月のひかり哉
『暁台句集』
天明8年(1788年)秋、
闌更
を藤田村に迎えて歌仙を巻く。
『農おとこ』
(可都里編)刊。闌更序。
一無庵丈左
は可都里を訪れ、両吟。
尺鳩花見しこゝろ啼ふるす
可都里
(
※「尺」=「尺」+「鳥」)
菊の虫狩明暮の夏
丈左
『
俳諧
八僊歌』
『ななしどり』
(可都里編)。寛政8〜10年に詠まれた句を収録。
寛政10年(1798年)、
今泉恒丸
は可都里を訪ねている。
文化3年(1806年)6月27日、菜窓菜英は五味可都里を訪ねた。
『山かつら』
文化4年(1807年)5月22日、
『続雪まろげ』
(素檗)。五味可都里序。
文化14年(1817年)9月14日、75歳で没。
南アルプス市の
泉能寺
に
史跡
五味可都里之墓所がある。
門弟に
辻嵐外
がいる。
五味蟹守に蕪庵二世を伝える。
文化15年(1818年)4月22日、文政に改元。
文政元年6月、
『花之跡』
(可都里追善句集)源為祥序。文政元年8月、蟹守跋。
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