このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

俳 人

松井三津人
indexにもどる

大坂船町に住む。千李の子。八千房駝岳の門人。別号月夜庵。

 文化4年(1807年)6月、三津人は 耒耜 と象潟を訪れる。『みつうまや』(三津人編)。

文化11年(1814年)、月夜庵社は 芭蕉の句碑 を建立。



杜若語るも旅のひとつ哉

碑陰に三津人の句が刻まれている。

親かとも思ふ夜のあり山の月

文化14年(1817年)、 芭蕉の句碑 を建立。森川竹窓筆。



あかあかと日はつれなくも秋の風

碑陰に三津人の句が刻まれている。

よる夜中見ても櫻は起て居る

文政4年(1821年)、 唐招提寺 に芭蕉の句碑を建立。



若葉して御目の雫拭はばや

碑陰に三津人の句が刻まれているようである。

ひいやりと牡丹の門を出にけり

文政5年(1822年)8月15日、没。

 文政7年(1824)2月、大和郡山の俳人山路庵楳日は 「境内ばせを時雨塚」 の碑を建立。



碑陰に三津人 の句が刻まれている。

人今宵月の宿かるこのもかのも

三津人の句

三たびまで白菊画て捨にけり


鶏はかり起て居なり霜の家


奥山や戸の明たてに露がふる


遊ぶ夜をあまして侘る衾哉


鷄ばかり起てゐるなり霜の家


鶯の気にも入けり東山


霞ふむ鴎の口の乾き哉


八十八夜菊菜の花が咲にけり


雪解や夢こしらへる鉢たゝき


鶏の道も付たる清水かな


雁も来てきげんとるなり山の月


あけぼのや露も浮べきはつ鰹


雁も来てきげんとる也山の月


近江中夜の世の中月ひとつ


玄鳥の来て初けり酢の小売


不断見て五月五日の柳かな


虫のなく中に大きな酒屋哉


俳 人 に戻る



このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください