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有井浮風・諸九

『その行脚』(諸九尼撰)

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有井浮風 の追善集。青陽菴杏雨序。藝府 風律 跋。

宝暦12年(1762年)5月17日、有井浮風は61歳で没。

宝暦13年(1763年)5月、浮風一周忌。『その行脚』(諸九尼撰)。

   湖白菴行状記

湖白菴浮風、姓は有井、筑前州直方の産なり。其先世々武を以國主黒田家に事へて福岡に居す。父有井十藏義實、射藝に熟し、書をよくす。國主光之公、義実をは御二男長清公に副置たまひ、御弓の師範たり。長清公御成長の後五萬石の御分地あり。直方に居城したまふ。義実つかへて書記と射藝を兼たり。平井氏の女を娶て男子を産、假名新之助浮風幼名也と名つく。五六歳の頃より手習はすして筆の走り凡ならす。戯嬉するに、弓矢を以的を射るに、十矢を放して八矢をあやまたす。郷黨に神童の名を得たり。長清公其奇才を愛したまひ、召て常に左右に侍りつかふ。十八歳にして書記を勤め、有井軍治義保と呼。射及劍術に達す。且俳諧を好み十四五歳の頃より句を吐に妙なり。享保戊戌のとし、先師筑紫行脚を待得て、二三の親友と共に桂宇、己々、文雄等同時に入門す。門下に遊ひ、弟子の禮をとりて湖白の二字を授け給へり。

かくて梅従も身まかり、先師十七回忌も近つきぬ。嘗て深く胸中に蟠れる一望は、 古翁先師の石碑 を清浄の地に相並へて祝ひ祭り、永く俳神を萬代に渇仰せまほしく思ひ入さの山の奥、雲の行衛の果しなき望みに取かさね、そこの病家、こゝのおとつれに心のとまるいとまなく、足を空に昨日も過、今日も暮つゝ、日月は我か寸心をまたて光陰いつしか押移り、已にこの津の假寐も一四五年の星霜に夢さめ、我齢傾きぬ。此事彼事年比の望も叶はてむなし事になしてん事のいかにそや。いさ此業をふり捨、一筋に思ふ事仕とけてんと、醫門を破り、行脚の杖に契りをこめ、都を笈の初として、文下、江棧、又尾なとひたしき友とちかくとつけかたらひ、それより山陽の旅寐にやつれ、諸生をなつけ、初心を導き、はかりことを旅寐の枕の上にかそへ、楽みを名山泉石にかこち、或時は西海の浪にたゝよひ、心つくしの冬籠に年比の思郷を忘れ、願望をうなつきあひ、後縁を契りて、また難波に上り、先師十七の祭筵をつとめ、一集をあめり。 窓の春 集なり。是よりは只ひたすらに二翁石碑再立の事に千々の思ひを碎き、洛の九十九菴は高弟風之の舊庵といひ先師も世にます時は、春秋おりおりの宿坊として遊ひたまひぬれはと、文下夫婦の頼もしきいたはりに、

   のみ水に加茂川持て千鳥かな

と此菴の洒落を興すれは、誰かれもおかしかり、千鳥菴千鳥菴と呼れ、假寐を都にしめしけれは關東關西より問来れる風客昼夜をわかず。是もいたつらことにはあらねと、書く手は老の願望日斜なりと、また中西國四國の方へも頭陀を開き、荷擔の人々をいさなひぬ。寶暦辰の五月、五とせふりにか柴扉を叩き、かたりあひける時、ともに郭公の題を取て、

   腰かけて啼空もあれ時鳥
   文雄

浮風聞て曰、意格別の句をならふへしと、

   ほとゝきす月の桂の木にとまれ
   浮風

変に走るは其角か 句兄弟 に習ひてと戯れけるも、今は昔しのはるゝ事にはなりけらし。同く巳の年、終に浪花城の南、天王寺の西門の側に地を買とり、 両翁の碑 を築き、 朱白集 を撰みて梓にちりはめ、碑前にすゝめ、生涯の素懐を遂たる事、絶世の美談、萬代不朽のほまれならすや。此功なりし後、祇園丸山の初桜ほころひ出る頃より、例の積痛頻に蜂起し、胸膈に横たはり、枕を上る日も稀なるよし、諸九婦の文にいゝ越されけるか。卯の花の垣根曇初るよりやゝ快くて、程なく復中國の方へも杖を引、秋かけて諸九婦ともなひ赤馬か關といたり、故郷にしはらく足を延して、亡父五十年祭尸祝俎豆の志をもせまほしく年頃のつかれをも休ひ遊んなといゝ越しけるか、また閏月の初よりいたく悩みて、俄に今々となりけりと聞へけれは、是をやかきりならむと遙に老魂をそいためけらし。病床には江棧、文下、琴之をはしめ、京難波の門弟、親きかきりはあとや枕にさふらひ、萬にたすけ侍れと、甲斐なくも六十年にひとつ置添る露の玉のをも、五月十七日の暮過る時鳥の雲間もる聲に四手の山路を契りて息絶ぬと、其訃音水無月の末に聞へけるにそ、親族の人々親舊の知己つとひ集り、眼きりふたかりてくれまとふ。

辰のとしの水無月、ともに近行脚せはやと我扉をともなひ出けるか、下官か多病衰老、やゝともすれは一歩をたに引かねて竹輿に横たはる。ちとり庵はかいかいしく草履かいはき、名におふ此國の蜀道石坂越抔いへる羊腸をかけのほる。其さかんなる事肥たる猿を見るかことし。遙なる岩上に高あくらして我を見下し、

   坂のほる杖は翅やねり雲雀
浮風

かく吟して我に力を付けるに、予は十町斗のかけ路につかれて、

   見習ひの行脚は暑し九折
文雄

とこたへて大息つき流しけり。

寶暦癸未之夏
   陽明社 文雄書

辞世

蕉門三世 湖白菴浮風居士

つれもありいまはの空にほとゝきす
千鳥菴後婦
暮むつはその暁やほとゝきす
   諸九

   追 悼

湖白菴浮風居士、此六とせ我九十九菴に仮寐して諸州の月花にあそひ給ひしに、後の卯月末つかたより、例ならぬいたはりに、都浪華の門葉の人々残るかたなき神薬もしるしをうしなひ、皐月中の七日、入日とゝもに連もありの辞世を残したまひぬ。この老人のはなしも多かめれと、古老のかたかたよくしれるところなれはと、いたみの一章に袖をしほり侍るのみ

洛九十九菴
ほとゝきす其一聲をかたみとは
   文下

鶯や佛の國へ音を入る
    蝶夢

蚊を追ふてあかぬ時あり枕經
   南花

   百ケ日にもとゝりをはらひて
 諸九尼
掃捨て見れは芥や秋の霜
   蘇天

   九州行脚の名残に廟参して

行秋のさらはも松の谺かな
   ゝ

   その行脚   下

   諸邦追悼
  湖南
枝に葉にたへぬ涙や栗の花
    文素

けふは又淋しく悲しかんこ鳥
   可風


   哀 傷
 備中倉敷
五月雨や傘より上は凌けとも
   暮雨

   湖白菴主をいたむ
 藝州廣島
はゝきゝやまたぬれて居るきみか笠
    風律

   初月忌、連中各つとひ集り、 西徳寺 にして法
   筵の俳諧を催して

此道と覗けは濡るゝ泉かな
  文雄
 住持
 連は空行蓮の葉の笠
   水翁

   きさらぎ中の七日、諸九尼の笈に守まいら
   せる浮風居士の画像を閑室の床にかゝけ、
   茶菓をすゝめ句をさゝけて往年を慕ひ侍る。

花生ももゆるなみたの木の芽かな
  文雄

 煎茶の友のたらぬ春雨
   諸九

   郭公の一聲に心つくしの枕をおとろかし給ふ
   湖白庵を哭し奉る

橘をこゝろ尋ねや鳥の聲
   杏扉

   湖白庵の法筵、諸九尼の行脚を待て青陽菴
   の窓下に膝を折て
七十七翁
啼捨をおしむ世なれや杜宇
  杏雨

 汗に潤ふ襟の有明
   諸九

山越の茶に来る水の封を解て
   杏扉

ほとゝきす見もせぬ雲や此別れ
    既白
筑後善導寺
つくつくとひとり醒たり蓮の花
   而后

   諸國混雜

   浮風のぬし、ほとゝきすを句の終りとして、
   身まかりたまひぬと聞ゆ
  東武
月は西枕は北へほとゝきす
    凉袋

ことし中夏の頃、洛下湖白菴の主人、つれもありいまはの空にほとゝきすと一章をとゝめて無為に帰る。予は東西の旅にあり、漸神無月の半、柴門に草鞋をほとけは、可因子より告越されし文さえ干あへぬ五月雨の空を今はたおもひ出て

薄墨にいまはの空や初しくれ
    蓼太

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