このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
俳 人
鈴木荘丹
荘丹ゆかりの地
『能静草』
享保17年(1732年)、江戸の商家に生まれ、菜窓と号し、医学、俳諧等を学ぶ。
雪中庵三世
大島蓼太
に師事。
吾蕉風にをけるや翁か洒落ハ置て論せす、たゝ其・嵐の風骨をうかゝひ蓼先師の譚笑をしたふ、
『能静草』
医師としても活躍し、榎戸村(現鴻巣市)の眼医者
横田邦厖(文玉)
とも親交があった。
明和2年(1765年)、荘丹は
大島蓼太
がみちのくに旅立つのを船で
千住
まで送った。
蓼師と周竹叟ミちのくの行を千住に送る舟中吟
夏川やはなれぬ鴛の船二艘
『能静草』
天明7年(1787年)9月7日、蓼太は70歳で没。10月7日、
完来
は四世雪中庵号と嵐雪伝来の点印とを継承した。
天明8年(1788年)、『歳旦歳暮』(完来編)刊。
年の市弓は手桶にをさまりたり 荘丹
『歳旦歳暮』
寛政3年(1791年)3月6日、荘丹は与野(現さいたま市)の
妙行寺
に自分で墓を造った。
寛政辛亥季春六日修
二
造寿蔵
一
在
二
于武州足立郡鈴谷邨妙行寺裡
一
因観
二
兼好法師之和歌
一
華さくら雙岡のおもひかな
誌
二
寿蔵
一
うくひすや朝な朝なの布施に何
『能静草』
東永山妙行寺
文化2年(1805年)2月、門人菜英に菜窓の号を譲り、能静と改めた。
吾呼古されし菜窓の号を贈るとて
花なから参らせ篭や莖立菜
『能静草』
文化3年(1806年)、『
はせを其角嵐雪
三家発句解』。
文化5年(1808年)11月、
『能静草』
刊。
夏目成美
序。
文化6年(1809年)7月17日、松村篁雨は77歳で没。
文化7年(1810年)7月、篁雨の一周忌追善集
『盆かはらけ』
刊。鈴木荘丹序。
其道や後るゝとても秋の霜
能静
荘丹
『盆かはらけ』
文化9年(1809年)、小川町下古寺の
梅松院
に芭蕉の句碑を建立。
梅か香にのつと日の出る山路かな
梅松院は火災焼失。
文化12年(1815年)、84歳で没す。
荘丹の句
白柄を昔かたりや華さかり
『華鳥風月集』
春雨や奈良の鹿には紅葉笠
『古今綾嚢』
紅梅はおふ
(ほ)
太刀をさす若衆哉
『菫草』
紅海は大太刀をさす若衆哉
『随斎筆記』
うぐひすの丁子含める音色哉
『なにぶくろ』
水仙や兎の耳も旭影
『木槿集』
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