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俳 人

戸谷双烏
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双烏の句

本庄 の豪商「中屋」の三代目。本名は戸谷半兵衛光寿。紅蓼庵。

双烏   本庄宿 中村半兵衛


 安永3年(1774年)、本庄に生まれる。

 天明6年(1786)年、 高桑蘭更 は京都東山雙林寺に 芭蕉堂 を創立。

芭蕉堂


 寛政5年(1793年)、京都東山に「芭蕉堂之記」を建立。記念集 『此まこと』 (双烏編)。

 寛政6年(1796年)3月23日、 倉田葛三 は春鴻と信州に向かう途中、双烏の紅蓼庵で三吟歌仙を残す。

   寛政六年甲寅三月廿三日 紅蓼庵俳諧連歌

紅梅や雨ふきかけし上草履
   春鴻

眠たさつのる春をもの書
   雙烏

さいきたつ雁のはらはら人なくて
   葛三

 寛政6年(1794年)、 常世田長翠 は双烏のもとで、享和2年(1802年)まで小蓑庵を営む。

 寛政9年(1797年)3月、戸谷双烏は常世田長翠、亀田几外と 善光寺 詣でをする。

善光寺本堂


 寛政10年(1998年)6月22日、小林一茶は戸谷双烏に 『さらば笠』 を送り、配付を依頼した。

 あつさの節候へども、御安清ニ被遊[候]哉、奉賀。しかれば、此度『さらば笠』一蓋、玉吟も加入仕候へば入貴覧、御笑納可被下候。小人も近々尊地へおもぶき候へば、秋比は可得尊意と奉存候。御風交可被下候様奉頼上候。以上。

   六月廿二日

一茶

   時鳥手のとゞく程に通りけり

   たのしみの一汗入木かげ哉

   河縁の冷汁すへて月夜哉

などゝ貴評可被下様候。

 二白 何とぞ所々え(へ)とゞけ可被下候様奉頼上候。

双烏は何故か封書入書冊を開かずに、そのまましまい込んでしまった。

 「小人も近々尊地へおもぶき候へば」とあるが、一茶は双烏のもとに立ち寄ることはなかったようだ。

 双烏宛の書簡は『さらば笠』と共に封緘されたままになっていて、昭和10年頃、戸谷家の藏から発見された。

 享和元年(1801年)、 井上士朗 は江戸から信州へ旅をする途中で、本庄宿に立ち寄った。

二光山赤城山見ゆる。 本庄宿

雉子鳴て猫をよび込篠屋哉
   双烏

ちる花は朧烏のねぐら哉
    長翠


 文化12年(1815年)夏、双烏は神流川の両岸に 石灯籠 を建立。

晩年は 川村碩布久米逸淵 などが双烏のもとを訪れている。

嘉永2年(1849年)4月6日、76歳で没。

安養院 に双烏の墓がある。

安養院


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