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俳 人

井上春蟻

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江戸南新堀第二街の人。井上十次郎。臨海主人。

松島の 五大堂 に春蟻の句碑がある。



世の中の櫻おもはす千松島

寛政11年(1799年)3月、建立。

寛政11年(1799年)4月、 「遊行柳」 に芭蕉の句碑を建立。



田一枚植て立去る柳かな

 寛政12年(1800年)9月1日、一茶は春蟻から便りが届く。

(すずき)獲てきれもの鈍き小舟哉

 寛政12年(1800年)9月、大江丸は春蟻・雨什に会う。

 翌は春蟻 ・ 雨什 ともに石町に会す。

   霖雨のれ間をおもふ

月よ月忘れし処めい月か
   大江

 酒に味へきくのしら露
   菊明

まどゐしてえぼしきぬ間のやゝ寒に
   春蟻

 時の大(太)この山ひとつこへ(え)
   芳国

鷺かもめ小春のゆるみ眠るらん
   雨什


 文化2年(1805年)11月10日、小林一茶は 金令湖光 と春蟻を訪れている。

   十日 晴 金令 湖光 深川八幡春蟻訪ふ

『文化句帖』(文化2年11月)

 文化4年(1807年)3月22日、一茶は春蟻に会っている。

   廿二日 雨 春蟻ヨリ大藤へ行  双樹 不来

『文化句帖』(文化4年3月)

 文化10年(1813年)8月25日、飯田市の 元善光寺 に芭蕉の句碑を建立。春蟻書。



う羅やまし浮世の北の山櫻

文化10年(1813年)9月10日、没。

尾花みだれてむなしくまねかず、桐おとろへて葉のおつることはやし。臨海主人には、かの病に物故のよしをきく。時しもあれとおどろかれて

後の月あれよとおもふ人はなし

   右、哭春蟻


春蟻の句

初さくら感神院の南より


鴫たちてしはし程なる月夜哉


鹿の聲端山の雨となりにけり


散柳其日其日の流かな


白梅のさらりと咲し県かな


橋有て其後夏の月夜哉


等閑のしぐれなりけり二日月


芦の穂にさすと見る間に入日かな


息岑のあり明ならず梅の花


きちきちと雨呼ぶ蛙ひとつより


霜の橋城下の橋をはづれけり

青柳や先月を得る此あたり


峰の松雨こぼすまでかすみけり


忘れては高く潜りぬ秋の蚊帳


たる事のうへを桜の月夜かな


小春凪水はきのふと思ひけり


霞つゝ降つゝやがて角大師


月の秋見事に雨のやむ夜かな


大根引昼は凪うと申けり


山茶花に皃(只)かりそめの朝日哉


いなづまやおろかになびく花すゝき


鶯の聲やちからを入ずして


鶯の声や力も入れずして

秋の夜の相手がましき灯(ともし)


咲初て裏なき一重ざくら哉


四方からしぐれよせても不二の山


山住の聞かしとすれと秋の鐘


ふんだんに白梅咲よ綱処


鶯の口もとにさす旭かな


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