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服部嵐雪



『杜撰集』 (嵐雪撰)

元禄14年(1701年)、『杜撰集』(嵐雪撰)刊。

杜撰集 上巻

装遊稿
   嵐雪亭石中

塔澤記
   石 中

湯本 早雲寺 は小田原豊饒氏五代の菩提所なり。古墓五ッ、つくづくと並べり。元祖新九郎氏茂は永正六うのとし八月十五日に逝去ありしとかや。今早雲寺殿瑞公大居士と苔を削り、なき名を拜む。

   早雲寺名月の雲はやきなり

宗祇の廟、

   石塔を撫でゝは休む一葉かな

長興山の瀧見にまかりて、梅花徑を下りに、白雲閣を見上、青蛇白象の奇石の間を、瀧は三筋に落たり。瀧のもとを川涯と號(ナヅ)く。水の湛(タゝヘ)を心湛とよぶ。泉の砌に手たゝくほどの溜り江あり。かしらを付てうかゞひみるに、小田原の海とひとつに成て、東西の廻船、鼻のもとに寄來る斗、いとあやしくまたゝきせらる。むつのおくに影沼とかやいひて、かゝる所は侍るときゝぬ。言語道斷の美景口つぐみて此發句なし。三廻りの日比たちて、かへるべきになりぬれば、親しきかぎりこぞりて酒送りしつ。石さへ木さへかへり見がちに、小田原より峠をみあげたれば、雲かゝりたり。

   袖つまにもつれし雲や露時雨

ことしも名月は、 鎌倉大佛 にて見る。

   明月は南を得たり佛頂珠

杜撰集 下巻

   嵐雪の跡を追て

巣の中を立得ぬ鳥や花の山
   竹雨

   春の句

大井川しづめて落るつばき哉
    素堂

   (憎)愛時々に變じ、眺望刻々にか
   はる。

松嶋やいらぬ霞が立て來る
    桃隣

   夏

ほとゝぎす鳴やからすの居ぬところ
   尚白

   大津の驛に出て

あぢさいを五器に盛ばや草枕
   嵐雪

   秋

   あかねや美濃やときこへたる、な
   き名のながれとゞまる所は、千日
   寺の蓬生の露ときえかへりぬ。盆
   のこのごろは、夜ごとに群集し、
   逆縁にとぶらふ人もあまた侍りけ
   り。戒名嵐雪月照と石の塔婆に彫
   入たり。あるまじきことならねど、
   おりからは思ひかけずおぼえ侍り
   ければ

夢によく似たる夢哉墓參り
   嵐雪

   青蟾堂の旅宿をたづねて、日數あ
   りければ、江行の句十四句を得た
   り。詞書などはべりけれど略之。
  青蟾堂
松杉に因(ちなみ)置たりみちの秋
   仙化

茶の花のつぼみて寒しく月盡

    まり子の宿 を夜深に出て、うつの
   山を越るころ、まだ朝寒の風はげ
   しかりければ、火をたける姥にた
   よりて

燒栗といろりへくはるうつの山

    大井川

川越の鳶と舞たり秋の水

   鈴鹿山

すゞか山その色顔や木の葉猿

    義仲寺 の師父の庵に參りて、木曾
   殿の古戰場曉の夢もすごく、ばせ
   を亡師の風雅の地夕寂たり。往來
   の旅人、逆縁にとぶらひ、都鄙の
   門人順縁に拜す。句々は梢を撓、
   青樒四序に凋さず、門下某その徳
   風に笠をとられて、靈前にかしら
   を投ず。

菊の香に鳩も硯の水添へり

    松は花よりおぼろにて  と侍りけ
   れば

唐崎は朧に似たり鶴の松

   七夕は難波に侍りて

(には)土を踏やよとての星むかへ

   難波の遊女のまち通り侍りけるに、
   霜月のいく日よりか、灯を停止せ
   られて、ひそやかなりければ

あたゝかに君を見ませる炭火哉

   住よしにて

杖突た禰宜も出るや夏かくら

梢より戸を明さする水鶏哉

   冬

   ばせを庵の芭蕉もいまだういうい
   しかりける秋、桐の葉の一葉とへ
   と、つげこし給へることなんど、
   思ひ出られ侍りて

錢ほしとよむ人ゆかしとしのくれ
   嵐雪

初雪や浪に伊吹の風はづれ
    千那

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