このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2009年
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高勝寺
〜芭蕉の句碑〜
栃木県下都賀郡岩舟町の高勝寺に行ってみた。
600段の石段を登る。
石段の途中で岩船山(標高173m)を見上げる。
高勝寺三重塔
栃木県内の三重塔は他に日光市の輪王寺、益子町の
西明寺
にある。
寛延4年(1751年)、建立。
栃木県指定文化財
芭蕉の句碑
があった。
野を横に馬ひきむけよほとゝぎす
元禄2年(1689年)4月16日(新暦6月3日)、芭蕉は黒羽を発って殺生石に向かう。館代浄坊寺桃雪に野間まで馬で送られた。その時、馬方の求めに応じて詠んだ句。
高勝寺山門
栃木県指定文化財
高勝寺鐘楼
栃木県指定文化財
高勝寺の大仏
享保9年(1724年)、建立。
延享4年(1747年)6月1日、横田柳几と武藤白尼は岩船山の地蔵尊に詣でている。
岩船山 にて
まづ舳先見るや若葉の浪間より
柳几
此山の地蔵尊に詣て裏坂越に往還へ出るこの日は水無月朔日なりけり
山下
リ
ておもひ出しけり氷室の日
白尼
『二笈集』
宝暦13年(1763年)4月6日、二日坊は松島の帰りに高勝寺の地蔵尊を訪れている。
岩舟の地蔵尊を拜まんと、岩を踏て苔にすへり、木の根をとらえて、岨をつとふ
岩舟や藤の浪さく夏木立
凌
『みち奥日記』
高勝寺本堂
宝亀年中(770−781年)、開基。
天台宗
の寺である。
高野山日本三地蔵のひとつと言われているそうだ。
本堂の裏手にも芭蕉の句碑があった。
父母のしきりにこひし雉子の声
出典は
『笈の小文』
。
貞亨5年(1688年)春、芭蕉が
杜国
と高野山を訪れて詠んだ句。
碑面の左上が剥落している。
文久元年(1861年)、紀州
高野山の句碑
を写して建立。
『諸国翁墳記』
に「
野州都賀郡岩舩表坂半在 建主 妙詮[以下省略]
」とある。
安永4年(1775年)10月12日、沂風は高野山に芭蕉の句碑を建立。
碑裏に
大島蓼太
の銘文が刻まれている。
山梨県上野原市の
保福寺
にも高野山の句碑を写した句碑がある。
岩船山高勝寺から三毳山(標高229m)を望む。
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