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俳 人

坪井杜国

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名古屋の富裕な米穀商。通称庄兵衛。万菊丸。野人。野仁。

貞享元年(1684年)、入門。

名古屋市の 久屋大通公園 に「蕉風発祥の地」の碑がある。



狂句こがらしの身は竹斎に似たる哉
   芭蕉
 たそやとばしたる笠の山茶花
   野水
有明の主水に酒屋つくらせて
    荷兮
 かしらの露をふるふあかむま
   重五
朝鮮のほそりすゝきのにほひなき
   杜国
 日のちりぢりに野に米を刈る
   正平

『冬の日』巻頭歌仙「木枯らしの巻」の表六句である。

名古屋の抱月亭で雪見。

   抱月亭


市人にいで是うらん笠の雪
   翁

   酒の戸をたゝく鞭の枯梅
   抱月

是は貞享のむかし抱月亭の雪見なり。おのおの此第三すべきよしにて、幾たびも吟じあげたるに、阿叟も転吟して、此第三の附方あまたあるべからずと申されしに、杜国もそこにありて、下官(やつがれ)もさる事におもひ侍るとて

朝がほに先だつ母衣を引づ(ず)りて
   杜国

   と申侍しと也。されば鞭にて酒屋をたゝくと
   いへるものは、風狂の詩人ならばさも有べし。
   枯梅の風流に思ひ入らば、武者の外に此第三
   有べからず。しからば此一座の一興はなつか
   しき事かなと、今さらにおもはるゝ也。

   おなじ比ならん、杜国亭にて中あしき人の事、
   事取りつくろひて

雪と雪今宵師走の名月歟

『笈日記』 (尾張部)

   芭蕉翁をおくりてかへる時

この比の氷ふみわる名残かな


貞享2年(1685年)、罪を得て伊良古に追放された。

 貞享4年(1678年)11月10日、芭蕉は『笈の小文』の旅の途中で越人を伴い保美(田原市)に杜国を訪れんと吉田に泊まる。

   越人と吉田の駅にて

寒けれど二人旅ねぞたのもしき
   芭蕉


共に 伊良湖崎 に遊ぶ。



鷹ひとつ見つけてうれし伊良虞崎

貞亨4年(1687年)、芭蕉は杜国に句を贈っている。

   しばしかくれゐける人に申遣す

先祝へ梅を心の冬籠り
   芭蕉


貞亨5年(1688年)、宗波と杜国は伊賀上野に芭蕉を訪ねている。

元録元辰のとし、此春武藏野の僧宗波、美濃杜國伊賀に來り、杜國は萬菊と改名して、和州行脚に伴ふ。


芭蕉は流刑中の杜国と旅をする。

   乾坤無住同行二人

よし野にて櫻見せふぞ檜の木笠

よし野にてわれも見せうぞ檜の木笠
   万菊丸


   翁に供(ぐせ)られてすまあかしに
   わたりて
  亡人
似合しきけしの一重や須广の里
   杜国


9月30日、元禄に改元。

元禄元年(1688年)、野人と改号。

元禄3年(1690年)1月17日、芭蕉の万菊丸宛書簡がある。

いかにしてか便も無二御座一候、若(もし)は渡海の船や打われけむ、病変やふりわきけんなど、方寸を砕而已候。されども名古屋の文に、御無事之旨、推量に見え申候。拙者も霜月末、南都祭礼見物して、膳所へ出越年。歳旦、京ちかき心

     薦をきて誰人ゐ(い)ます花の春

      冬

     初時雨猿も小蓑をほしげ也

      山中の子供と遊ぶ

    初雪に兎の皮の髭つくれ

      南 都

    雪悲しいつ大仏の瓦ふき

      京にて鉢たゝき聞て

    長嘯の墓もめぐるか鉢たゝき

      歳 暮

     何に此師走の市にゆく鴉

急便早々に候。正二月之間伊賀へ御越待存候。宗七も御噂申斗に候。

    正月十七日
   はせを

  万菊丸様

元禄3年(1690年)2月20日、没。

 元禄3年(1690年)5月17日、其角は杜国の死を越人から聞いて、句を詠んでいる。

いらごの杜国例ならで、うせけるよしを 越人 より申きこへける。翁にもむつまじくして、 鷹ひとつ見つけてうれし と迄に、たづね逢ける昔をあもひあはれみて

羽ぬけ鳥鳴音ばかりぞいらこ崎
   角


 元禄4年(1691年)4月28日日、芭蕉は杜国の夢を見ている。

二十八日

夢に杜國 が事をいひ出して、悌泣して覚ム。


延享元年(1744年)、没後54年に 墓碑 を建立。



寛政元年(1789年)、杜国の百回忌追善俳諧集 『十かへりの花』 (子蔵編)刊。

明治28年(1895年)、芭蕉の三吟句碑を建立。



麦はえて能隠家や畑村
   芭蕉

冬をさかりに椿咲く也
   越人

昼の空のみかむ犬のねかへりて
   野仁

田原市の 「杜国公園」 に杜国の句碑がある。



春なから名古屋にも似ぬ空の色

杜国の句

洗濯の袖に蝉鳴夕日かな


似合しき芥子の一重や須磨のさと


霜のあさせんだんの実のこぼれけり


八重霞奥迄見たる龍田かな


曙の人顔杜丹露にひらきけり


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