このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

廃線跡のページ

鉄道が好きな私はいつ頃からか今はもう列車が走っていない廃線跡を歩くのも
好きになってしまった。そこに感じる哀愁がたまらない(?)。ましてやそこが自分が
少年の頃に乗ったことのある路線だとなおさらだ。もう二度と走って来ない列車を
思い浮かべながら。たとえ乗ったことのない路線であっても沿線の景色を想像する
のはなんともいえず楽しいものだ。


旧信越本線・碓氷峠編
1999年11月。軽井沢よりバスで横川へ下り、廃線跡を歩いて
みた。そこには錆びた線路がまだ残されていた。

碓氷峠・アプト式時代の名残編
同じく1999年11月。旧信越本線の線路の後を歩いたあと、
アプト式時代の名残を探しに歩いた。レンガ積のトンネルや
橋梁など、時代を感じさせるものが数多く残っていた。

中央本線編
1999年、2001年、中央本線富士見〜信濃境間の立場川に
かかる鉄橋を中心に歩いてみた。初夏に行ったときには草が
多く、築堤を登ることが難しかったが、晩秋には草も枯れ、やっと
その上に立つことができた。

武蔵野競技場線編
2002年ゴールデンウィーク前半。すぐ近くの廃線跡を訪ねた。三鷹駅
からかつて分岐していた通称「武蔵野競技場線」跡である。

東京都水道局小河内線編
青梅街道に沿ってあちらこちらに見える橋梁のあと。かつて、ダムを作る
ための資材などを運んだ鉄道の廃線跡である。

山野線編
熊本県の水俣から鹿児島県の栗野をかつて結んだ路線。全線が廃止された
ことでその廃線跡はあまりに長い。昭和63年2月1日廃止。

大隈線編
鹿児島県の国分から海沿いを通り、その後大隈半島を横断する形で布志布までを
結んだ路線。今回は海沿いをへばりつくように走っていたその極一部を歩いた。

旧北陸本線(市振〜親不知)編
JR北陸本線市振駅より海側に向かう旧線のルート。私が初めて
出会った廃線跡の「親不知トンネル」を中心に歩いてみました。

佐賀線編
旧国鉄佐賀線。今は重要文化財となった昇開橋が残る。
しかし、廃線跡はほとんどが道路などに転用され今や
残っているところは少ない。

下河原線
かつて「砂利線」として存在した路線。その後旅客も扱うようになった。
廃線後は府中市が遊歩道として整備した。東京競馬場前への支線を持つ。

士幌線
旧国鉄士幌線。街中の廃線跡はもうすでになくなっているが、糠平湖周辺には
旧線の廃線跡も残る。美しいアーチ橋が数多くある。

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