このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

北京めざして (8)
港から歩くこと約30分、中山広場のロータリーに面するこの大連賓館を今日の宿に決めました。大連には出張で三回ほど来たことがあったのですが、このホテルはその際にタクシーから見かけて以来ずっと憧れだったのです。満州国(中国では「偽満州国」といいます)時代には「大和ホテル」だった所で、今となってはあまりパッとしないホテルですが、がっしりとした建物が気になっていたのです。ロータリーを見下ろす部屋は高くて手が出ませんでしたが、交渉の末に中庭に面した部屋に400元で泊まることにしました。内部も最近の豪華ホテルに比べたら冴えませんが、天井が高くて気持ちが良い部屋でした。尚、「大和ホテル」はここ大連以外にも瀋陽、長春、ハルピンなどに日本によって展開されていました。

ホテルで少し休んで久々にシャワーを浴びて下着も久々に換えました。炎天下を散々歩いたクセに三日ほど同じものを着ていたのでそろそろ自分でも臭かったのです。さっぱりして大連駅(上野駅を模して作られたらしい)まで歩き、切符売り場で明日の長春行き夜行寝台(硬臥)の切符を183元で購入。硬臥の切符はなかなか手に入らないのですが、大連は始発駅なので残っていたのでしょう。11時間の旅を硬座や無座(立ち席)で過ごすのは辛いので助かりました。

夜は海鮮を食べました。中国の一人旅で困るのが食事。屋台の麺や串焼きなどを除いて一人で食べる料理ってなかなか無いのです。特に東北地方は料理の量が多いことで有名で注文に困るのです。結局一皿の海鮮盛り合わせみたいなヤツと生ウニを二個食べました。生ウニは一個30元(400円)くらいだったのですが、これは高いのしょうか?日本の水準が分からないもので...でもどうも色々聞いてみると、一般的に中国人は日本人ほどにウニに対する執着というか特別視するという感覚は無いようですね。
写真はやはり中山広場のロータリーに面して建っている中国銀行の支店です。建築様式から分かるようにこの建物も日本統治時代のもので、当時は横浜正金銀行(東京銀行の前身)大連支店だったようです。

翌23日正午にチェックアウトしたものの夜8時半の列車までかなりの時間があります。まずは賑やかな所に出てみようと思い、駅に向かう途中の天津街へ。以前は車通りの多い狭い道だったのですがここも上海の南京路のように歩行者天国になっていました。後日訪れた天津の和平路も同様に歩行者天国になっており、中国の都市計画の対象が高架道路、地下鉄、高層ビルといった大型プロジェクトだけでなく街路レベルにまで広がってきたということでしょうか。

腹が減ったのでたまたま見つけた麺の店に入ってみたら席が全くないほどの盛況ぶりでした。待つには腹が切迫していたのと、対面のマクドナルドがなんだかいい匂いを放っていたのもあって、嗚呼こともあろうかマクドナルドでメシを喰うとは...ハンバーガーとコーラとフライドポテトのセットが16.8元(約220円)でした。旅費を抑えることを至上の命題とするタイプの旅行者から見たらきっと堕落の象徴なんだろうけど、妙にうまかったなぁ。でも平均的な収入から見たら高いはずなのにここも中国人でいっぱいでした。私の隣の席に座っていた二人連れの中学生なんか携帯電話も持っていたし、平均収入という統計上の数字とこういう場面とがどうもうまく頭の中で繋がらないのです。ちなみに店内のポスターによると、東北三省(遼寧、吉林、黒竜江)にマクドナルドは、長春に1軒、大連に4軒、鞍山に1軒、瀋陽に4軒、そしてハルピンに1軒あるそうです。「麦当労就[イ尓]身辺」(マクドナルドはほらあなたのそばに)というポスターのキャッチコピー通りに結構出店しているのですね。

この後、広場の芝生に寝ころんでみたり、やはり日本が遺した路面電車に意味もなく乗って往復してみたりしましたが、どうにもこうにも8時間を潰すのは無理のようです。映画でも見ようと思ったけど時間が合わず(「角斗士」というのを上映していて、なんだろうと思ったら「グラディエーター」でした)、映画館の前で地図を買って広げて見れば...そうだ、大連には海があった。船で着いたのにすっかり忘れていました。マック(関東式表記)の食事ですっかり骨を抜かれてプチブルジョワ的な金銭感覚に陥っていた私は、タクシーを捕まえると一言だけ「浜海路を一回り」と告げました。

浜海路は大連港あたりから西の星海公園までずっと海岸線に沿って走る道路で、初めて大連に来たときにお客さんが車で案内してくれて以来、5年ぶりに回ることになりました。片側は山で片側は海という地形が日本の伊豆半島にどことなく似ていて、ひたすら海沿いを走ったかと思うとやや内陸の曲がりくねった山道からはカーブごとに海を見下ろすこともでき、変化に富んだ景色を楽しむことができます。途中の海水浴場や眺めの良い場所で所々車を停めてもらい、2時間ほどかけて市内に戻ってきました。タクシー代87元(約1100円)に一部が有料道路で通行料が5元程度かかりました。それにしても大連は5年前からだいぶ変わりましたね。当時は整備中で何もなかった星海公園のあたりは芝生が植えられ国際会議場なども建っていたし、テレビ塔のある丘から市内を見ても以前には無かった高層ビルがいくつもそびえていました。

晩ご飯はプチブルから急に一市民に戻って、昼間混んでいた麺の店で牛肉麺と一応海鮮として海草の一品料理を食べました。これで6元(約80円)。やはり混んでいただけあって納得の味でした。
いったん大連賓館に戻って預けていた荷物を受け取り、夜の7時半に駅に到着。暗ーい待合室の床で自分の荷物の上に座って改札口が開くのを待ち、8時過ぎに検札開始。汽笛、機関車の入れ替え作業の音、待避線で佇む列車、行ったことのない土地の名前、ものすごい量の荷物を担いだ人たち...どこに国に行っても駅には独特の雰囲気があって旅の気分を盛り上げてくれます。実は中国の列車の旅は出張の際に天津・北京間の2時間弱の路線を二回乗っただけで、長距離列車は初めての経験です。しかも寝台列車に乗るというのは10年以上前に東京から京都まで乗って以来のこと。

左の二階建ての車両が私が乗る客車です。思っていたより近代的な造りです。私の席は一階部分でした。
この写真の下の段がこの晩の寝床です。

中国の長距離列車の座席は、安い方から「無座」、「硬座」、「軟座」、「硬臥」、「軟臥」と種類があって、「座」だと普通の座席で、「臥」だと夜は寝台になります。私が乗った硬臥は、一つの区画に二段ベッドが二つ配されていて、二つの二段ベッドの間には小さなテーブルがあって、その下には中国でよく見かける大きな魔法瓶が置いてあります。各車両にはトイレ、洗面台に加えて給湯器があり、カップと茶葉さえあればお茶はいくらでも飲めるようになっています。

列車はきっかり20時30分に汽笛と共に出発。隣のベッドには仕事で大連に来て長春に帰るという中年男性がいて、少しだけ言葉を交わしました。寡黙な人で夜11時の消灯時間までヒマワリの種とタニシの醤油漬けのようなものをつまみにずっと一人で白酒の小瓶を傾けていました。

寝る前、唐突に「で、お前は何しに長春に行くんだ。仕事か?」と問われて、単なる旅行である旨を伝えると、「見るもんは何もないぞ」と一言。ありゃりゃ。
24日朝6時過ぎ。目が覚めたらこんな景色でした。あと1時間ほどすると長春です
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