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北京めざして (9)
8月24日午前7時半、私の乗った特快213次列車はまたもや定刻通りに長春駅に到着。今回は船、飛行機、バス、鉄道と色々な交通機関に挑戦したのに、今のところ一回も延着を経験しておらず、ちょっと意外です。

相変わらず宿は決めていなかったので適当に探してみることにしました。駅前から人民大街を20分ほど南に行ったあたりで飛び込んで決めたのが「楽府大酒店」。朝なのにチェックインが出来て、部屋も綺麗でお湯の出るシャワーがあるのが助かります。一泊220元はちょっと高いけど繁華街にも駅にも近いので便利です。シャワーを浴びて少し休んでから街に出ました。

長春はかつての「満州国」首都として「新京」と呼ばれていました。街を歩いていると上海や大連と同じように古い建物がいくつも残っており、それぞれが現在でも何らかの形で使われています。例えば人民広場のロータリーに面している左の長春市電信局。写真ではよく見えませんが玄関と車寄せのあたりの造りがちょっと中国らしくありません。
と思ってこの建物の周りを歩いてみると写真の様な「偽満州電信電話株式会社旧址」という碑が建っていました。この近くにある中国人民銀行の支店は「偽満州中央銀行」だったし、ここからさらに南に行くと、「満州国」政府の国務院、軍事部、司法部、経済部やら日本の旧関東軍司令部やらもそのまま大学や政府系機関、研究所として使われており、首都として機能していたかつての面影が感じられます。

ただ、歩いていて思ったのですが、きっと街づくりとしては途中で頓挫したんでしょうね。溥儀が住んでいた「偽皇宮」は街の外れにあるし、正式な宮殿を造る予定だった文化広場のあたりから南湖公園にかけての一画以外は道路も入り組んでいて分かりにくかったです。

散々散歩を楽しんだあと、夕方近くに駅に行ってハルピン行きの立ち席券を20元で買いました。所要時間は3時間ほどなので立ち席でも耐えられそうです。ハルピンに一泊して天津へ向かって天津郊外に住む日本人を訪ねることにしました。夜は朝鮮料理を出す店に入りました。東北料理は量が多いことで有名で、朝鮮冷麺と野菜の涼菜なら大丈夫だろうと思っていたら大間違いで、どうみても三人前の皿でした。ここは色々な犬料理がメニューに載っているのですが、その店で飼っていると思しき二匹の犬が食事中に私の足もとでじゃれていて、苦笑してしまいました。
長春に着いてからちょっと体調が悪く、25日の朝に起きたらどうやら熱があるようでした。天津の友人も明日26日(土曜日)は休みで時間があると言っていたし、立ち席のハルピン行きはあきらめて直接天津へ行くことにしました。ところが朝早めに駅へ行ったのに列車の切符は全く手に入りません。大連と違って長春は始発駅ではないので席を確保するのは困難なようです。北京行きもやはり立ち席しか無く、長距離バスターミナルに行ったのですがここでもダメ。結局今晩の北京行きの飛行機しかありませんでした。770元は痛い出費だし、また夜の8時まで時間を潰さなくては...

で、ホテルで休んで正午ギリギリにチェックアウトし、荷物を預けて「偽皇宮」へ行きました。左の写真は上が満州国時代に溥儀が生活していた「緝煕楼」、下は主に謁見やパーティーの場だった「勤民楼」です。現在は革命や抗日戦争の経緯を説明したパネルがあったりして、ちょっとした愛国教育の拠点になっていました。

ただ私にとって面白かったのは、「従皇帝到公民(皇帝から公民まで)」という小さな展示コーナーでした。名前の通り皇帝として育って一市民として死ぬまでの溥儀を写真と遺品などを用いて紹介しているというやや地味な場所なのですが、感情過多な文章や鼻につくプロパガンダがなくて落ち着いて彼の一生を知ることができます。もちろん解放後の中国が展示しているわけですから革命史観に基づいていることは否めませんが、溥儀の数奇な運命に静かに耳を傾けるには良い所だと思います。展示の最後の方に労働改造を終えて一市民として再出発することを法廷から言い渡された瞬間に泣き崩れる溥儀の写真があり、私はその涙の意味を考えながら「偽皇宮」を後にしました。

帰りのタクシーで運ちゃんが「日本人か」と聞いてきました。そうだ、と答えると彼は言いました。「日本人はかつての侵略の歴史を知らないだろう」と。そしてまた「日本では一切教えていないだろ」とも。北京で仕事をしていた頃も何度か同じ様なことを言われました。でもこれは正しいとは言えないのです。中国人から見たら手ぬるいだろうけど日本の教科書にだって書いてあるし、本屋に行けばこの時代について触れた本は手に入ります。歴史の授業でも先生によってはそれなりの時間を割いていました。熱の入れ方の差違はあっても「まったく無い」というのは誤解なのです。なんとか運ちゃんに説明すると彼も一応は納得したようでした。

夕方まで時間をつぶして7時前には空港に着きました。北京の友人に電話をかけて今晩は泊めてもらうことにし、翌26日の朝に列車かバスで天津郊外の街「芦台」へ向かう予定を立てました。空港のロビーの電光掲示板によると定刻通り8時10分に飛ぶらしく、今回は何から何まで時間通りで本当についているなと一安心。ところが...やはりここは中国だったのです。
やはりここは中国チェックインを早めに済ませて身軽になってから空港内で食事をしようと思っていたのに、7時半を回っても一向にカウンターは開きません。構内放送も無いし、掲示板も「ON TIME」のままです。さすがにおかしいと思って案内所の小姐に聞いてみたら即座に「遅れている」との回答。ちょっとむかついて「分かっているならなんで放送なり通知なりしないんだ」と言ったら小姐はふてくされてカウンターの下からホワイトボードを取り出しました。そこには私が乗る飛行機の便名が書いてあって遅れる旨が既に記されています。怒り増幅。「書いてあるなら何で早く出さないんだ」。これには無回答。そしてここからがまた大変でした。

私は別に仕事で来ているわけではないので遅くなるのは構いません。ただあまり遅くなるようだったら北京の友人に迷惑がかかるし、体調も悪かったので翌朝の一番早い便に変更して長春にもう一泊しようと思ったのです。機体の問題など航空会社の責任で遅延が生じた場合は高いキャンセル料無しで払い戻しができるので、私は件の小姐に遅延の原因を尋ねました。回答は(半ば予想はしていましたが)「分かりません」と一言。ああ、「分かりません」!中国語で「不知道」!今まで何度この言葉に泣かされたことでしょう。そして駄目だと分かりつつ私もまた愚問を繰り返すのです。「案内所の職員が知らなくて誰が知るんだ」。小姐はあきれ顔で答えました。「何も通知が無いからしょうがないのよ」と。

責任問題は百歩譲ってまぁ良いとして、せめていつ飛ぶのかだけは知りたい。1時間後なのか3時間後なのか5時間後なのか目安だけでもいいから知りい。「何時に飛ぶんだ」という愚問は呑み込んで質問方法を変えてみました。「この飛行機はもう北京を発ってこちらに向かっているのか、それともまだ飛んでもいないのか?」。飛んでなければ最低でもあと2時間は待つだろうし、飛んでいれば北京・長春間は1時間なので待つとしてもたかが知れているわけです。そして、どこかでそうなるんだろうなと思っていた通り、ショートカットの小姐のうっすらと口紅を引いた口元からは「不知道」の一言が出てきたのです。

もうここに居ても何の情報も得られないとやっと分かった私は、とにかく腹ごしらえをと思って二階の食堂に入りました。怒りと疲れが食欲に転化されたのかメニューを斜め読みしてあれもこれもと頼んでしまいました。お茶、ジャガイモの千切りの炒め物、牛肉と豆腐の土鍋煮込み、そして炒飯。我ながらよく食べたと思います。でも家庭料理だと思ってたかをくくっていたら伝票を見てびっくり。109元(1400円)!高すぎる!!

で、満腹になったところへちょうどアナウンスが。北京行きの出発時刻は9時半に変更され、今からチェックイン手続きを開始する、とのこと。じゃぁもう飛行機は長春へ向かっているんだな、と思い「9時半」の根拠も確認しないまま手続きを済ませてゲートの待合室で待つことにしました。

9時半。ゲートは開きません。そこへまたアナウンスが。「大変申し訳有りませんが10時半に...」。がーん。ってことはまだ飛んでもいないうちから「9時半」だなんて言っていたのか!もうここまで来ると平常心です。喫煙コーナーを見つけてタバコを吸ったり、中国語の教科書を開いたり、しまいには居眠りしたりして時間を潰しました。結局我が新華航空146便は定刻から2時間40分遅れて午後10時50分に長春空港を発ちました。
北京空港には零時過ぎに到着し、友人宅に着く頃には1時近かったと思います。軽くビールを飲んで再会を祝い、話もそこそこにすぐに寝ました。

8月26日、朝7時過ぎの北京駅。本来ならばギリギリまで北京以外の都市をいくつも巡って最後の最後に感動と共にこの駅に降り立つつもりだったのに、前日に飛行機で到着してまたここから列車に乗るなんて実に格好悪い。まずは今や名ばかりとなりつつある外国人用切符売り場で列車の切符を買いました。行き先は「芦台」。天津から約80km離れたところにあるこの駅はローカル線しか停車せず、売場でも「天津の先で唐山の隣の」と言葉を足さないと駅員が分からなかったほどです。所要時間は約3時間で硬座の切符が17元(約220円)でした。出発時刻の10時まで2時間以上あるので駅を徘徊。昨年の建国50周年に合わせて大改装したらしく、昔に比べてだいぶきれいになっていました。
駅でたまたま有料の待合室を見つけたので覗いてみたら、ちょうど上の駅舎の写真の二階正面のバルコニーに出られるようになっていました。晴れていて眺めが良さそうだったので1時間10元の料金を払ってここでコーヒーを飲みながら出発までの時間を過ごしました。左の写真はそこから撮ったものです。まっすぐ向こう側まで延びている道は見えなくなるあたりで北京の目抜き通りである「長安街」と交差しています。この道は以前より幅が広くなっていました。国旗の左右の建物もほとんどが最近建てられた物で私にとってはかなり新鮮な眺めです。

この待合室はあまり知られていないようで私以外に利用者はいませんでしたし、「地球の歩き方」にも載っていませんが、北京駅で時間を潰すには一番良い場所だと思います。切符はなくてもここまでは入れるので街歩きのついでにここで休憩するのも良いでしょうね。

昨日の飛行機の一件があったので油断せずに駅の構内放送に耳を傾けていたのですが、今日は無事に定刻の10時12分出発。窓側の席だったので車窓を流れる風景を楽しみながら13時半に芦台駅に到着しました。
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