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最後の4線・国鉄・JR線全線完乗の日

青梅線の103系電車

 1998年は、このページにもいろいろ載せたようにJR線全線完乗に本当に燃えていた年であった。1月の北海道からはじまって中国地方・関東・四国・九州とあちこち東奔西走。そしてそれぞれの地区のJR線を全て踏破し、最後まで残ったのは意外にも地元からさして遠くないJR東日本の4線となった。以下の路線である。

北陸新幹線(=通称:長野新幹線、98年当時は長野行き新幹線とも呼称)高崎〜長野間 営業キロ:117.4km

上越線 越後湯沢〜ガーラ湯沢間(通称:ガーラ湯沢線、在来線扱いだが上越新幹線車両のみが乗り入れて運行。) 1.8km

青梅線 立川〜奥多摩 37.2km

五日市線 拝島〜武蔵五日市11.2km

 最後まで残った理由は、ガ—ラ湯沢線がスキー客専用の季節営業路線で冬季しか運行していなく、その営業開始まで踏破を待たなくてはいけなかった。他の3線はいつでも乗れるのだけど、最後の日の「獲物」がたった1線では寂しく、あえて3線ぐらい残しておこうという魂胆だった。また、東京から近い青梅線五日市線を残しておけば、友人達が踏破の日にいっしょについてきてくれるかもしれないという淡い期待もあった。

 そんなこんなで、12月12日になってガーラ湯沢線が今季の営業を開始した。いよいよである。では最後の4線踏破を次の土曜日、1998年12月19日と決めた。最後の路線は五日市線、全線完乗の駅はその終点、武蔵五日市駅とした。あらかじめ卒業した大学の鉄研にスケジュールを連絡しておいた。武蔵五日市駅で数人が待つ予定だという。

 12月19日の未明・・というか18日の晩上というべき午前2時。甲府駅2:01発の下り急行アルプス号に乗車。JR東日本全線2日乗り放題(新幹線や特急も可)のハートランドフリーきっぷを片手の旅である。山屋さん(登山する人達)の列車として有名な新宿南小谷(みなみおたり)行きの夜行列車であるが、この時期ではさすがに少ない。甲府でかなり降りて、余裕の着席。でも熟睡していられず、2時間半後、早朝の松本駅で夜行急行ちくま号に乗り換えなくてはならない。別に問題なく、松本到着でちゃんと起きた。ホーム隣りにならんでいる、大阪からやって来た長野行きの急行ちくま号へ。6両の短い編成で自由席の余席が少ない。ここからはもう寝ていられず、篠ノ井線の夜景を楽しむ。列車は高い所を走っており、眼下の盆地や谷の夜景がきれい。1時間で長野へ。5時15分到着。いよいよ長野新幹線だ。

注:正式名称は北陸新幹線だが、まだ長野まで開業という実態から通称を使うこととします。

 在来線ホームからたった2分、すぐ隣りでしかも少し高いだけのずいぶん便利な長野新幹線ホームへ。これまでの新幹線ホームは高い高架上にデデーンとそびえ立っており、長い通路や階段・エスカレータで飛行機みたいに「搭乗」する感じもあった。(それが日常生活から離れていて、いかにも「旅」という良い印象もあるけど。)真新しい長野新幹線専用の電車が2本並んでいる。いずれも8両という新幹線としてはなんとも軽快な編成で、1本は6:00発の定期列車・あさま500号、もう1本は6:10発の土曜など運転の臨時列車・あさま560号(軽井沢からは毎日運転)である。予定では6:00発に乗って途中の佐久平駅で降り、駅をちょっと観察してから後続の臨時に乗ることにしていたが、意外に混んでいるので最初から臨時でゆうゆう座って行くことにする。面白いことに、たった10分発車時刻が違うだけで乗車する人数が雲泥の差。臨時を知らなかったのが大方の理由だろうが、指定席なら変更は面倒くさいから分かるけど、自由席なら10分遅くてもゆうゆう座っていけばいいのにと思う。それとも、臨時はほぼ各駅停車だから嫌われるのか。

 満席に近い、大人気の6:00発を見送り、いよいよこちらも発車。自由席でも1両にたった6〜7人と極端な超不人気。でも走りは豪快そのもの。長野から10キロ先の篠ノ井までは在来線の余った用地を使ったようで完全に並行しているが、その篠ノ井駅の横をたった4分後に通過した!速い。このあたりから夜が明ける。信濃平に朝焼けの柴色の美しい日が差し込む。長野からたった13分で33キロも走りきり、(なんと平均時速152キロ!!)上田駅へ。輸送量に合わせたホーム幅の狭い身軽な駅。在来線(旧・信越本線・・現在はしなの鉄道線)の方がホーム数も多いし、風格もあって立派な感じ。やはり先の列車に立ってでもほとんど乗ってしまったようで、乗車する人は皆無に等しい。この後も佐久平・軽井沢と停車したが、きわめて少数の乗車。せっかくの増発列車なのにもったいない。軽井沢も新幹線らしくない地平の気軽な駅。すぐ隣りに、新幹線開業で活気を落とした在来線のホームが寂しく並ぶ。端っこにはEF63形電気機関車が保存されていた。軽井沢と次の横川駅まで66.7パーミル(=6.67パーセント)という国鉄〜JR線としては日本一の急勾配を登り下りするために造られた「峠のシェルパ」である。新幹線開業により同区間は廃止され、バス代行となった。

 あさま号は再び豪快な走りで次の群馬県下の安中榛名(あんなかはるな)を目指す。わずか11分で到着。この駅は長野新幹線唯一の群馬県下にある貴重な駅だが、在来線の駅とかなり離れた場所にあって街から遠く、周辺にもほとんど何もなく、新幹線がひとりぼっちで停車する(しかも停車は片道あたり1日たった8本!)かなり寂しい駅。将来はゴルフ場やリゾート地へのアクセス駅として目論んでいるようだが・・。この列車も上りの朝一番として停車したが、やはり乗車も降車もなし。それでもわざわざ駅長がホームに出ていて(でも、駅員何人なんだろう・・)、ちゃんと発車の合図をしていた。

 安中榛名からわずかに8分、距離にして18キロで7:04に高崎へ。長野からの長野新幹線初乗車が終了。山岳地を走るにもかかわらずびっくりするほど豪快で超快速な走りが印象的であった。高崎からは既存の上越新幹線長野新幹線の起点駅なのでもちろん下車。あさま号はインバーターのサウンドを高らかに立てて東京に向けて発車していった。駅名標を撮影し、いったん上りの上越新幹線熊谷へ、ここで下りのたにがわ号を待つ。高崎で待つと1時間20分もヒマになり、時間つぶしのため。乗降り自由のフリーきっぷなので余計なカネも不要。高崎熊谷は新幹線なら片道15分、往復すると約30分ほど時間潰しができる。さて、熊谷駅に古びた200系のたにがわ431号がやって来た。スキーシーズンにはまだまだのようで、超ガラガラ。あさま号に負けない走り。谷川連峰を長いトンネルで抜け、新潟県下の越後湯沢駅へ。こんどは上越線の一部、通称ガーラ湯沢線の乗車である。これはわずか1.8キロの路線。だが、先にも書いたように冬季のみの運転なので「全線踏破(完乗)を目指す人」にとっては非常にやっかいな路線のひとつ。いちいち営業開始まで待たなくてはいけないのだから。ある意味、1日2〜3本のみの山奥のローカル線より厄介。好きな時に乗れないのだから。なお、季節路線でもJR線ならちゃんと踏破するのは、同じ趣味人の間では常識となっている。

 ガーラ湯沢線は扱いはあくまで在来線なのだが、実態は上越新幹線の延長。東京・上野からの上越新幹線たにがわ号がそのまま乗り入れてガーラ湯沢が終点(逆は始発)となる運行形態。したがって新幹線ホームから在来線ホームに移動する必要ななくそのまま乗っていればよい。いちおう越後湯沢駅での停車時間中にホームに降りたけど。ここからは「新幹線車両による在来線特急」という、マニアさんでも混乱しそうなきわめてややこしい扱いでトコトコ走る。新幹線とすると、特急料金が最低820円するのでそのためのややこしい扱いか。いくら何でも、たった1.8キロにこれを当てはめるのは殿様商売のJRでもできないのであろう。在来線特急なら最低100円の料金が適用できる。その代わり、上越新幹線から通しで乗ってきた客にも全員100円プラス。1.8キロだから越後湯沢までと同じ料金でいいですよ〜ではないのだ。なかなか、よく考えている?

 さすがに実態が新幹線なので「在来線」でも踏切などもなく、立派な高架のまま8:55に終点ガーラ湯沢駅へ。目の前はスキー場のまさに真ん中。しかし、本日はまだ積雪が少なくてスキー不可、無人状態!じつは乗る前にこの情報を知っていて、これではガーラ湯沢線も運休かな?と心配していたのだ。しかし鉄道の方はあらかじめ市販の時刻表に運行スケジュールを掲載したり、また車両を越後湯沢駅のホームに留める余地もないせいか無駄ながらちゃんと運行なのである。1ヶ月とか2ヶ月とかこの状態が長く続けば、さすがに考え直すのかもしれないが・・。というわけで、12両編成・定員1000人以上の新幹線列車から降りたのは私ひとり。たった1.8キロ・3分間とはいえ、珍しい新幹線列車の貸し切り。改札口から出て、本当にまったく無人の広い駅構内や駅前をぶらつく。

 ぶらぶらしていたが、次第に所在なくなり、結局ホームへ。早々と9:20発の東京行きたにがわ434号の客となる。時刻になって発車。やはり貸し切りだ。やっと越後湯沢から数十人乗ってきた。ここからは乗りなれた上越新幹線で、ウトウト。10:30に大宮到着。未明の出発と足の速い新幹線のおかげで、2線をクリアしてもまだ午前中。まったく余裕で残りの2線もクリアできそうだ。

 大宮埼京線武蔵浦和武蔵野線西国分寺中央線立川といういつものコースで11:30ごろ立川駅のホームに降り立つ。そして、中央線沿線住民となって何十回立川駅を利用しても、今まで行ったことがなかった青梅線・五日市線用のホームへ。中央線ではもうほとんど走っていない103系という古いタイプの電車が「奥多摩」という方向幕を出して待っていた。いかにも田舎・山奥へ行く電車という感じ。ホームも、中央線ホームよりだいぶノンビリした雰囲気。その青梅線奥多摩行きに乗って発車を待つ。立川11:45に発車。立川から30分の青梅付近まではベットタウンのため、平凡な住宅地が続く。それでも背景に奥多摩の山並みが見え、これからそちらに向かっていくんだという感じもするけど。青梅までは10両が可能でしかも1つ手前の東青梅までは複線だが、ここからは旅客列車は4両編成までしか運行できない単線のローカル線に大変化。下流の大河川がウソのようにだいぶ細くなった多摩川の左岸(北側)をトコトコとゆく。青梅線との間に常に国道411号(青梅街道)も挟まっており、なかなか河川すれすれまでは近づかないのがちょっと残念?なお、駅と駅の間にいくつか信号所もあるのが興味深い。貨物列車が走る際にここで行違いしていたと思われるが、じつは貨物はちょっと前に全て廃止された。現在では臨時列車が走る時くらいしか用がないかも。

 青梅から35分、だいぶ山奥まで来た感の終点・奥多摩駅へ13:09に到着。シーズンにはハイカーのメッカとなるらしく駅前は食堂やみやげ物屋が賑やかに並んでいる。さすが12月では閑散としているが、全てちゃんと営業している。同じ電車からこの時期にもかかわらずオバサン軍団のハイカーが30人くらい降り、駅前が急に賑やかになる。さすが元気で陽気なオバタリアン達!

 たった9分の滞在、13:15のおり返し立川行き電車に乗る。眠気を誘うようなトコトコ揺られることちょうど1時間で拝島へ。こんどは青梅線の途中駅、拝島から分岐する五日市線に乗る。これでいよいよ全線完全踏破(以後、全線完乗と書く)である。五日市線の終点、武蔵五日市駅ではきっと鉄研のOBや現役学生達が待っていることだろう。そんなことを考えながら、拝島駅で10分待つ。ここは青梅線・五日市線の分岐駅であるばかりでなく、八高線と西武拝島線とも出会う駅—ターミナルなので頻繁に電車が往来して鉄ちゃんにはたまらない。4つの路線全てが同一地平面・同一方向に並び、容易に電車の発着をホームから眺められる。

 そんなわけで10分はあっという間。いよいよ14:25に五日市線武蔵五日市行きがゴトリと発車。青梅線の4両より長い6両編成。兄弟のような線だから同じ4両かと想像していたので意外。住宅地と農地が適当に混じった、のどかな風景が続き、11.2キロを19分かかってついに武蔵五日市駅到着。ローカル線の田舎駅を想像していたら、なんと意外にも真新しい立派な高架ホームにすべりこんだ。駅舎は高架の下にあるようだ。意外さに感心していると、ホーム中央に見なれた人たちが数人いるのを発見。書くまでもなく法政大学鉄道研究会のOBと現役のメンツである!(法大は2回目の大学、最初に卒業したのは明治大)同じ電車で来るのかと思ったら、先回りして迎えの準備をしてれたらしい。さらには、なんとなんと、武蔵五日市駅長にまで迎えていただいた。全員から「おめでとう!」の言葉を贈られた。感謝感激!いや〜、なにかひとつのことを達成するのってホントいいもの・・とつくづく感じた。おまけに、駅長からはオリジナル・オレンジカード2枚を頂いた。駅舎建て替え前と、現在の建て替え後の駅の写真が図柄になった1枚づつである。こんなことは全く予想していなかったが。駅長にお礼を言い、記念品として大切に保管することとした。鉄道ファン人生約15年の中でもかなりのお宝品といっていいであろう。

 その後はたまたま現役学生の冬休み突入前の打ち上げ日と重なっていたので、これにみんなで同行することに。打ち上げ(宴会)ではもちろん私の全線完乗も紹介してもらった。そして、乾杯!

                             (終)

 ・1998年12月当時:JR線計158線・路線延長約1万9千キロ!

 現在、正確な合計キロを出すべく積算中。なおJR北海道の函館本線の一部が不明で、御存知の方お知らせ願います(七飯〜大沼間東回り、通称藤城線

 *ここまで長い文につきあって頂き、ありがとうございました。今後は海外旅行編をアップする予定なのでまたおつきあいをヨロシク!

  (1)最初は身近な東海地方へ。 (高山本線・名松線) (2)関西・山陰ウルトラ乗りつぶし旅 福知山線以下12線 前編  (3)関西・山陰ウルトラ乗りつぶし旅 後編(木次線・山陰本線など) (4)東北・落ち穂拾い紀行(釜石線・利府支線・石巻線ほか) (5)北陸地区完全踏破・周遊きっぷ初使用の旅(北陸本線ほか)   (6)真夏のお四国・乗りつぶし旅(牟岐線・予讃線ほか)

(7)冬の北海道・最後の4線乗りつぶし(日高本線・石勝線ほか)

 

(8)九州踏破の旅・写真館(後藤寺線・指宿枕崎線など)

 

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