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(1)最初は身近な東海地方へ

 私は茨城県出身だが、この当時から山梨県の甲府市でひとり暮らしをしていた。わざわざ山梨に来た理由はここでは省略するが、早い話が「Iターン」であり、別に転勤とか出向でここに来たわけではない。全く自分の意思である。JR全線踏破をするにはかなり不便な拠点といえる。理由は書くまでもないであろう。新幹線や空港と縁遠いからである。それでも旅行プランを工夫してなんとかやってみることにした。

 「決意の日」以降の踏破であるが、まずは身近に感じる東海地方の路線を踏破することとした。実際の距離的にはもちろん関東地方の方が近くて、JR東日本の烏山線とか久留里線になるが、東京のあの混雑を越えた向こう側ということで、私としてはそっちよりも西や南に進んだ東海地方の方が身近に感じる。山梨は関東ではなく、甲信越というのも影響しているであろう。

 JR東海で未踏破なのはわずかに2線区、高山本線美濃太田〜富山間(猪谷〜富山間はJR西日本)と名松線のみ。しかし全く違う場所に位置しているため、踏破はそれぞれ別の旅行で実施した。

*魅力的な高山の町—高山本線編

 1994年冬、青春18きっぷを片手に高山本線踏破のひとり旅に出た。コースは甲府−塩尻−多治見−(太多線)−美濃太田−(高山本線)−高山(1泊)/翌日高山−富山−糸魚川−(大糸線)−松本−甲府というぐるり一回りコースである。このプランでは高山本線の他、北陸本線の富山〜糸魚川間も自然に踏破できることになる。甲府を朝に発って、少しより道をしながら岐阜県の美濃太田へ。なお駅名は美濃太田だが、市は美濃加茂市である。当時13時50分頃発の高山行きキハ47に乗りこんだ。高山まで109キロほどだが普通列車に乗るとどの列車でも2時間半以上〜3時間近くかかる。特急「ワイドビューひだ」では約1時間半なので倍に近い。そのぶんじっくりと沿線を見ることができるであろうが。

 美濃太田は晴れ、雪も何も積もってないほどであったが、たった30分ほどの白川口付近で早くも雪が舞ってきた。のどかな盆地の冬景色から、一気に雪国へ。こういう急激な変化が高山本線の面白い点、みどころであろうか。席を立って運転台の後ろに行った。飛騨川に沿ってくねくね曲がる線路が手に取るようにわかり、また席に座っていては案外分かりずらい駅と駅との間の信号所も、簡単に分かる。この当時は非力なエンジンで重い車体を動かすキハ47、きつい上り勾配をあえぐように登り、高度を増してゆく。(現在はパワーアップしたエンジンを搭載しており、比較的軽く登ってゆくと思われる)飛騨金山・下呂(げろ)と過ぎてますます雪深くなってゆく。そして行き違いのため数分停車した駅が「渚」。こんな山奥になぎさとは、なんとも妙な駅名である。なぜに、こんな駅名・地名?ここもホームにまで雪が積もっていた。

 高山到着。冬なので日が短く、午後5時前で日没。この日は観光もせず、駅から歩いて20分ほどのユースホステルに宿泊。ひだ高山天照寺ユースホステルといい、お寺の宿坊を開放したものである。そのせいか20畳くらいある大部屋に布団を敷いて寝るのである。もっとも空いていて5〜6人でゆったり。

 翌日、かなりゆったりと高山の町を観光した。実は日本一周でも安房峠(松本〜高山間の非常に険しい峠)を越えて来たことはある。しかしこの時は私の興味が高山というよりは奥飛騨温泉郷にある多数の露天温泉風呂ということでほとんど高山の町は観光しなかった。クルマなので停める所がわからなかったせいもある。高山といえば非常に著名な「観光都市」であり、穴場好きのさすらい人にとって面白い所か?と思っていたし。季節も初夏の頃であった。・・・が、こんどの高山は、雪・雪・雪で非常に風情がある。わざとらしい観光施設もあるが、古い町並みにこれだけの雪でとてもロマンチック。あまり屋敷などの中には入らずに、雪道がつづく古い町をゆっくり歩いて半日をつぶした。あと、朴葉みそをなめたりと。高山本線に乗りに来たというより、高山に来た旅になったが、これもいいだろう。

 日曜日で「上りワイドビューひだ号、全て売りきれ」と張り紙のある高山駅をあとにした。あまり印象はないがもちろん高山〜富山と乗り、甲府に帰った。富山〜糸魚川間は初乗車だが、ほとんど日没後なので乗りつぶしはあらためてもう一度やることとした。

 というわけで、高山本線踏破の際はぜったいに冬にやり、必ず高山で一度下車されることをおすすめする。

 *ああ、なんと閑散!伊勢奥津。−名松線−

 翌年の春、やはり青春18きっぷで東海地方へ旅に出た。この時は名松線がメインではなく、関西地区の私鉄やJR線乗車が主目的であった。名松線は紀勢本線・近鉄線の松阪という三重県内の鉄道要所のひとつから分岐するので、少ない列車本数だけなんとかすればそれほど乗るのに難しいことはない。

 甲府からえっちらおっちらと松阪へ。ローカル線にしては真新しいキハ11の2両編成がお待ちかねであった。JR東海はローカル線が少なく、総路線延長も短くて車両数も少なくて済み、このような末端路線にまで新型車を入れている。

 時刻表の鉄道地図だけを見ていると、松阪以外には連絡する鉄道がまったくなく、しかも「伊勢奥津」といういかにも山奥のような所で行き止まりとなっているのでものすごいローカル線のように思えてしまう。しかし道路地図を用意するとそれほどでもないことが分かる。じつは、名松線のうち半分は近鉄に平行しているのである!(鉄ちゃんでも案外知らなかったでしょう!)松阪〜一志間は近鉄名古屋・大阪線にほぼ完全平行。近鉄の駅は松阪〜伊勢中川〜川合高岡が相当する。名松線から近鉄がすぐ脇に見えるというほどではないけど、約1〜2キロしか離れていない。ただし途中からは川を挟んで対向することになり、橋がないことには連絡できない。もともと名松線とは名張(三重県名張市)と松阪という意味であり、名張に達してしまった近鉄と同じような所を走っていても不思議ではない。

 松阪から乗った午後の下り列車は、意外にもけっこう混んでいた。下校の高校生で立ち客も多数。しばらくはわりと平坦な田んぼや畑の中をゆく。このまま終点まで?と思ったら、そんなことはなくて近鉄と離れる地点にある一志駅までに大部分が降りて乗車率4割くらいとなった。近鉄でも行けるのに、なぜわざわざ1日7.5往復の名松線なんでしょ?

 一志あたりから山に入ってゆく。家城駅で高校生らがたくさん降りたが、ここからも30人くらい乗ってきた。が、それも続かずたったの1駅、2駅先で大部分下車してその先は終点までかなり閑散。自転車代わりの短距離の足らしい。終点、伊勢奥津に降りたのは数人だけ。これだけを書けば超閑散ローカル線とはいえないであろう。たまたま混む列車を選んだのかもしれないけど、けっこう利用されている。JR東海一のローカル線とはいえ、場所が三重県なので北海道のローカル線とはさすがに段違いではある。でも、終点の閑散さは、北海道にも負けないくらいものすごかった。駅前に小さな集落があるが、まったく人気(ひとけ)がなくてゴーストタウンのごとくである。小さな、たぶん年寄り夫婦が経営しているであろう雑貨屋があったり、年季の入った無人のタクシーの車庫(電話で呼べばすぐに来るのだろうが)や酒屋などが一応ある。しかしまだ日没のはるか前、午後5時頃だというのにまったく人気も活気も何もない。年寄りしかいない集落というのはもう活動しない時間なのだろうか。本当に驚いた、ここ伊勢奥津であった。

 帰りの上り列車もなぜか家城付近だけ高校生で賑やかであった。あとはかなり空いていた。

                               (終わり)

(2)関西・山陰ウルトラ乗りつぶし旅 福知山線以下12線 前編  (3)関西・山陰ウルトラ乗りつぶし旅 後編(木次線・山陰本線など) (4)東北・落ち穂拾い紀行(釜石線・利府支線・石巻線ほか) (5)北陸地区完全踏破・周遊きっぷ初使用の旅(北陸本線ほか)   (6)真夏のお四国・乗りつぶし旅(牟岐線・予讃線ほか) (7)冬の北海道・最後の4線乗りつぶし(日高本線・石勝線ほか)

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