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(3)関西・山陰ウルトラ乗りつぶし旅
後編
*この旅のメインディッシュー木次線・芸備線・伯備線編—
(前編からつづく)
1月2日は、ユースホステルで寝坊して9時過ぎにのんびりとチェックアウトした。古江駅から一畑電鉄にて1駅で松江温泉駅、ここからバスで松江市街へ。11時頃まで松江の街をぶらぶら歩いた。以前にも来たことがあるけど、私好みの落ち着いた街である。正月なのでどこも閑散としている。
松江から宍道まで山陰本線で行き、宍道11:24発の木次(きすき)線・備後落合行きに乗車。新型キハ120の単行運転。木次線は昨日の三江線と共に山陰地方の名物路線として鉄道ファンや旅好き人間に有名。その理由は途中に日本では数少ない三段式スイッチバックが存在するからである。中国山地を横断する陰陽連絡鉄道のひとつだが、木次線はそれらの中でもかなり険しい場所を選んで峠を越えている。そのために三段式スイッチバックが存在する。私もまずはこれが楽しみである。
宍道を発車。カーブがやたらと多い路線で、新型車といえども時速40〜50キロくらいでしか巡行できない。今では純ローカル線であるがかつては広島〜松江間の鉄道での最短コースであったため、1日数本の急行列車が走っていた。当時の時刻表から参照すると、その急行列車でさえも木次線内81.9kmを2時間20分程度も要しており、なんと表定速度35キロ程度である。このカーブだらけとスイッチバックではその遅さもうなずける。現在は広島〜松江間には高速バスが多数走り、急行列車を設定する意味は全くない。なお、キハ120の普通列車では木次線走破2時間50分くらいで、新型車になってもかつての急行よりもぐんと遅い。これは途中駅で時間調整等が多いためである。
宍道から約40分で木次到着。この木次線の線名の由来となった駅である。行違いもないのに数分停車するので駅前に出てみる。別に大きな町というわけではなく、山間の静かな町。しかし和風の駅舎はわりと立派で見ごたえがある。
木次からもカーブと急勾配の連続でたいぶのんびり走る。いかにも高度を上げて山に入ってゆくという感じはするが。木次からの34.3kmを50分もかかって出雲横田へ。ここでも7分休憩。有名な駅構内のソバ屋は正月でも旅行者目当てに営業中。そして出雲横田から2駅で出雲坂根。このあたりにくると30パーミル勾配(1000mで30m登る、鉄道としてはかなり急な勾配)がずっと連続するようになる。出雲坂根でやはり7分程度休憩。運転士は急勾配に備えてブレーキ点検をしておりそのためらしい。あとエンジンを少し休ませる意味もあるのだろう。ホームの涌き水がおいしい。ここからがお楽しみの三段スイッチバック。休憩後に発車。まず出雲坂根駅は行き止りになっており、したがってバックで来た方向に走り出す。むろん駅はずれにY字型のポイントがあって備後落合方向に振り分けられて進行。30パーミルの急勾配を600mくらい走ってスイッチバック。これでバック運転が解消して順方向での運転となる。これが三段式スイッチバックである。あとは雄大な大カーブで30パーミル勾配を登る。三井野原停車。高原上の無人地帯で、休憩点みたいな駅。冬はスキー場が開かれる。さらに油木を経て勾配を登れば、終点備後落合、14:11着。宍道から81.9kmを2時間50分、表定速度わずか29キロの旅であった。またいつか乗りたい。
備後落合は木次線と芸備線のジャンクションという鉄道要所だけで、駅前には驚くほど全く何もない。雑貨屋で菓子パンでも買えるかと思っていたら大外れである。自動販売機だけはさすがにあったが。3分接続で芸備線・新見行きに乗車。芸備線は広島〜備中神代(びっちゅうこうじろ)間であり、昨日は広島〜三次間を区間踏破した。三次〜備後落合間が抜けて備後落合〜備中神代間をこんどは踏破する。なお列車は備中神代〜新見間の2駅間は伯備線に直通運転、新見まで行く。全ての芸備線列車が新見まで直通。
芸備線は急行用の間合いのようで、キハ58・28の2両運転。車体塗装は独特の緑濃淡色と灰色帯の組み合わせ。木次線と変わらないような急カーブ・急勾配をのんびりと走る。30分くらいの東城までが広島県(備後国)。これより岡山県下(備中国)。ここから国道314号と中国自動車道が寄ってくる。神代川に沿った狭い谷を鉄道と国道・高速道路で仲良く分け合って東進。道路の方はまあまあの交通量だが、鉄道の方は長大な芸備線も最末端区間でガラ空きである。そして備中神代到着。2分停車で駅前を見るけど、小さな集落があるのみ。駅もなんと無人。とても寂しい芸備線の終点である。事実上の終点は岡山県北西部の要所・新見(にいみ)であろう。2分停車後、伯備線に入ってスピードをあげて走り出す。次は布原。かつてはデゴイチ三重連の撮影地として有名であったSLファン集結地、旧布原信号所が現在は旅客が昇降できる駅に格上げされているのだ。しかし、時刻表を見ると本来停まるべき伯備線の普通列車は停車しない。伯備線の駅であるのに。停車するのは芸備線から(へ)乗り入れのディーゼルカーのみ。別に伯備線の普通列車が電車だから技術的に停車できないというわけではなく、昇降がきわめて少ないための合理化策である。他人任せのような伯備線ではある。布原、昇降なし。やっぱり信号所のままでいいのかも。そして新見着。
新見で24分待って伯備線米子行きに乗車。新見〜伯耆大山(ほうきだいせん)間の北部区間踏破へ。新見〜備中神代間はさっきの芸備線の列車で乗ってしまったが。伯備線も芸備線と同じく小さな町—伯耆大山にて山陰本線とつながっており、伯耆大山〜米子間は1駅間山陰本線に乗りいれている。特急やくも号は米子からさらに山陰本線を西にゆき、松江や出雲市まで直通運転している。伯備線(倉敷〜伯耆大山間)は陰陽連絡鉄道としては最重要路線で電化までされている。でも中国山地を越えるという宿命からやはりローカル線並みにカーブが多い。ディーゼルカーから電車になって幾分スピードは上がったけど。あと、難読駅がやたらとある。足立・新郷・生山・根雨と。正しく読めます?正解はあしだち・にいざと・しょうやま・ねう。なんだか、マタギでもいそうな山深い所というイメージが沸く駅名ではなかろうか。
伯耆溝口付近からは一気に米子平野へ直線で下る。そして伯備線の終点、伯耆大山に到着。そのまま山陰本線で1駅で米子へ。(現在は中間に東山公園駅が設置され、2駅目となる。)
米子から特急くにびき号で出雲市へ。今夜の宿は出雲大社近くにあるえびすやユースホステルである。出雲市駅からバスで20分ほどの所。かつては大社線で行けたのだが。ユースホステルとはいっても旅館の一部を開放しており、旅館に泊まった感じでいい。相部屋で旅館に泊まっている感じ。
*ついに山陰本線全線踏破!−山陰本線(仙崎線を含む)編−
1月3日は山陰本線全線踏破にチャレンジする。その後小野田線にも乗る予定。えびすやユース前からバスで出雲市駅へ。この路線バス、わずか6キロ程度の乗車なのに480円もの運賃を取り、異様に高い。出雲市からいったん松江までやくも号で移動。松江市街でキャッシュカードでお金を下ろすため。そして松江10:02発の特急おき3号に乗車。山陰ワイド周遊券ならではの特権。すでに30年近くも走っているキハ181系特急であるが、車内はリニューアルされてシートもリクライニングに交換ずみであり、そんなに悪くはない。これで益田まで移動。江津〜益田間は初乗車なので、自分ルールでいえば普通列車(各駅停車)利用となるのだが、接続の関係で例外的に特急にしてしまった。冬なのであまりのんびりすると日が落ちて車窓が見れなくなり、その方がデメリットが大きい。
おき号で益田12:43着。ここから原則通り各駅停車でゆく。2分接続で12:45発長門市行きが発車。車両は新型車キハ120。山陰本線では珍しい新車である。シーサイドルートを快走する。益田から3つ目の江崎にて島根県から山口県に入る。本州の西の果てである。城下町がよく残る萩市を通過、ここは日本一周で寄ったことがある。レンタサイクルでじっくり観光したが、すごく良かった。そんなことを思い出したりして列車は西へ。そして長門市到着。
長門市にてもうひとつの「山陰本線」に乗る。山陰本線といえば京都から幡生(下関のひとつ手前)に至る673.8kmもの長大な幹線であるが、もうひとつある。鉄道ファンは10人中8人くらいは知っているけど。それがこれから乗る長門市〜仙崎間わずか2.2kmの、通称「仙崎線」。仙崎は青海島と鼻先を合わせる半島の付け根。しかし青海島へのアクセス路線というわけではない。青海島へはバスが便利。(本土との間に橋がかかっている。)漁港の街・仙崎と長門を結ぶ生活路線である。接続が悪く、長門市で50分も待って仙崎行きが発車。キハ120の単行運転。車内は乗客数人のみ。狭苦しい街中の裏をゴトゴトゆくうち、たった3分で仙崎到着。なんと構内は長門市からのレールがそのまま、単線の1本行き止りのみ。漁港があるので昔は貨物扱いしていたのでは、そのために側線が何本かあるのでは?と想像していたら大外れであった。昔から貨物扱いはなかったようだ。駅舎はコンクリート造りで広くて、飾り気さえないが「山陰本線」にふさわしいけっこう立派なものだが。
7分後に折り返し、また3分で長門市に着いた。ふたたび本家の山陰本線で西を目指す。
こんどは15分ほどの接続。長門市15:58発下関行き。車両は黄色のキハ23の2両。山陰本線最後の区間はほとんどローカル線の雰囲気で、実にのどか。駅構内の配線などにはさすが「山陰本線」を実感させるものがあるが、それ以外はローカルムード。人気のない漁村をかすめ、浜辺を走り、半島があって浜をゆくと大回りになる区間は半島付け根を峠越え。だいたいこれの繰り返しである。それが1時間50分も続き、とうとう17:49に幡生到着。ついに仙崎線と合わせて676キロもの山陰本線を踏破した!下関まで行かずここで下車。
冬なので東日本ならばとっくに真っ暗な時刻だけど、九州にごく近い所ということでまだ日没少し前でいくらか明るい。だいたい1時間ほどトクになる。これから小野田線を踏破するが、そこへ行くまでにさすがに真っ暗になってしまうであろう。しかし、小野田線には名物電車クモハ42(後述)が走っており、日没後でも後でまた来ればいいということにして向かう。小野田線というよりも、名物電車が目的である。
幡生で30分ほど待ち、山陽本線上り普通列車に乗る。小野田で下車、小野田線に乗り換え。小野田線とは宇部線の居能という駅とここ小野田を結ぶ11.6kmの路線とさらにその11.6kmの線の途中にある雀田から枝分かれして長門本山まで結ぶ2.3kmの路線の組み合わせである。11.6kmの方が山陽本線の支線で、2.3kmは支線の支線といった感じ。ファンの間では通称は本山支線と呼んでいる。土曜を除き日中の運転はないという、純通勤通学ダイヤになっている。旅行者には日中の運転がないと不便であるが、この本山支線は全国の鉄道ファンやレトロファンに愛されつづけている。それは先に延べた旧型電車クモハ42がここで運転されているからである。なんと1933(昭和8)年製というおじいさん電車で、もちろんJRの電車では最古の営業用車両。「電車」ではなければ大正生まれのSLも九州に在籍するが、それは週末ごとにイベント用として走る機関車。こちらは2両のうち日によってどちらか1両だけ車庫から出して使うとはいえ、365日毎日、イベント用ではなく通勤通学のふつうの乗客を乗せて走っている。
そういうわけで、小野田線に乗って雀田へ。ここでおめあての本山支線に乗り換え・・・となるわけだが、実は今ここで降りても50分待ちとなる。その間に小野田線の終点、居能まで往復して小野田線の居能〜小野田間11.6kmを踏破。ただしすでにどっぷりと日は暮れている。まあ、仕方ないでしょ。折り返してやっと雀田で下車。
いました!お目当てのクモハ42が。車号は42006である。ぶどう色の車体のため、闇夜では目立つ存在ではないものの、窓ガラスから白熱の車内灯が漏れていてすぐにわかった。小野田「本線」と分岐合流するため三角形になったホームに1両、何の音も立てずに。車内に入ると、なんとオールドな雰囲気!大井川鉄道のSL列車で乗車した旧型客車に似た造りである。片側に20枚近く並ぶ長さ40cmくらいの小窓、昔の人の体格に合わせた狭い座席、文字通り網でできた網棚、カーテン代わりのヨロイ戸などなど。いやあ〜こんなのが現役とは、ととても感動。車内上部には車内広告の代わりにこの電車の経歴が掲げられており、また運転席の横にはらくがきノートが吊るされている。本来の通勤通学客が減少する一方なので私のような鉄道ファンや旅人も大切にしている姿勢が伺える。わざと古い電車のままであるのかもしれない。新しい電車に代えたら、外部の人が来なくなってすぐに廃線になりそうな経営状況なのかも。
J.Nさん撮影・提供 クモハ42
乗り換えて9分後に発車した。私の他に3人くらいしかいなく、タクシー1台で輸送可能な閑散ぶりである。釣りかけモーター特有のグーンという重々しい音が車内に響く。45〜50キロほどのスピードでわりあいノンビリと走る。線路状態はあまり良くなさそうな細道だが、昔の重い電車なので揺れが少ない。3分走って浜河内。乗降なし。さらに2分で終点、長門本山。付近にはアパートや住宅が若干並んでいるが、1日11本も電車が出るほど需要はなさそうな田舎である。行き止り線路の先は、道路を挟んで周防灘。昼ならば景色いい所かもしれない。
長門本山からの折り返しは、純粋なお客はないようで雀田から一緒に乗ってきた鉄道ファンらしき人と私のみ。また釣りかけの音を響かせて闇を走り、5分で雀田到着。とってもいい路線である。(その後ここは昼間にも踏破した。)
小野田線と山陽本線にて下関まで出た。さらに関門トンネルをくぐって小倉へ。ここ九州の玄関で食事など大休憩。小倉22:19発の臨時夜行快速・ふるさとライナー九州号の指定席車に乗車。山陽路を夜行でだとり、早朝の岡山で下車。
*この日も複雑な旅−伯備線・津山線・智頭急行編−
岡山に1月5日の早朝4:08到着。さすがにかなり寒い。駅構内でヒマをつぶし岡山5:53発の伯備線米子行きに乗車。伯備線は1月3日に北部区間の新見−伯耆大山間を踏破しており、今回は南部区間の倉敷−新見間を踏破すれば全線踏破ということになる。本来、倉敷からが伯備線であるが倉敷の駅前は何度も見ており、まあいいやということで岡山より乗車。山陽本線を快走して倉敷から伯備線へ。伯備線の南部区間は国道180号と共に高梁川に沿って敷設されている。河川はどこでも「道の母」であり、山地に谷を刻んで鉄道および道路が通せる状態にしてくれる。しかしながらこの高梁川、とても屈曲が多い。四国の四万十川もそれが多いことで有名であるが、こちらもそちら並みである。おかげで伯備線も右に左にカーブだらけ。高梁川は大河川で水量が多くエメラルド色が美しい悠々たる川であり、車窓はそれを見ながらで素敵であるが、輸送の点から見ればカーブが多いのは好ましいものではない。なお、日本一周で国道180号(岡山県岡山市〜鳥取県米子市、ただし岡山市〜清音村・新見市〜米子市間は伯備線と全く別のルートをとる)を走破したことがある。この時も高梁川のエメラルド色の悠々たる流れが印象に残っている。ドライブの際は適度なカーブは眠気防止になり、鉄道と違ってかえってあったほうがいい。
新見に7:13到着。北部区間は踏破ずみなのでここで下車。5分接続の姫新線に乗車。新見−津山間を区間踏破した。姫路−津山間はすでに踏破済み。眠くあまり印象なし。ただブルートレインにそっくりの色のディーゼルカーには驚いた。ディーゼルとしては珍しい色を使っている。まあ、なかなかいい色だと思う。
津山到着。津山線の急行列車・砂丘1号に乗って岡山へ戻った。時刻表では3両が所定編成なのに2両の増結で5両編成。それでもけっこうな乗車率であった。津山線の一番の「稼ぎ列車」かもしれない。
岡山で小休憩。山陽本線の普通列車で上郡まで行き、ここから智頭急行(ちずきゅうこう)に乗る。JR踏破とは無関係の第三セクター鉄道ながら、開業わずか1ヶ月後ということで新し物好きの筆者は真っ先に乗りたくなった。ちょうど今回、その近くを通るので乗ってみようとプランを作った。
智頭急行は上郡−智頭間56.1kmの新線で、上郡にて山陽本線・東海道本線と、智頭にて因美線と接続し、この4線を直通する特急列車が設定されて京都・大阪〜鳥取間の所要時間を飛躍的に短縮した。従来の山陰本線や福知山線および播但線が古くからのルートをそのまま用いており、地形的な理由などで改良が困難でスピードアップが不可能になっていた。智頭急行はそれらのバイパス線として新たに建設されたのである。大阪−鳥取間は従来約4時間だったのがなんと2時間30分ぐらいに一気に短縮。たいへん画期的な鉄道ということになる。
智頭急行の上郡12:15発智頭行き普通列車に乗車。新型ナントカ系の単行運転である。意外なことに大型のディーゼルカーである。智頭急行はバイパス路線のため地形や集落をまるで無視して山間をほぼ直線に貫くので、沿線のローカル需要はほとんど見込めないはずで、そのためキハ120並みの小型車かと思っていた。しかし、それよりひとまわり大きく、座席もかなりゆったりしている。上郡〜智頭間などの直通乗車を考慮しているのか?新型なので加速は電車並みによい。山陽本線からあっという間に分かれ、トンネルと橋梁の連続でうさぎ飛び。苔縄・河野原円心という下りてみたくなるような変わった駅名が続く。4つ目の佐用(さよ)にて姫新線とお見合いする。線路は全くつながっていないが。佐用から3つ目に宮本武蔵駅。う〜む、何という駅名。武蔵の出身地らしい。これで観光客がたくさん降りればよいが。その先にあわくら温泉駅がある。どうやら駅のすぐ脇に本当に日帰り温泉があるようだ。こんど来たら降りてみよう。ここから岡山・鳥取県境の峠となり、長いトンネルに入る。そして恋山形などというまた変わった駅名を過ぎて終点・智頭へ。なお、56.1kmの短い路線ながら岡山・兵庫・鳥取と3つの県を通過する。いずれの県も隅っこ・端であり、人口の多くない所ばかり。さらに地元住民の県を越えての往来も多くあるはずがないから、ローカル輸送はかなりきびしいものであろう。今回も各駅での乗り降りはわずかであった。ユニークな駅名が多いので、観光客が一番の客なのかもれない。
智頭から鳥取までは因美線で32kmであり、智頭急行の列車ならば30〜40分で走破するであろう。しかしなぜか接続がよくない。特急は直通するが、普通列車ではえらい冷遇である。智頭にて50分もヒマつぶし。役場前の図書館に行ったりしてヒマをつぶし、ようやく因美線列車へ。発車すると45分で鳥取へ。14:46に到着。17:00の列車まで大休憩。駅前の鉄道公園に行ったり、ダイエーで買い物をしたりと。これまで何度も訪れているが、県庁所在地なのに12万の人口であり、落ち着いていてけっこう気に入っている。
鳥取17:00発の特急エーデル鳥取号で浜坂まで乗車。前面が展望車となったサービス満点の特急である。今夜の宿は、浜坂ユースホステル。駅から徒歩30分。本当は隣の駅の方が近いけど特急は通過する。雪の舞う中どしどし歩いてやっと到着。ここではユースホステルでありながら冬季は高価なカニ料理の夕食が出る。これが楽しみでここに泊まった。当時1泊2食約7000円也(素泊まり・通常料理も可能)と、通常のユースホステルの約3000円アップであるが、もちろんそれ以上の値打ちはある。ユースだから廉価版だとバカにできなく、本当にカニ料理のフルコースが出る。カニ鍋・焼き物・揚げ物・酢の物・カニ汁・カニ寿司まで・・・。カニカニカニで大満足であった。ユースなので気軽に相席になれ、鍋をつつくことができる。この旅の最後の晩を飾るのにふさわしい、豪華夕食を味わった。
*いろいろ乗り換えて帰途へ
1月6日は踏破路線は全くなく、ただ浜坂から自宅・甲府までの約900キロをいろいろな列車に乗って楽しみながら帰っただけ。浜坂から城崎までキハ58・28の普通列車で移動。途中に餘部鉄橋があり、車窓のハイライトとなった。何回来てもいい所。香住あたりから温泉旅行や帰省していた客が大勢乗って超満員状態で城崎へ。ここで小休憩。城崎11:13発の福知山線回り臨時急行きのさき号で大阪まで3時間の旅。急行型電車167系4両使用で、なんとサボ(行き先を書いた鉄製の細長い板)がない代わりに車内から窓ガラスに行き先や列車名の大きなシールを貼りつけており、まるで団体列車。違う列車として走る時不便では?わざわざシールをはがさいと?と想像するが、余剰車両みたいで当分きのさき号専用らしい。有名温泉地発とはいえ、臨時なので半分程度の乗りであったが、意外にも大阪までわずか40〜50分の篠山口あたりから満席に。大阪への通勤圏でこのあたりから電車が頻繁にあるのに面白いものである。なんと宝塚でもけっこう乗ってきた。急行とは思っていないらしい客ばかりであったが。
大阪から米原までおなじみの新快速。米原から名古屋まで新幹線こだま号。これは名古屋からの特急しなの号の特急料金を「乗り継ぎ割引」で半額にするため、付き合いで乗っただけ。名古屋から塩尻までワイドビューしなの27号。塩尻から普通列車に乗車。やっと甲府、20:52到着!とてつもなく長い旅であった。
(終)
(1)最初は身近な東海地方へ。 (高山本線・名松線) (2)関西・山陰ウルトラ乗りつぶし旅 (福知山線以下12線) 前編 (4)東北・落ち穂拾い紀行(釜石線・利府支線・石巻線ほか) (5)北陸地区完全踏破・周遊きっぷ初使用の旅(北陸本線ほか) (6)真夏のお四国・乗りつぶし旅(牟岐線・予讃線ほか) (7)冬の北海道・最後の4線乗りつぶし(日高本線・石勝線ほか) (8)九州踏破の旅・写真館(後藤寺線・指宿枕崎線など) (9)最後の4線踏破、国鉄・JR線全線完乗の日
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