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北陸地区完全踏破・周遊きっぷ初使用の旅

 1998年4月28日から4日間、周遊きっぷを初めて使用して北陸地区の踏破の旅に出た。JR全線踏破を目指していた私にとって、北陸地区は未踏破路線が山盛り。まず北陸本線でさえ、敦賀〜富山間190.2キロを延々と残していたし、その他の支線も言わずもがなであった。このあたりはクルマではよく行ったことがあり、交通不便な能登半島の奥地へも足を伸ばしたことすらある。クルマで行ったために鉄道とは縁がなかったのだ。というわけで、今回はひたすら鉄道に乗りまくって片付けることとした。

 この旅では直前の1998年4月に登場したばかりの「周遊きっぷ」を利用した。それまでは北陸ワイド周遊券があったが、それは甲府発着の設定がなく、東京発のものを利用して指定経路のひとつにある中央本線〜大糸線〜北陸本線の途中から使用するという方法があった。しかしこれでは東京〜甲府間放棄となって無駄なうえ、もし北陸地区に米原方から入りたい場合、甲府〜富士間の乗車券を別途購入しないといけないデメリットもある。そうはいっても北陸本線敦賀〜糸魚川間特急・急行乗り放題という特権があり、やろうと思えば夜行急行「きたぐに」の下り・上りを利用して宿代わりにすることもできるメリットによりデメリットを帳消しにしてしまう使用方法もある。このワイド周遊券は1998年3月31日まで発売だったので、1ヶ月前前売り制度により4月下旬の旅でもじゅうぶん利用できたのである。しかし、ねだんを計算してみたら甲府発ではこんど発売の周遊きっぷ(富山・高岡ゾーン)の方が割安であり、「きたぐに」で一夜を明かす予定もないのでこちらにした。

 

 ゆき券・・・甲府〜(中央線)〜塩尻〜(中央・東海道線)〜米原〜(北陸線)〜金沢

 ゾーン券・・富山・高岡ゾーン

 かえり券・・富山〜(北陸線)〜糸魚川〜(大糸線)〜松本〜(篠ノ井・中央線)〜甲府

 

  これで、しめて14530円ナリ。今回は越美北線も踏破するけど、この区間の往復(越前花堂〜九頭竜湖)は現地で別途払いとした。甲府駅びゅうプラザで購入。

 1998年4月28日、甲府6:09発の中央東線松本行き普通列車にて出発。夜勤明けでまったく寝ないでそのまま旅に出たのでもちろん超眠く、さっそく睡眠時間にあてる。塩尻でのりかえ。28分ほどの乗り換え待ち時間に駅の立ち食いソバをすすって満腹に。塩尻駅のソバは全国でも有数のウマさ。もちろんソバの本場、信州だからであろう。満腹でより眠くなって中央西線の中津川行きに乗車。起きたら終点、中津川岐阜県中津川市)。さらに乗り換えて名古屋行き普通列車へ。途中の多治見で下車。ここから太多線・高山本線直通の岐阜行き普通列車にのりかえ。名古屋の混雑をパスするためのバイパスとしてよく使う経路。周遊きっぷはあらかじめこの経路にした。

 岐阜からはこの旅で初めて優等列車(特急・急行)に乗ることとする。岐阜12:32発の特急「しらさぎ7号」富山行きの自由席に乗る。乗るのは100キロに満たない敦賀までなのだが、じつはちょっと急ぐための他に目的がある。それは本来の北陸方面乗りつぶしの他に、東海道本線の別線、通称「新垂井線」にあらためて乗ることを兼ねているのだ。東海道本線は岐阜県内の大垣〜関ヶ原間において下り線は2つのルートを持っている。1つは、大垣〜垂井〜関ヶ原、1つは大垣〜(新垂井)〜関ヶ原というルート。素人の方にはなんで2つもあるの?と思われるだろうが、前者は「垂井越えという急な坂が連続し、蒸気機関車時代にはかなりの苦労をして通過していた。輸送上のネックとなり、ちょっと道程は長くなるものの勾配をぐんと緩くした後者の新線が戦時中に完成したのである。その後現在に至るまで特急・急行・貨物はすべてこの新線を通り、普通列車は垂井に停車する必要から旧線を通っている。かつては新垂井という駅があって普通も一部新線経由だったが、(それで通称・新垂井線という)1986年に駅が廃止され現在では普通列車では通ることができない。そこで特急で・・ということである。もっとも、九州行きのブルートレインに乗ったことがあり、その時に確実に通っているはずだが、夜間の通過であった。今回は昼間に通って車窓を見ようということである。

 「しらさぎ7号」は岐阜の次に大垣に停車。大垣発車直後から「新垂井線」めあてに、よく目を凝らして車窓を見る。大垣を出て2分くらいで垂井経由の線と分かれる。そちらは山の中を行き、こちらは山の後ろ(北側)を迂回してゆく感じ。勾配は緩和されているけどけっこうカーブが多く、特急でも70キロ程度で慎重な走行だ。車両が少し傾き、大カーブを走っているのがよく分かる。それが7〜8分つづいて関ヶ原駅の手前で旧線と合流。けっこう面白かった。「新垂井線」とはいっても現況はこちらがメインルートといえるかもしれない。列車本数がこちらの方が多いからである。大垣〜米原間は普通列車が1時間に1〜2本だけど、貨物はその倍ある。さらに新幹線が並行しているが、ブルートレインと特急が15本前後もある。

 関ヶ原を越えて滋賀県下に入り、米原(まいばら)に停車。ここでしらさぎ号は方向を変え(先頭車両が最後尾になる)北陸本線をぶっとばす。13:43に敦賀到着。同じ北陸本線の普通にのりかえ。ここで特急を降りたのは敦賀から先が初乗車となるからである。自分ルールにより新しく乗る線・区間は普通に乗って各駅を観察しなくてはいけない。

 敦賀からはまず北陸トンネル通過がポイントであろう。鉄道名所のひとつで、日本の在来線では最長13870mもある。新幹線を含めた日本の鉄道では第6位となる。トンネルに入るまではわくわくするが、いざ突入するとずっと闇の中で、それが10分も続くので早く抜けろと思う。それにしても約14キロとはかなり長い。よく造ったものである。これを抜けるとだんだんと福井平野に向けて降りてゆく。福井のひとつ手前、越前花堂(えちぜんはなんどう)にて下車。

 北陸本線を離れ、これからは越美北線(えつみほくせん)を踏破する。越美北線とはマニアさんにはともかく、素人の方には難解な路線名であろう。越とは越前(福井県の旧国名)、美とは美濃(岐阜県南部の旧国名)のことである。さらに北線とあるが、越前と美濃を結ぶ目的で造られたものの、諸事情により未然形に終わり「北線」と「南線」で分断されておしまい・・ということ。北線と南線の間にはJRバスが運行してつないでいる。また、南線はかつては国鉄・越美南線であったが第三セクターに転換され、長良川鉄道となった。越美北線越前花堂〜九頭竜湖間で全長52.5キロほどである。全列車が1駅間北陸本線に乗りいれ、福井始発・終着で運転。

 越前花堂の駅は福井のすぐ隣の駅、また北陸本線越美北線のジャンクションとはとても思えないほどの小さな規模でとても驚いた。改札口は無人。付近は工場が立ち並ぶ地帯なのだが、鉄道の利用者は少ないのか?駅の待合室に行くと、車掌が持っているのと同様の車内補充券発行機(=車内で切符を売るために携帯している機械)を机の上に置いた駅員がぽつんと座っており、どうやら昼間だけここに出前してきっぷを売っているらしい。JR西日本ではよく見かける方式である。無人駅に自動券売機を置くわけにゆかず、こうしているのであろう。ちょうどいいので越前花堂〜九頭竜湖間の往復乗車券を売ってもらった。ジジ〜とプリンターに印字された薄っぺらいきっぷが2枚出て、渡してくれた。

 

 15:04に九頭竜湖行きのディーゼルカーが2両編成でやってきた。隣の福井が始発なので座れないかな?と思ったらそうでもなく、ちゃんと着席できた。帰宅にはまだ早い時間のせいか。越前大野まではローカル私鉄並みに駅間距離が短く、ちょくちょくと停車しては走る。福井平野の末端部を貫くので適度の人口があるようで各駅ごとにぽつぽつ下車してゆく。7〜8キロ北側には平行して私鉄路線がある。京福電鉄永平寺線であり、そちらは日中でも30分間隔で電車を運転。それならば、こっちもせめて1時間間隔くらいにしてはいいかも・・と思う。現況では2時間半くらいに1本しかない。ただし、こっちは新型の車両を投入しているが。

 美山あたりから福井平野が終わってだんだんと山間を登ってゆく。そしてちょくちょくと停車しながら50分ほど走り、大野盆地内の越前大野に到着。福井をのぞけば沿線で最大の町、大野市の玄関駅であり、かなり下車。もっとも大野市といっても人口は4万ちょっと、それほど活気があるわけではない。駅前ではなく少し奥に行けば、福井県東部唯一の市、中心地として役所や商店が多くあるかもしれないが。

 越前大野発車。ここまではいかにもローカル線っぽい鉄道施設(駅、レールや線形など)であったが、ここからはちょっと見違えたような鉄道施設となる。越前大野〜九頭竜湖間は比較的最近の開業で、列車がなるべく高速で走れるように造られているためである。時々現れるトンネルもかなり立派で頑丈そう。線形は無駄な曲線がなく、踏切もできるだけ少なくしてある。この区間は1日7往復しかないが、もし北線と南線がつながって「越美線」が完成していたら、新型ディーゼル特急が120キロ運転でぶっとばすであろう。その意味では、ちょっともったいない。

 立派なレールの上を快走して終点、九頭竜湖駅到着。行き止まりのローカル線の終着駅ってたいていは無人駅で人気(ひとけ)がなく、ひなびてひっそりとした場末の雰囲気があるのだけど、この路線は正反対である。真新しいログハウスの新築駅舎になんと女性駅員(駅長?)、マイカーやバスがごったかえす駅前ロータリー。起点の越前花堂よりも、また越前大野よりもぐっと活気がある。これは別に越美北線と南線(現・長良川鉄道)をバスでつないで通して旅する人が多く、ジャンクションとして活気づいている訳ではない。連絡するバスは1日たった3往復!(冬は2往復)でとてもとても・・・。鉄道の客ではなく、多くはマイカーや観光バスの客がこの駅に寄り道しているのだ。観光センターなどがあって「道の駅」を兼ねているのかもしれない。ローカル線を風化させないために一役買っていて好ましいことであろう。

 往復きっぷを買う必要はなく、この駅で片道きっぷを買えたら・・と思ったが、折り返し福井行き列車に乗車。意外に客が多く2両で40人くらい乗っている。ゴールデンウイークの影響もあるのか。約1時間10分で越前花堂へ。離れ小島のホームに到着。500メートルくらいまだ越美北線専用のレールが伸びており、ここを徐行する。そして先に見える信号の所にポイントがあり、ガタンドゴトンと通過してここでようやく北陸本線に入る。 興味深いジャンクションである。こんな方式は他にあまり例がない。たいていはホームも本線のすぐ脇にあるし、また本線との合流(分岐)もホームを出てすぐだから。

 福井に到着してすぐに市内のユースホステルに直行。駅から徒歩8分ほどの福井県青年婦人会館ユースホステル。お役所っぽい色気もなにもない建物。しかし部屋は畳敷きで、布団を敷いて夜勤明けの疲れた体をぐっすり休めることができた。

 翌4月29日は北陸本線福井〜津幡間と七尾線だけをのんびり踏破した。時間的にはもっと踏破できそうだったが、「金沢」にハマッたためである。福井8:33発の普通列車に乗って北陸本線を北へ。急行型電車のモーターがうなり、急行時代と変わらない最高110キロ運転で快走する。途中の加賀温泉駅では「温泉」の響きに降りたくなったりした。そして金沢近郊のベッドタウン圏に入るけど、意外にもこのあたりから金沢中心部を目指す客が少ない。「みどりの日」で祝日であり、地方都市では土曜や休日に中心駅に10時〜11時くらいに到着する普通列車は、買い物おばさんや遊びにゆく少年少女でものすごく混むことがよくある。北陸本線は思ったより利用されていないが、鉄道が近郊の住宅地を通っていないせいか、または金沢駅が市街地から離れているせいか。たぶん路線バスがあってドア・ツー・ドアに近いそっちが便利なのだろう。

 金沢10:00到着。近代的な高架駅で、ホームは全面的にドームに覆われており雨雪の日にとても役に立ちそうだ。ここで下車。14:31に再び踏破チャレンジを開始するまで、最近の私の旅としては珍しく5時間近く「大休憩」した。

 大休憩の中身とは・・・まず兼六園へ。日本一周の時にも金沢を訪れたが、その時は金沢市内の駐車料金のあまりの高さに辟易して、兼六園も見ずにそそくさと旅立った経緯があった。狭苦しい城下町都市であり、クルマでの訪問に向いていないようだ。こんどは鉄道での訪問なのでもちろん駐車料金など無関係で自由自在。駅から「城下町金沢ぐるっとバス」という便利なバスが出ていてこれに乗車。定期観光バスとふつうの路線バスの中間みたいな役割で、市内のみどころをぐるっと一周しどこで降りてもよい。また次のバスで別の見どころを目指すこともできる。ワンマンのバスだが観光客相手に自動放送で逐次市内案内がある。案内放送を聞きながら15分くらいで兼六園へ。

 兼六園入園。ゴールデンウイークで一杯かな?と思ったらさほどでもない。あまりに広大なのでたくさん客が入っても拡散してしまうのだろう。2時間以上かけて園内をゆっくりじっくり見学した。別にこの道の専門家ではなく全くの素人だけど、とても素晴らしい庭園だと思った。高低差を生かして作った自然の力による噴水はなかなかのアイデアものである。

 じっくり見学した後は園内の茶屋でアイスクリームを食べてしばし休憩。まだ4月だけどけっこう暑いし、歩いて汗をかいたのでアイスがうまい。

 兼六園の後は、なんと金沢最繁華街の香林坊にバスで直行し、ゲームセンターで「電車でGO!2」にハマッた。はるばる金沢まで来てゲーム?と思われるかもしれないけど、じつは「電車でGO!2」が3月下旬に登場したてで、とても面白いので旅先でも頭から離れずにゲームセンターを発見すると直行してしまうのである。100円硬貨をいっぱい用意して1時間半くらいもここで過ごす。金沢の観光も課題だけど、また来れるところだし兼六園だけでいいや・・となった。バスの車窓から見た古風な町並みにもけっこう満足したし。ゲームでハマッた後は本物の電車に乗るべく、市内バスで金沢駅へ。

 金沢14:31の北陸本線富山行き普通列車に乗車。もと急行形電車がモーター音を響かせて爆走。3つめの津幡で下車。ここから能登半島内に伸びる七尾線を踏破する。七尾線津幡〜和倉温泉間59.5キロの路線で、主に金沢と能登半島の諸都市を連絡する鉄道であるため、津幡始発・終着の列車はなくてすべて金沢以遠始発・終着となっている。特急に至っては大阪・越後湯沢・名古屋始発・終着である。というわけで金沢からも乗れるけど、自分ルール「分岐・合流駅で必ず下車」にしたがって津幡から普通列車に乗車する。もっとも津幡駅は意外に平凡な駅であり、ジャンクションにしては活気もなく複雑な鉄道施設もない。

 津幡15:09の七尾行きが入線して乗車。3両編成の電車で少し混んでいて着席できない。発車してすぐに交流・直流の切り替え点(デッドセクション)にさしかかる。金沢〜津幡は交流の北陸本線を走ってきており(糸魚川〜直江津は直流)七尾線は直流のためである。運転席のすぐ後ろに陣取って切り替え点を確認。発車したてでまだ速度がついていないまま惰性走行になり、しかも北陸本線と分かれるために急カーブなので時速25キロ程度でそろりと通過。その後直流電流がモーターに伝わって猛然と加速、田園地帯を快走する。30分くらい走った高松でけっこう下車して座れるようになる。さらに45分走って終着、七尾へ。16:28に到着。能登半島に伸びる鉄道なのだが、あいにく海はまったく見えなくほとんど田園地帯で車窓はいまひとつ。地図を見るとずっと海岸から2〜3キロ程度離れて伸びている。海を見たければクルマで海岸沿いをドライブするしかない。

 七尾ではのと鉄道のディーゼルカーが待っており、2分接続で発車。1駅走って和倉温泉着。もちろん下車。七尾〜和倉温泉間はのと鉄道と共同運営している特殊な区間である。特急と急行は北陸有数の温泉地への便を図ってそのまま和倉温泉まで走るが普通は基本的に七尾でのりかえ。線路容量と合理化のためであろう。ちなみに「特急・急行・快速・普通」と60キロ足らずの支線なのに4つも種別が揃っているのもちょっとマニアさん好みである。とくに今は数えるほどしかないJRの急行は珍しい。

 北陸有数の温泉地なのに立ち寄らずに40分ほど駅構内で写真を撮って時間をつぶし、このままおり返す。また、和倉温泉から北へは能登半島の奥地へのと鉄道が伸びているがこれも無視。けっこう距離があって時間がかかるためとのと鉄道の運賃が高額なためである。かつては国鉄線だったが大赤字で見放され、第3セクター化されたのである。これでも赤字なのでどうしても高額な運賃になる。またの機会にしよう。和倉温泉から七尾まではやはりのと鉄道の車両に乗車。展望室つき「のと恋路号」という観光列車だがガラガラ。たった1駅間でも若い女性車掌が「切符拝見」にやってきた。七尾到着。7分待って特急「サンダーバード」に乗る。金沢から周遊きっぷの周遊ゾーン(特急自由席以下乗り放題)に入っているので少しでも乗っておこうという魂胆である。行きは初めての乗車なので普通列車でないといけなかったが、一度乗ればあとは特急でも急行でもよい。夕暮れの田園地帯を時速90〜100キロくらいで淡々と走る。130キロ運転ができる電車なのでもの足りないけど、白熱色の車内照明がいい雰囲気である。途中、羽咋(はくい)に停車しただけで津幡は通過し、金沢到着。またバスに乗って最繁華街地、香林坊へ。繁華街の中にある松井ユースホステル宿泊。金沢なのに松井とは、20キロ西の石川県松井市と混同しそうだ。ここは個人宅を開放しているユースで、地名ではなく松井さんという個人名からとったもの。外人さんにはまぎらわしいかも。民宿ふうで居心地いいし、交通もユースにしては至便である。金沢の定宿にしようか。

 金沢の夜はまた近くのゲーセンで電車でGO!2にハマッた。まだ練習段階であり、コインを大量に使ってしまった。上手になれば200円で30分も楽しめるようになるけど。

 翌4月30日、朝7時20分すぎにユースから外に出ると、休日ではないので通りは通勤ラッシュの車であふれかえっている。一台のタクシーを拾って金沢駅へ。「混んでますよ」と言われたけど、意外にもわずか10分で到達することができた。それで金沢7:37の特急「はくたか3号」に間に合う。バスなら間に合わなかったであろう。

 はくたか号でまずは富山へ。津幡〜富山間が初乗車となるので自分ルールでは本当は普通列車でないとアウチなんだけど、せまい富山・高岡周遊ゾーンで特急を使う機会が少なく、少しでも乗っておきたかった。倶梨伽羅峠も特急では100キロ以上で越えてしまう。富山県下に入り、8:17富山着。8:28の富山港線に乗って踏破。駅間距離がとても短く、走り始めたらすぐブレーキーになってしまう区間もある。車窓も狭苦しい路地裏をとことこゆくので、JRらしくなく地方都市の私鉄線みたい。車両はもと急行用の電車で、かつては北陸本線を110キロで爆走していたものなので似つかわしくない。山手線などで走っている通勤用電車の方が絵になりそうだ。富山港線はわずか8.0キロの全長でたった20分で踏破完了。終着の岩瀬浜は、さぞかし賑やかな港町で鉄道から船に積みかえる貨物(または船から鉄道へ)がごろごろしているのだろう・・と考えていたら意に反して貨物はなく貨車の行列もなく、行き止りの小さな構内であった。駅前も寂しいわけではないがそれほど賑やかではない。「富山港線」とは港湾鉄道を想像していたのだけど、だいぶ違ったようだ。

 おり返し電車で戻る。20分で富山に着いて、485系の特急しらさぎ号でわずか11分で高岡へ。しらさぎ号、最高120キロと思っていたら130キロで走っていた。速度が分かったのは増結車にガラス張りの運転室があってメーターが動いていたためである。ふつう485系電車では高運転台のために先頭に行っても運転士の足元しか見えないけど、この列車は7両+3両の10両編成となっており、3両の増結車の真ん中寄りだけは低運転台でしかもガラス張りとなっている。マニアさんには非常にうれしい車両である。

 高岡からは氷見(ひみ)城端(じょうはな)の2つのローカル線が分岐しているが、本日は氷見線のみ踏破。城端線は明日にする。氷見線高岡〜氷見間16.5キロの支線で、能登半島のつけ根の高岡から能登半島東海岸沿いに北上して氷見に至る線形である。時刻表地図では分かりにくいが、氷見から国道を30キロ北上すると七尾に至る。昨日乗った七尾線の七尾である。氷見〜七尾間にはわずかな本数だが路線バスもあるので、七尾線〜バス〜氷見線(または逆)とつないで踏破することも可能である。日本全国には行き止りの盲腸線がたくさんあるが、盲腸線どうしをバスでつないで旅行することがけっこうできる。時間がない踏破鉄ちゃんにはうれしい情報ではなかろうか。

 高岡駅で氷見線の列車を待っていると、ホームのすぐ前にたくさんの貨車が連なり、ディーゼル機関車がとても忙しそうに入換している。係員が緑色の旗を振ったり貨車の連結器を操作したり無線で打ち合わせをやったりしており、活気づいていて最近のJRの駅としてはかなり珍しいといえる。どうやら高岡駅は数少なくなった一般駅のようだ。一般駅とは旅客も貨物も取り扱う駅のことで、最近ではかなり減少している。旅客と貨物はそれぞれ別の駅(旅客駅、貨物駅)で扱うのが傾向になっているためである。

 貨車の入換を見ているうちに、氷見線の1両のディーゼルカーが入線。病院帰りの老人などで立ち客が出るほど。午前10時過ぎのローカル列車が混むのは珍しい方である。いくらなんでも1両は少ないのでは。ワンマン運転で発車する。高岡市街を縫うように走る。先の富山港線と似ている。そして2駅目の能町では、少し驚いた。なんと長い貨物列車と行き違った上、駅構内にも貨車がたくさん行列していたためである。氷見線に貨物が走っているとは思わなかった。駅周辺には製紙工場等があり、その製品や原料の輸送用であろう。高岡は北陸でも有数の工業地でありよく考えれば当たり前のことかもしれないけど。さらに進むと、伏木へ。旅好きの方なら思い浮かべるかもしれない、ロシアへの客船が出る伏木港の最寄駅である。春から秋まで、ウラジオストック行き・発のロシア船が着岸。本日は入港していないようで見えなかったが。

 伏木を出てしばらく行くと、ぱっと車窓が一変する。これまでの人工的な、こみいった街や工業地の車窓から、自然海岸の車窓になる。目の前には真っ青の富山湾が広がり、松などが生い茂る海岸が見える。崖からいきなり海に落ち込む険しい地形も時おり見える。浜は少ないので夏に海水浴客で賑わうことはなさそうで自然がよく残っていてよい。下車して眺めて、「バカヤロー」と叫んでみたくなる海岸だ。そういう風光明媚な所をトコトコ行った後、港町の車窓に変わる。そこが終点・氷見である。片道約30分、なかなか乗りごたえのある路線だ。

 おり返し列車で30分、高岡着。駅前の路面電車・加越能鉄道を撮影、そして乗ってみる。路面電車としては日本一輸送人員が少ないそうで、実際に見て乗るとその通りだと実感。高岡市の人口は18万人であり、路面電車の走る都市では最少。その程度の規模で路面電車が生き残っているのが不思議なくらいである。それでも市街地では各停留所ごとに数人くらいずつ乗り降りがあり、意外によく利用されているという感じだ。しかし、高岡の市街地を抜けて郊外に入るにつれ、どんどん空いてくる。走る区間は路面から通常の鉄道と同じ専用軌道区間になる。そういう頃「おっ!」と思わず叫びたくなる風景が目に飛び込んでくる。それは、なんとさっき乗った氷見線のレールである。それを陸橋で乗り越す部分もある。高岡駅前から能町付近までは氷見線と並行していることがあとで地図を見て分かった。高岡駅前を出てずっと500メートルくらい離れたまま並行しており、能町にて急接近しついに氷見線を乗り越して反対側へ向かう線形になっている。氷見線は北西へ、加越能は東へと向かう。

 最初は高岡駅前〜越ノ潟間12.8キロの加越能鉄道の全線を乗る気はなかった。所要が40分もかかるからである。しかし、ガラ空きの電車がかわいそうになり、結局終点の越ノ潟へ。静かな住宅地といった感じ。ここまで来たのだから、おリ返さずに富山まで行くことにする。ここから船とバスを乗り継いで富山駅まで行くことができる通しで利用する人は私のような旅行者くらいだろうが、高岡〜富山間の「裏街道ルート」ができている。というかかつては加越能鉄道のレールは越ノ潟から先に延びて富山まで達していたそうだ。富山港の拡張整備により、レールのあった所まで掘削されて鉄道は廃止された。その跡の代行船・バスというわけである。

連絡船「こしのかた丸」

 越ノ潟駅から歩いてすぐの所に「連絡船」の乗り場がある。くすんだ深緑色の小型船が待機中。いくらするのかな?きっぷはどこで買えばいいのか?と思案するが、待合室はあるけど切符売り場はない。地元のおばさんが切符を買う様子もないままどんどん乗りこんでいる。チャリンコごとの人もいる。よく分からないのでそのまま船に入ってしまう。船員は何も言わない。心配になって近くのおばあさんに尋ねると「無料だよ」とのこと。ほ〜、タダでっか〜と思う。それもそのはず、かつては陸続きであった土地が港湾整備によって人為的に離れ離れになってしまったので、土地の人に対してこのくらいはサービスしているらしい。なおこの連絡船は富山県の運航である。・・・しかし、無料の乗り物というのは、これまでの日本国内ではほとんど経験がなく、珍しいものである。

 いつの間にか出航。対岸までは地図では1キロくらいで、約6〜7分の旅。港湾内を横断するだけといっても意外に波が荒く、外洋を航行しているような感じもある。ほどなくして対岸の新明神という所に接岸。待合室の時刻表を眺めると、24時間運航とのことである。ただし両岸とも乗る人がいない場合は運休。それなら橋を架けた方がいいのでは?

 待合室のすぐそばには富山行きのバス停があるが、1時間に1本しかなく次の便まで50分くらいある。ヒマつぶしを兼ねて「廃軌道」をてくてく歩く。かつて加越能鉄道のレール跡で、きれいなサイクリングロードになっている。閑静な住宅街の裏に沿ってずっと続いている。しばらく行くと「駅跡地」らしい所にさしかかった。駅の遺跡はないけど、幅が広くなっているので分かる。どんな駅舎だったのだろうか。さらに進んで起点から「2駅先」まで歩いた。ここですぐ脇の県道を走るバスに乗る。廃軌道はしばらくバス道と並行しており、車窓から眺めることができた。その後見えなくなった。やがて、バスは富山駅前にすべりこんだ。特急ではたった11分だった高岡〜富山間だが、その10倍以上の2時間もかかる裏街道も存在していた。

 富山15:10発の特急「白鳥」に乗車。青森〜大阪間1023.5キロを走破する日本最長の在来線昼行特急である。すでに青森から長途走っているのに全くの定時運転でなかなか素晴らしい。これで50分ほどの金沢まで乗車した。鉄ちゃんとしては一度は乗り通したい特急である。

 金沢ではまた電車でGO!2にはまった。同じく松井ユースホステル泊。

 5月1日、最終日。本日はまず金沢駅からJRバスに乗車。金沢市と富山県の福光町を結ぶJRバス名金線で、これは周遊きっぷでフリー乗車できる。周遊きっぷでなかったら乗らなかったであろう。ともあれ、福光では城端線に接続するので金沢から(へ)のショートカット路線として便利である。

 金沢は朝のラッシュ時で、市街地を抜けるのに30分以上もかかり、かなりまだるっこしい。やっと抜けて、石川県と富山県の県境を目指す。山越えの峠道で乗客は数人程度になる。そもそも県境を越える一般路線バスというのも比較的珍しい。そして盆地に入って乗客を増やし、終点福光駅へ。金沢から1時間5分であり、鉄道では北陸本線城端(じょうはな)線を乗り継いで1時間半ほどかかる(乗り換え時間を含む)ので確かにショートカット路線である。

 福光駅から城端線下り列車に乗車。2駅で城端。おり返し列車には乗らず、町内をゆっくり散策する。何年か前の新聞記事で「水車の町・城端」が紹介され、一度ここを散策したかったのである。水車といってもかやぶき屋根とセットになったあの巨大なものではなく、地元の人がハンドメイドした小さなもの。かかっているのもささやかな流れのドブや小さな用水路などである。しかしここの面白い点は、ただの水車ではなく、水力の時計にしたり、人形を動かしたりといろいろと仕掛けがあるのだ。地元の人がアイディアを競っているのだろう。

 少し汗ばむほどの快晴の中、田園地帯を仕掛け水車を見ながらのんびり歩く。歯医者さんの家の横には歯ブラシが水力で動き、子供が歯磨きをする絵になる水車があったり、別のところには水力の時計台(時刻は合ってないが)もあってなかなか面白い。また、大きな農家の前にはケースの中のいくつかの日本人形が水力で動き回るというかなり豪華な仕掛け水車もある。他にもたくさんあり、どうやら100箇所以上あるようだ。これら水車は別に行政がブームを仕掛けたわけではなく、住民自身でいつの間にかブームになったそうで、その点が興味深い。もともと水路やドブや堀がたくさんあることが発端のようだ。すてきな町おこしだと思う。破損して動かなくなることのないように、これからも維持管理を願いたい。

城端名物、仕掛け水車のひとつ。水車につながれた軸により鬼の手が動く。

 ゆっくりしすぎてお昼過ぎになり、城端12:37発の高岡行きで城端線を踏破する。福光まではすでに乗車ずみ。急行形キハ58・28の2両で昨日の氷見線よりゆったりできる。車窓はあまりぱっとしないけど、各駅の造りがローカル線にしては大きくて豪華(?)なのが興味を引く。駅だけを見ていると北陸本線並みの造りである。富山県下というせいだろうか。「持ち家比率日本一」「ひとりあたりの家の床面積が日本一」という富山県内では、民家ばかりでなく官公署なども造りが大柄である。駅もその影響を受けているのであろう。そういえば富山や高岡の路面電車も幅が広くて屋根も高めでゆったりしている。岐阜あたりの路面電車と乗り比べるとよく分かる。

 高岡13:21着で、これにて長らく踏破地図に穴が空いていた北陸地区のJR線を一気に埋めることができた。整理してみると以下の路線が踏破完了である。

 北陸本線 米原〜直江津 315.1キロ(米原〜敦賀・富山〜直江津は以前に踏破ずみ)

  七尾線  津幡〜和倉温泉 59.5キロ

  氷見線  高岡〜氷見    16.5キロ

  城端線  高岡〜城端    29.9キロ

  富山港線 富山〜岩瀬浜   8.0キロ

  越美北線  越前花堂〜九頭竜湖 52.5キロ

                                     合計481.5キロ

 大成果!といってよいであろう。これで心おきなく甲府に帰ることができる。

 甲府に帰る前に高岡の駅前に出て、また加越能の路面電車に会っておこうと思って高岡駅前に行くと・・・あらびっくり、駅前には電車も車もバスも一切ない!なんと、ラッッキーなのだか何なんだか、年に一度の山車祭りの日なのであった。駅前から路面電車の2つめの停留所のところまで、交通は完全に遮断され、路面電車はそこからの運行となっているという。しかも、高さ6〜7メートルもの山車が通るというので、架線まで外されてある。道路の脇には外れされた架線が置かれている。そういえばどこかの鉄道雑誌にこの日のことが書かれてあった。架線を取り外す珍しい作業を撮影・見学するためにわざわざ遠くからやってくるマニアさんもいるという。私も一応カメラに収めておく。

脇に寄せられた信号機よりもぐんと高い山車。

 架線どころか信号機さえもどんどん外しており、十数人の引き手と共に巨大な山車がわがもの顔で何台も通りすぎる。高い場所には2〜3歳くらいの子供が乗っている。すごいっす〜と思う。この他に本日はメーデーであり、労働者の行進もあってものすごいお祭り騒ぎの高岡であった。本当は市街地を走る路面電車を見たかったのだけど、年に1日の日にたまたま当たるというのもけっこうな偶然か。

 高岡から鈍行を乗り継いでとぼとぼと甲府への帰路についた。(終)

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