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☆ 5月12日 午前 家庭の円満 万福寺住職 福島誠淨 氏 ①たぬき和尚の人生相談から、「なんでも相談寺」を開設しているが、相談者からの悩み事にも時代によって、嫁姑の問題→不倫の相談→離婚の相談(以前は30才代だったが40才代〜現在は70才代の場合もある)→子供の不登校→拒食症・過食症。などと相談内容が変わってきた。 ②今の世の中は、高齢化社会・少子化社会・国際化社会・情報化社会へと変わってきた。 ③人生80年時代 ④高齢化社会の問題点 ⑤戦後60年の問題点、物中心、金中心の時代になった。自己中心になった。智・徳・体が必要。⑥高齢者の心理 ⑦ぼけない方法、仲間つくり。気持ちを若く。よく読み、よく書く。よく笑い感動する。元気な間に出来るだけ旅をする。 高校の教師を退職後は俳句の選者・テレホン相談など幅広く活躍されて、お話も独特の軽妙なしゃべりは聞いている私達も時間が経つのを忘れていました。あっという間の2時間でしたが、人を笑わしながら話の中に知らぬ間に引き込まれていました。人徳と共に心の温かさが伝わって感心しながら、聞かせて頂きました。 午後 阿波の絵図 県立文書館 元文化推進員 羽山久男 氏 「村絵図と町絵図の世界」と題して、図書館や旧家に存在している江戸時代の絵図や写真が印刷されたレジメを見ながらの受講は、とても興味深く、徳川時代の階級の説明など、聞きながら高校退職後も研究に余念の無い先生のひたむきな日常を想像できます。 話が時々横道へそれていましたが、これも我々シルバー世代の受講生を退屈させないようにとの配慮であり、計算済みの演出?・・・ 5月19日 午前 南海道大地震 津波の体験談 海部郡海南町淺川 元公立学校教員 大田充治 氏 1、南海道大地震・津波とは? ①地震・津波宿命の地 浅川村(現 海南町淺川) ②過去の徳島県(淺川村)を襲った巨大地震とその震源地 ③過去の淺川村の津波の潮位碑について 2、南海道大地震・津波の実際(体験・見聞) 昭和21年当時の世相など、 宏観現象(スルメイカ等) ①私宅の場合 ②叔母宅の場合(従姉妹死亡) ③母の里宅の場合(祖父死亡) ④当日の村の様子 3、南海道大地震・津波の二次的被害 4、地震(津波)が発生したら 5、当時の村の被害写真(含地震・津波史跡等)の説明。大田先生が、小学校4年生(当時は尋常小学校)昭和21年12月24日未明におこった南海大地震と津波に遭遇して、避難生活の状況を話されました。今世紀に必ずおこると予想されている地震に対して普段から心がけておくべき事 ◎持ち出したい物はコンパクトにまとめておく ◎非難経路を考えておく ◎家族が離れ離れになったときに落ち合う場所を決めておく ◎家具やその他のものを固定したりネットなどかぶせておく ◎直ぐに飛び出さないように、テーブルやベットの下で揺れが止まるまで待つ ◎頭部を守るために何かを被って外に出る。 私は内陸部に住んでいたので、津波の経験は無かったのですが、家屋の倒壊や下敷きになった人の話など、南海道大地震のことは未だに忘れられない記憶として残っています。先生の体験談に耳を傾けながら、普段の心がけが如何に大切なことかを次世代に伝えていくのも大切な事だと思います。 午後 戦乱の世に浮沈する平島公方 郷土史研究家 吉見哲夫氏 1、公方(くぼう)とは、古くは朝廷のこと(天皇) 鎌倉・室町・江戸時代には征夷大将軍(幕府・将軍) ①鎌倉公方(相模国) ②古河公方(下総国) ③堀越公方(伊豆国) ④平島公方(阿波国) など、公方の説明に続き、室町幕府・・・足利尊氏と、阿波公方の関係を記した系図や、小松島市地蔵寺・西光寺その他、写真などを記載したレジメを見ながら、長時間を一気に説明される先生の疲れを知らぬエネルギーに圧倒されそうな雰囲気の中での受講でした。 「公方・平島館を去って約00年後の現在、赤池西光寺を訪えば、10代将軍義種、14代将軍義栄、初代阿波公方義冬をはじめ、歴代公方一族の墓が風雪に絶えて、静かな佇まいを見せ、戦乱の世に浮き沈みした阿波公方の面影をしのばせている。」「その時代に思いを馳せて、史跡探訪することは楽しい。」と言われた先生の言葉は、私も同じ感慨で心の中に深く残りました。機会を見つけて是非訪れて見たいと思います。 5月26日 午前 中国古典文学の世界 城西高校講師 平岡嘉泰氏 ◎美意識について ◎美への憧れとその創造 中国四大美女のこと 1、西施とその周辺 西施(BC495年頃) 春秋時代末期、呉越の戦いの時に、越から呉に贈られた美女の一人。その後西施は越の国に帰るがその後については二つの説がある。その一つは国のために尽くしたのだから、静かな余生を送らせた。もう一つの説は、用済みの女はもう必要はないので殺された。という二通りの説がありますが、ここで「美人薄命」という言葉が生まれたそうです。 2、虞姫とその周辺 虞姫(BC202年) 項羽晩年の愛妾。寵愛を受け陣中に伴われていたが、核下の戦いの時に没す。鮮血化して原上の叢となる。赤い花が咲き、これが虞美人草になったという伝説がある。 3、王昭君とその周辺 王昭君(BC30年頃) 前漢代十代元帝の時の宮廷の女官、山東省出身、17歳の時、父によって元帝に献ぜられる。胡の入朝するに及び、この時匈奴王呼漢邪単干の王妃として出国。父子二代の后として、一男二女を産み胡地に没す。 4、楊貴妃とその周辺 楊貴妃(AD756年没) 玄宗皇帝の寵妃。始めは長男壽王の妃で楊王環といった。(壽王の母は玄宗皇帝の若い頃の妃、武恵妃)武恵妃の亡くなった後、楊王環の美貌を知る。皇帝は壽王と玉環を別れさせ、勅命により貴妃とした。この時楊太真と改名している。貴妃21才、玄宗は56才であった。彼女が37才の時、安禄山の乱が起こり、成都へ落ち延びていく途中、馬嵬で没した。 傾国の美女として世界に名だたる楊貴妃の名前は私も、知っていたが息子の嫁であったのを、別れさせてまでして、父親の妃とした事をこの受講によって始めて知りました。レジメに挿入されている漢詩や漢文を、すらすらと読める先生の姿を見て、かなり勉強をされているなと・・・・中国文化の一つをとって「美へのあこがれ」と題したこの講座を最後にシルバー大学の受講は今日が最終日です。「美しいものへのあこがれ、美しくしようという気持ちは生きる力でもあり、生き甲斐の元にもなる」と結ばれました。 午後 意見発表会(生き甲斐について) |
☆ 6月2日 オリエンテーション・皆勤賞授与式 ※卒業を前にして受講生全員に記念品を頂きました ※皆勤をした人 石井勢津子・今柴有美子・富本藤子・新居すみ子・東野昌子・森章一・矢島竹乃・桑村芳夫・高倉トヨコ・松島肇(敬称略) 以上、10名が皆勤記念品を頂きました ※大村特別講師から講演 (一年間を振り返って) 午後 卒業祝賀会(御所温泉にて) クラス会に記載 ☆ 6月22日 卒業式 (徳島県郷土文化会館) 式次第 午前10;20〜 ◎開式の言葉 ◎君が代 ◎卒業証書授与 県下の全校から一堂に集まった卒業生491名の厳粛な卒業式が行われました。各校毎に一人一人名前を読み上げられ「はい」と返事、代表者が卒業証書を受け取りに壇上へ進み、飯泉県知事の「おめでとうございます」という言葉と共に立派な証書を受け取りました。 ◎大学校長式辞・飯泉県知事より祝辞のお言葉を頂きました ◎来賓祝辞 ◎卒業生代表答辞 ◎閉会のことば 以上。 卒業式が終わっても皆さん別れ難く、班ごとに予約しておいた会場に集まって、食事会などをしました。(クラス会活動の欄に2班の詳細は記入) |
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