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Paris, Bonn, Hamburg, London, Stockholm, Berlin, München, Innsbruck, Wien(1970年9月-10月) 初めての海外旅行でした.Paris に着いて泊まったのはHotel de la Gare d'Orseyで今は美術館になっている建物に泊まったのは思い出になりました.
Lyon 駅
Lyon 駅
Austerlitz 駅
Quay d'Orsey 地下駅のSNCF
今は美術館になったけど,当時はホテル
今も地下にはRER電車が走っている
宿泊したQuay d'Orsey 駅ホテルの
レストランで Michel Morganに会いました
ゴムタイヤの地下鉄,まだ札幌にはない頃です.
Paris のMetro
Metro車内
Bonnで撮った写真らしい,詳細不明 Berlinの壁は延々と続いていた. 別ページヘLink.
壁の東側
松浦 孝久氏による詳細な紹介があります.
壁の横の廃墟と化した建物
占領軍側の英語,ロシア語,フランス語で“君はアメリカ区域から出る”と大きな字で警告が書いてあり,同じ事がドイツ語は小さい文字で一番下に書いてある.
これは1970年
Geneve から Chamonix へ行った時の写真だと思う.
Train du Montenvers だとすれば France です.
初めての海外旅行で Aiguille du Midi へロープウェーで昇り,
さらに Pointe Helbronner へゴンドラに乗って着いたら
パスポートといわれてビックリ,此処は何処と訊いてしまった.
イタリアなので売店の値札が zero が沢山付いていて納得.
Euro になった今では昔物語.
今も変わらないWienの市電
Honolulu, Los Angels, SaõPaulo, Rio de Janeiro, Frankfurt, Venezia, Interlaken, Geneve, London, Paris(1978年3月-8月) Honoluluで2泊,Los Angels で2泊し Desney Land などを訪れ,それからSaõ Pauloへ行きました.Moge das Cruzes という Saõ Paulo から50kmくらい離れたところへ客員教授として行きました.3ヶ月ほど滞在しました.Saõ Paulo に住み Moge das Cruzesまで通いましたが,バスだと当時Cr$270なのが,電車だとCr$10と格段の運賃の差がありました.電車はステンレスの車体のが走っていましたが,ドアが閉まらないまま走っていることもありました.朝夕の都心方向へ向かうラッシュは凄じい様子でした.地下鉄は南北線だけでしたが,自動改札でなかなか進歩したものでした.北の方にあるLuz駅はドーム式の駅でそこと西の方にある Roosevelt 駅から Rio de Janeiro 行きが出ますが,昼行1本,夜行2本しかありませんでした.バスが発達していて Rodoviaria というバスターミナルからは Rio を含め各方面行きのバスがひっきりなしに出ていました.Rio de Janeiro と Iguaçu の滝も行きましたが,残念ながら鉄道関係の写真がありません. 帰りはヨーロッパを回りました.Rio de Janeiro から Frankfurt の便はさすがに日本人は他には乗っていませんでいた.一度 Brasil のお金に換えてしまうと戻すとき大変不利になるので飛行機に乗ったときにはUS$100くらいしか持っていなかったので Frankfurt の銀行で Pay on application でお金を受け取ったときはほっとしました.Frankfurt は空港から電車で中央駅まで行きました.市内の移動には市電を使いました. Venezia では空港でバスで行くかタクシーかと聞かれ,タクシーと言ったら荷物をどんどん海の方へ持っていってしまうので心配で急いで追いかけて行ったらモーターボートがいました.これがタクシーです.バスは乗り合い船です.何系統かありました. Venezia から Milano 乗り換えで Zürich に飛行機で行きましたが大幅に遅延し雨の夜となってしまったので止むを得ず,そこからタクシーで Interlaken まで行きました.今まででタクシーに乗った最高距離です。運転手はかなりの年齢のご婦人でした.Interlaken では Jungfrau Joch や Kleine Schådige など電車で行きました.Interlaken Ost から Bern 乗り換えで Geneve まで汽車で行きました.Bern の乗り換えは地下道からホームまでスロープになっていて, 子供たちが車付きの当時ではまだ珍しかったトランクを雀の学校みたいに押して行ったので列車の窓から首を出して大勢の人に見られてしまいました. スイスの写真リンク Paris と London は地下鉄には乗りましたが,London は友人の案内,Paris は Rent a car で Loire 地方に遠征したので電車は少なかった.
San Francisco, Mont Real, Boston, New York,
Washington D.C.(Bethesda), Baltimore(1980)各地の病院を見学して歩きました.New York では Mount Sinai Hospital で Malis 先生の手術を2週間ほど見学しました.Balimore から New York まで Amtrak に乗りました.Mont Real ではS先生とSupermarket へ行って水の中から Lobsters を捕まえて買ってきて食べたのが素晴らしく美味しかった.
Vancouver, Banff, Calgary, San Francisco (1981) Canada の鉄道に乗りたかったけど切符が取れなくて Vancouver から Grey Line のバスで途中Kamloops と言うところで一泊して Banff へ行きました.途中山間のループ式トンネルでは長いかなどの列車の頭と尻尾がはみ出している光景を見ました.下の写真はトンネルへ向かう貨物列車,上の矢印の頭から下の矢印の後まで延々と長い列車です.矢印のついていない写真は こちら から.
ヨーロッパとは異なり此処では大型の雪上車で氷河を見物しました.Calgary から San Francisco をまわり,定番でケーブルカーに乗りました.
Bangkok (1986) Asian-Oceanian Congress of Radiology Nov.16.1983.Bangkok
Singapore, Perth , Sydney(1987) Perthの気動車はリンクへ Singapore はまだ地下鉄の建設工事中でした.
西オーストラリアの Perth から Fremantle まで頻繁に気動車が走っています.
Fremantle はインド洋に面した Disney Land のような建物が連なった可愛らしい街でした.
Noumea(1989)
Berlin, Amsterdam, Bruxelles (1990) Berlinの壁 が1989年11月9日に崩壊した後の夏休みでまだドイツ民主主義共和国(DDR)が存在していた時期です.壁のかけらやソ連軍人の帽子や制服などを売っていて Brandenburg 門のあたりは賑わっていましたが,東側は交通量も少なくトラバントが走っていて寂しい感じでした.
Amsterdam は市内電車が良く発達しています.地下鉄もありますが旅行者には無縁な感じでした. オランダからベルギーへ入ると走る電車の色が変わります.
Bruxelles にも2本の地下鉄がありますが,特徴のあるものではありません.
プレメトロというのがあり,郊外から走ってくる Right Rail が,都心部で1本となり地下を抜けて行きます.末端では20分間隔くらいでも都心部では高頻度です..線路の外側に現在の形に合わせて低い小さいホームがあり,そこから乗降するのですが,線路の間に床の高い幅の広い壮大なホームが将来フル規格の地下鉄ができたときのために眠っています.
Cairns (1991) Kuranda 保存鉄道の写真はリンクへ
Nice, Monaco, Avignon, Paris Mont St. Michel (1994) T社のパックツアーです. Niceから Monacoへは電車で15分くらいだったでしょうか.自由時間に乗っていきました.王宮とCasinoと水族館しかありません.旧型の電車はがらがらでした.
Province 地方をバスで回って Avignon からTGV(当時はまだ高速線は達していないで新在直通という感じでしたが,ゲージが同じなのでスピードが違うだけです) で Paris Lyon 駅へ,翌日は 再び Paris Montparnasse 駅から TGV で Rennesまで行きそこからバスでMont-St.-Michelへ行ってかえって来るという強行軍.いずれも高速新線のできていない区間でもゲージが同じなので自由に新在直通ができるのは羨ましい.
Nice か Monaco か Monaco Monte Carloにて Avignon駅を通過するTGV-PSE Renneにて, TGV-Atlantic
Madrid,Sevilla, Cordova, Granada, Barcelona (1996)
これはパック旅行でAVEを使った.早朝まだ暗いうちに Madrid-Atocha 駅に連れて行かれた.
朝のAtocha駅-到着するAVE 朝のAtocha Atocha駅コンコース 出発を待つAVE AVEの隣にいちご狩りの古典車両 朝のAtocha
バスが止まった休憩所は鉄道の廃駅, 駅名標にはLuqueとあった.1,668mmの広軌が埋もれているのがよく見れば分かる.道路は反対側の駅正面側にある.
Lisboã,Wien (1997) Lisboã , Wien の写真はリンクをどうぞ
この旅行は友人夫妻と4人で出かけました.予約は Wien は Card 会社を通じてStaatsoper の直ぐ隣の Bristol を47%割引で; Lisboãの Hotel はRossio 駅に近い Tivoli と航空券は H.I.S.で:東京から ANA, London 経由で BA に乗り換えLisboã へ,Lisboãから Wien へは Lauda 航空で、東京へは ANA でという行路です.ヨーロッパ系のの航空会社を使う場合は同じ所へ戻らなければならないのでこういう場合は不便だ.
Staatsoper の予約はオーストリア大使館の Fax ガイドを見て郵便で直接予約,当日朝現地で引き取り,前から3列目の中央から3席目から4隻ととても良い席で見ることができました.東横線渋谷駅のようなLisboãRossio 駅から電車に乗り Sinta へ,王宮へ行ったら残念なことにイースターでお休み,そこでタクシーでロカ岬を回って Cascais へ,そこでのんびりと海を眺めてから電車に乗った.快速を途中で乗り換えて Belém へ行き,発見の monumento とBelém の塔に寄り,後は市電に乗り都心へ向かう.市電は窓が mesh 状になっているので中から外は見えるけど,外からは窓も目立たず Body 全面が広告になっているように見える.小さな広告をペタペタ貼った日本のバスより極めてすっきりした感じである.Alfama 地区にはクラシックな小さい市電が走っている.Fado は A Severa が良かった. ポルトガル旅行のリンク集 窓が網状でボディ全面の広告 有名な馬面ケーブルカー アルファマの小型市電 Wien はまず3日間通用の Netzkarte を買う.市電の一番から Schottentor で38番に乗り換えてGrinzing へ行った.そこから 38A のバスで Kahlemberg の丘へ行った.戻って Grinzing でホイリゲへ寄り,帰りは Heiligenstadt から U-Bahn で帰った.Schönbrunn や Belvedere の城は地下鉄と市電で回った.
Opera は Rosenkavarier(薔薇の騎士),前述の良い席でした.
budapest へは,バスで行きましたが,ハンガリーの平原をひたすら走る感じでした.
Budapest
王宮からDonau川にかかる
Margit橋の上を行く市電を見る
Roma, Firenze(1997) Firenze S.M.N. にて Roma Termini
Athens, Bruxelles, Brugge, Antwerpen, Amsterdam (1998)
アテネ市内は無軌道電車いわゆるトロリーバスが全盛,丁度カーニバルに巡り合い小さい子が七五三みたいにおめかししてお祭りの店が出た広場に集まっていました.夜は若者で街がいっぱい,島に行ったりして駅を見る機会はありませんでした. リカビトス Lykavitos のケーブルカー,全線地下トンネルだ.
Amsterdam Skipol空港駅で TwoBruxellesと言ったつもりが To Bruxelles になってしまい,左の補助券を切ってもらう羽目になった.ただし国境の駅まで,ベルギー国内にはいるともう一度補助券を買った.下はBruxelles から Antwerpen までの切符.
Thalys-PBA & TGV-R at Bruxelles Midi ブリュッセル南駅にて At Bruxelles Midi ブリュッセル南駅にて ブルージュ駅,ここはフラマン語圏なのでブルッヘが現地音. アントワープ駅,こちらも同様にアントウェルペン.
Sep. 13 to 20, 1998: La Jolla & Las Vegas
グランドキャニオンで急に汽車が現れて驚いた. Grand Canyon Railway という鉄道があることを後で調べた.Williams Depotというところから毎日10:00発と言うことで簡単には乗りに行くことが出来ないようだ.
Apr.23 to May 2,1999: Washington D.C., New Orleans & San Francisco予約 航空機:H.I.S. Hotels: New Olreans は学会を通して、他は国内のホテル窓口(アメリカのホテルに直接 Fax したら日本の窓口から返事が来た。) Washington D.C.は NATO 40周年記念式典とかで町中はものすごい厳戒態勢大統領官邸屋周辺の軍施設はバリケードで固められ入れない。観光バスもモール循環以外は動いていない状態、ホワイトハウスも前にテントが張られて頭しか見えない状態でした。
Union Station の地下はビュッフェなどが沢山ある.写真は Amtrak Metroliner. New Orleans は4月25日から学会のために4日間滞在しました。昔を偲んでいるのか空港内の表示は英語、スペイン語の他にフランス語でも書かれていました。(長野新幹線も Olympic の影響でフランス語の表示がある.) アメリカの学会の Opening Party の派手さにビックリしました. Mississippi 川の ShowBoat は Dexyland Jazz を演奏していて雰囲気は楽しいものですが川の周りは工業地帯で、鯰の料理はご勘弁願いたい代物でした。Internet で探し見当を付けていったのですが Escoated Walking Tour と言うのがあり文字通り French Quater と呼ばれる街を歩きながら説明を聞きレストランで食事をし、Bourbon street を歩き Jazz spot に入り、最後に Cafe du Mond に寄るというコースで興味深いものでした。 欲望という名の電車 として有名な St. Charles Streetcar は約10kmの走行区間ですが、昔は Desire と呼ばれる繁華街まで入っていたのでそのような標識を付けていたようです.Riverfront Streetcar は1988年からと言う新しいもので、低いホームからでも車椅子を持ち上げる設備がついていました。最後は Reception & Dinner のあと夜遅くまで Snug Harbor という Jazz House を enjoy しました。 Home-page を覗くと program を見ることができます.
New Orleams St. CharlesStreetcar
Vivien Leigh と Marlon Brando が競演した往年の名画 "欲望という名の電車 A Streetcar Named Diesire",かって街の中心部の歓楽街で Desire という場所まで行っていたのだと思う.New Orleans Riverfront Streetcar 帰りに1泊した San Francisco は昼間は暑くて半袖が適当という感じだったのに、5月なのに夕方になったら厚いコートを着た人が沢山いてビックリしました.例のケーブルカーで Fisherman's Wharf に行った帰りはコートなど用意していなかったので寒さに震えました。
Praha , Dresden, Berlin (1999)
再度友人夫妻と4人で旅行,航空機と Berlin と Dresden,Prahaの Hotelはヨーロピアンツアーズで予約,Praha のホテルを電話などでうまく予約できなかったので時間的余裕もなく結局旅行会社に頼むことにしてしまった.Praha-Dresden, Dresden-Berlinの列車指定席はインターネットでドイツ鉄道から直接購入した.あらかじめ指定席を取ってあるというのはとても安心感があって楽でした.Prahaの街中では殆どロシア語の看板が見あたらない,駅だけはチェコ語,ロシア語,ドイツ語の表示でした.ガイドも英語ガイドが全盛の感じでした.街もすっかり落ち着いて物資も豊富のように見受けました.私のチェコの友人も日本へ留学していた頃よりはかなり恰幅が良くなり TOYOTA に乗っていました.
Vltava (モルダウ)川に映る市電の眺めは素晴らしい.
プラハからの列車の指定席番号の付け方は少し複雑でしたが,ちゃんと隣り合った席でした.地下鉄に乗るためのエスカレーターは極めて高速で尚かつその上を凄い勢いで走り降りる.エスカレーターの上で強盗に挟まれるとどうしようもないという話も聞きました.
私は Praha hlavni nádrasi(プラハ主駅)の写真を取り損なったのですが,Sora さんのページにPraha hlavni nádrasi(プラハ主駅)とPraha Holesovice駅の写真があります. SoRa TRAVEL 2003 EURO から Vienna へ向かうところにあります.Praha のところは市内の写真です. 2006年Praha発Wien行きスメタナ号.
プラハ中央駅(Praha hl.n.) プラハ市内電車 日本で言うモルダウ川Vltava 国境に近い Ustinad Labem hl.n.
DresdenのElbe川に沿う歴史的な街は復興の槌音高くという印象でした.めちゃめちゃに空爆された町なので本当に戦災から残ったのは僅かな部分の筈ですが,何処までが戦後作られたのか分からない感じです.右の絵の王者の行進は戦災から免れた数少ないものだと言われます.但し駅前からの遊歩道は東独時代の何の趣もない建物で埋められていました.市電は便利で利用価値があります. Berlin:今回は東側に泊まりましたが,大変賑やかで活気がありました.かって検問所があり暗かった Friedliches Straße 駅は明るくなり,食べ物やさんが所狭しと並んでいました.長距離の切符売り場はあるのですが,1日券などの近距離切符は売場が直ぐには分からず通りがかりの人に訊いても知らないようで,結局自動販売機が S-Bahn のホームの上にあったので,探すのに苦労しました.西側には主なバス停の所などたくさんあるようです.ABCZone の一日券を買い Potsdam へ行きました.
Potsdam
Potsdam 駅前から695のバスに乗り,Schloß Sanssouci へ行く.Potsdam 市内を回り, Schloß Sanssouci から,戦後の日本の運命を決めたPotsdam 会談が行われたSchloß Cecilienhof へ行くのにはほぼ20分毎に来る695番のバスに乗り Reiterweg/Alleestr. で道路反対側の694番のバスに乗り換えれば乗り換えも含めて23分くらいで着くということまでドイツ鉄道のホームページでわかる.実際にその通りでした.Schloß Sanssouci 周辺にはレストランがないので,朝早く出かけて昼頃にはSchloß Cecilienhof へ着くようにすると,レストランの他に軽食をとれるところもある.ちなみに Potsdam は Berlin のABC-Zoneの一日券の範囲である。 AB-Zone には含まれない.
Berlin市内 ABCゾーン用の24時間通用の5人までのグループ券,もちろん1人用もある.
道路上の主なバス停や S-Bahn のプラットホームの自動販売機で買う戦後の日本の運命が話されたポツダム会談が行われたSchloß Cecilienhof. Potsdam conference は1945年7月17日から8月2日まで Truman, Churchill, Stalin3巨頭により行われた.
Palermo, Taormina, Alberobello, Roma (1999)
これは近ツリの歳末格安ツアー,全食事付きの丸抱え,Hotel も Roma でのロケーションが悪かった以外は場所も良く部屋も悪くなかった.池田さんというガイドさんがとてもきびきびしていました.Palermoのスーパーへ行ったら会計の行列が長く能率が悪いので閉口しました.冷えたビールは売っていません.結局買うのを諦めて bar で飲みました.案内書にあるような名所へ行きました. ↑日本ではもう見られない航送連絡船
(Villa San Giovanni-Messina)本土へ渡るときにFSの連絡船とすれ違いました. Villa S. Giovanni の広い構内を眺めてバスは走りました. Alberobello 南東鉄道という私鉄が走っているはずですが,団体旅行の悲しさ,見ることは出来ませんでした.
Baliから南東へ Alberobello, Gagliano, Tarant などへ向かう南東鉄道 FSEは http://www.ditutto.it/fse/ で ORARIO FESTIVO 時刻表が出る.イタリア鉄道の時刻表でも Bari Centrale からの時刻表を探索できる.Sunday, October 21, 2007
2000-2003
2004-2006
2007-
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