このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
俳 人
子日庵一草
一草の句
仏仙に俳諧を学ぶ。初号也鳧
(やふ)
庵。別号時雨房。
黒沢尻または鬼柳の出身といわれる。漂泊の俳人として全国を歩き、蕉風運動に尽くした。
天明元年(1781年)、秋田の
吉川五明
を訪問。
天明3年(1783年)、再び
吉川五明
を訪問して、越冬。
初めて京に上る時、
夏目成美
に紹介状を求めている。
南部の一草 、はじめて京へゆく。「しれる人のもとへ状書てそへよ」といふにしたゝめつかはすとて
夜すゞみやかならず袂ひくあらむ
『成美家集』
寛政元年(1789年)10月12日、潮来の長勝寺に
時雨塚
を建立。時雨坊と改める
旅人と我名よばれむはつしぐれ
寛政4年(1792年)、一草は秋田の
宝塔寺
を訪れ、五明が建立した芭蕉の句碑を見ている。
四つ五器のそろはぬ花見こゝろ哉
寛政5年(1793年)、時雨塚建立記念句集
『潮来集』
刊行。
寛政11年(1799年)3月8日、一草は
恒丸
と共に兵庫に向かう。
文化5年(1808年)10月12日、一草は義仲寺の時雨会に参列している。
「
猿も小蓑をほしけなり
」とのたま
ひし、其みのゝ切を伝りもちて、け
ふの精廟の会式にあふ
摂津兵庫
南無時雨ふるきに蓑をきせ申
一草
『しぐれ会』(文化5年刊)
文化12年(1815年)、
吉川五明
十三回忌の追善句集
『小夜志久麗』
(尋風編)。子日庵一草 跋。
文政2年(1818年)11月18日、88歳で没。
明治26年(1893年)、
正岡子規
は「はて知らずの記」の草案「波手志羅須記準備稿」に一草の4句を選句している。
北上市の
中央児童公園
に子日庵一草の句碑がある。
萩見つゝをればそなたに月出る
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