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栗田樗堂

『樗堂俳句集』


 跋文に「われもむそちにかたむきて」とあり、巻末に「文化丙寅孟夏 寒桃三千雄写」とある。「文化丙寅」即ち文化3年(1806年)頃に成立したようであるが、「信濃の柳荘耳順賀」とあり、「柳荘耳順」は文化7年(1810年)と推定される。

尋常一様窗前月、纔有梅花敏不同。樗堂氏が家の集、世の梅月を同しうするものとおなしからず。芒の糸の長くさびわたり、萩の露のよく栞して、常に古人とこゝろを同しうす。

   寛政六年きさらき二十八日

尾張 朱樹叟士朗

   春 之 部

庵の春頓阿西行に餅すへむ

   睦月十六日 山越の里 に節會櫻を見
   る

梅かさすけふ暇あり聟か禮

うしろより今宵も出たり春の月

   和歌吹上をわたる

吹井潟春かせ白し蟹の甲

   粟島の社頭に船をとゝむ

わらはめか海苔かく袖やむかし雛

    暮雨叟 洛のやとりに没せられしと
   聞て唐水のもとに申つかはす

春いつれ見てのうつゝと聞うつゝ

   須磨浦懐古

芋植て猪追ふ須磨の遠火哉

   洛東 西行庵

骨と見るものもなし何を呼子鳥

   波瀾句合

おほかたは散初て花の盛り哉

   落花所思

花さかり散より外はなかりけり

鶯やひとり深谷の松に啼

   信濃の柳荘耳順賀

よい春に成けり木曽の松さくら

    庚申菴 に春を迎ふ

元日の目に何よりや麦畠

   如月のはしめ庚申菴いさゝか変事
   ありける時

老の春数珠くりかへせ千代の数

   悼 二柳 老人

名に古きさくらは花に散にけり

   獨行

初さくら盛は花に譲りけり

草の戸のふるき友也梅の花

   夏 之 部

木を立て其のちは見へす閑古鳥

   洛の仮居に 暮雨叟 を訪ふ

ほとゝきす都の空を枝折かな

    鞍馬寺 の帰るさ黄昏貴船にいつる

古は魂か茂み暮行貴船の火

   下京

月残る浅瓜白し市の露

   送信中正阿

野に山にこゝろは置なほとゝきす

短夜を人の閉さぬ戸口かな

   秋 之 部

   蕉雨 一周忌

めくる日や逆さま事の墓参

しら波の上まて露の夜明哉

   冬 之 部

   寛政五とせ癸丑冬芭蕉翁百回の遠
   忌を湖南の廟前に詣禮し侍りて

生れ逢て其日をしのふ枯尾花

霜の夜の鼠來てふむ枕かな

礒ちとりつめたき足も只置す

   祐昌法師 義仲寺 にて身まかれるを
   悼む

外ならぬ終り所や枯尾花

   御手洗の浦に旅寐して

蛸壺の蛸も出て聞ケ初しくれ

初冬此日此地にありて 誰彼塚 に詣すことしや晋子嵐雪の両先哲ともに百周の正當なりとそけに紅葉ちりしく閼伽井の一滴を汲分つゝこなたを拝しかなたを礼しけるに旅の麻衣袖猶寒く風雅の冥慮を仰きて旧をおもふこゝろしきりなり

呵れた人達こひし翁の日

   文化丙寅孟夏 寒桃三千雄写

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