このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

俳 人

除風
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 備中倉敷の真言宗の僧侶。初め 嵐雪 の門人。のち 支考 門。別号南瓜庵。一夜庵。百花坊。

 元禄11年(1698年)5月8日、各務支考は除風庵を訪れている。

狂客三人除風庵にこみ入。あるじの僧は外にありておどろき歸る。そのよろこび面にあらはれて、心ざし又他なし。


 元禄13年(1700年)、除風は浪花から船に乗り明石に渡る。嵐雪は餞に風呂敷を贈っている。

   浪花より船にのりて明石にわたる乘合あまたにて

みしか夜を皆風呂敷に鼾かな
   除風

   除風行脚のはなむけにふろしきをくるとて

芝に寐は此風呂敷や枕蚊屋
   嵐雪


 元禄13年(1700年)、助叟は除風庵を訪れている。

   除風庵にあそひて

冷汁の草を見立る庵かな
   助叟


 元禄13年(1700年)8月、 『青莚』 (除風編)刊。 諷竹 序。

 元禄16年(1703年)、讃岐に行脚。

 宝永元年(1704年)7月15日、南瓜庵の傍らに 「千句塚」 建立。

「千句塚」


 宝永元年(1704年)9月、『番橙(ザボン)集』(除風編)刊。

 宝永元年(1704年)、 『千句塚』 (除風編)刊。 許六 序。自跋。

 宝永2年(1705年)3月、魯九は長崎に旅立つ。南瓜庵を訪れている。

 宝永3年(1706年)、山崎宗鑑の遺跡である讃岐観音寺の 一夜庵 を再興して定住する。。百花坊と号す。

一夜庵


延享3年(1746年)、80歳で没。

昭和6年(1931年)3月、 除風の句碑 を建立。



眼をこゝに開くほとけや千々の花

除風の句

新佛の箔のひかりや梅の花


うくひすの足にやこハき松の肌


鉢いるゝ家は犬ありもゝの花


鶯の終になかぬがあれを聞きや

   湖上落花

うつ波に花のよするは寄るはの


咄しきく中に鼾や朧月


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