このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 

 

 

2日目(ハンブルク⇒ベルリン)

 

 夕方までは市内観光。それからハンブルクを後にしてベルリンへ向かう予定である。中央駅のコインロッカーで荷物を預けていざ出発。目指すは倉庫街。メンケベルク通りを歩き、まずは市庁舎へ行く。空は曇り空。重厚な石造りの市庁舎を見た後は、地図で気になった聖ニコライ教会廃墟へ。第2次大戦で破壊された教会がそのまま残されている。広島の原爆ドームのような歴史的モニュメントだが、その迫力には身震いがした。


 教会を後にして倉庫街の方向に進む。この倉庫街に来た目的は、数年前にできた「ミニアチュール・ヴンダーランド」を観る事。英語で言えばミニチュア・ワンダーランド。古い倉庫が丸ごとアミューズメントパークになっていて、その2フロアがこの施設になっている。ドイツといえばメルクリンの鉄道模型。そのメルクリンが5000両以上、総延長7キロの線路を走り回っていると聞けば、鉄道模型ファンなら行かない手は無い。


 歩みを進めると、「MODELLBAHN」(モデルバーン、鉄道模型の意)と書かれた標識(看板でなく道路標識!)もあって、ここが相当の観光スポットになっていることを実感。案内にしたがってエレベーターを登ると、そこにはすでに長蛇の列。最後尾に並ぶとモニターに「60min.」と表示されていた。子供は意外に少なく、ほとんどが大人。夫婦やカップルも多い。鉄道趣味が女性にも理解されていると思いたいが、実際はいかがなものか。


 並んでいる間にはジュースやキャンディーのサービスもあり、モニターには中の紹介もされているのであまり退屈することなく入場。入場のとき国籍を聞かれたので、「ヤパーナ」(ドイツ語で日本人)と答える。中に入るとすごい人垣。そこを掻き分けると現れたのは精巧に作られた鉄道模型のジオラマ。目の前をHOゲージの列車が駆け抜けていく。その大きさもさることながら、精巧さにはもっと目を見張るものがある。まったく手を抜いて作ったという感じがしない。ただ大きいだけのジオラマなら日本でもたくさんあるが、これだけの大きいジオラマで、この精巧さを実現させるのは容易では無い。駅前のベンチでは老夫婦が腰掛けて語り、サッカー場には12,000人の観客が歓声を上げ、アウトバーンにはトラックが行き交う…など、どの一角も目を見張るものばかり。それだけではない。時間をおいて証明が調節され、昼と夜を表現。夕方になると建物や街灯が点き始め、やがて夜になると一面夜景になる。このジオラマを制御しているのはコンピュータ。フロアの一角にはまるで本物の鉄道の指令室のようにモニターが並んでいた。

 

聖ニコライ教会廃墟

ミニアチュール・ヴンダーランド

の外観

ミニアチュール・ヴンダーランド

の中の様子


 ジオラマは山岳地帯のセクションやハンブルクを再現したセクション、アメリカのセクションに分かれていて、現在北欧のジオラマを作成中。その規模は1000平方メートルという。ほかの客もその動きや精巧さに夢中になっている様子でした。驚き。感動。このジオラマにはいっぱい詰まっている。ハンブルクを訪れたなら、鉄道好きならずとも、ここは是非訪問していただきたい。


 ミニアチュール・ヴンダーランドを後にして、倉庫街を散策。運河には遊覧船が行き交う。倉庫は19世紀に建てられたレンガ造りのもの。店舗などに改装されているところもあり、新しい観光スポットになっている。倉庫街から少し歩くと桟橋があり、観光客向けの遊覧船の他、定期船や漁船も停泊していた。桟橋にはカフェや土産物屋が連なり、多くの観光客で賑わっていた。歩いているとブルーに塗られた飛行艇や飛んでいった。飛行機の車輪の部分が船になっている。本物を見たのは初めてだった。船の博物館になっている帆船、リックマーリックマースを横目に海沿いを進むと、石造りの桟橋、ザンクト・パウリ桟橋に達した。停泊する船と石造りの古い桟橋が絵になる。ここもハンブルクの名所のひとつだ。


 ひととおり港の風景を楽しんだので、Uバーンで市庁舎まで戻る。途中までは高架を走るので、港の様子が一望できて気持ちがいい。市庁舎近くのショッピング街、ハンゼ・フィアテルをざっと歩いたところで、予定していた列車の時間が迫ったので中央駅に戻った。途中、内アルスター湖の向こうをICEが通過しているのが見えた。

 

賑わう桟橋の散策路

ザンクト・パウリ桟橋

ハンゼ・フィアテルの一角


 さて、ここから鉄道の旅の始まりとなる。ハンブルクからベルリンまではICEで移動する。中央駅に戻ると列車はすでに入線。急いでコインロッカーの荷物を引き上げホームへ。発車3分前。目的の1等車はホームの端。1分前に駆け込み乗車。荷物を荷物置き場に置く頃、ドアが閉まった。乗った列車はICEの中でも振子機能がついたICE−Tという列車。ドイツでも特に旧東側方面へ行くICEに乗車すると、このタイプに出会うことが多い。1等車は1&2配列の革張りシート。1人用のシートに腰掛けて一息つく。すぐに車掌が廻ってきたので、ユーレイルパスを出そうとすると、そうじゃないという仕草をする。「あぁ、ドリンクか。」、ICEなどの特急列車では、車掌がドリンクの注文を聞いて座席まで持ってきてくれるサービスがある。その注文を聞きに来たのだった。コーヒーを一杯注文。やがてDB(ドイツ鉄道の略称)のロゴ入りマグカップに入ったたっぷりのコーヒーが運ばれてきた。その後、改めて車内改札。乗車の儀式を終えた後は、しばし車窓に見入った。空は少し曇り空。しかし空の鬱憤を晴らすように菜の花畑の黄色がまぶしい。


 やがて車窓に建物が増え始めてきた。駅名表にはベルリンの文字。列車はベルリン・ツォー駅に停車。高架にある比較的小さい駅だが、かつては西ベルリンの中央駅。ツォー駅を発車すると国会議事堂を横目に、ベルリンの中心を囲むように列車は進む。ベルリン中央駅の建設現場を通過。今はまだSバーンと呼ばれる近郊電車のみの停車駅だが、ここが文字通りベルリンの中央駅となる予定。駅周辺の開発も進んでいるようだが、まだまだ更地が目立つ。更に進むと今度は旧東ベルリンの象徴、テレビ塔の横を通過。列車は下車駅であるベルリンのもう一つのターミナル、ベルリン・オスト(東)駅に到着した。その名の通り、旧東ベルリンのターミナル駅で、ツォー駅に比べ線路の本数も多い。

 

 

 

ベルリン東駅に到着したICE-T

素っ気無い部屋から見た夜景


 乗ってきたICEを見送り、Sバーンに乗り換え。予約していたホテルの最寄り駅、アレキサンダープラッツに向かう。先程通過したテレビ塔の真横にある駅だ。アレキサンダープラッツは、東ベルリンの繁華街で、Sバーンの駅とはいえ、駅構内の設備は整っている。駅を出てホテルを探すも見つからず、結局駅に戻って案内所で聞く羽目になった。いつもなら日本にいるうちにネットで地図検索をしていくのだが、それを怠ったのが失敗だった。ホテルを予約したとき、日本語で駅の近くと書いてあったのに騙された。実際はトラムで1駅離れていたのだ。


 ようやくホテルに到着してチェックイン。しかし、このホテルには驚いた。建物は旧東ドイツ時代のもので、部屋はさすがに改装されて清潔なベッドが並んでいるものの、ただっ広く、暗い。バルコニーへ出るドアの金具は相当貧弱なもの。居心地は正直悪かったが、東ドイツの雰囲気を味わえたのは収穫なのかもしれない。一息ついてから食事を取りに街へ出る。疲れていたのでホテルのレストランで済まそうと思ったが、夜はバーのみの営業。ホテルが紹介しているレストランはステーキハウスで、あまり興味がわかない。仕方なく来た道を戻ってアレキサンダープラッツ駅の方向へ。しかしこの辺りは中心街すぎて、カフェやファーストフード店は多いものの、気軽に入れそうなレストランは少ない。そんな中で見つけたのはテレビ塔下のレストラン。ドイツの一般的な品書きだったので安心して入れた。ビール2杯にカルトッフェルズッペ(ポテトスープ)、冷製シュパーゲルとシンケン(ハム)。またもホワイトアスパラガスだが、冷製は初めてで新鮮だった。ただし大きな皿の割に量は少なめ。食べ終わってコーヒーで一息。2日目にして料理を注文するときの「間」が分かり少し余裕が出てきた。


 レストランの帰り、冷静シュパーゲルでは少々物足りなかったので、アレキサンダープラッツ駅の高架下の中華料理店で、テイクアウトの焼きそばとビールを調達。「アインパッケン、ビッテ(包んでください)」と、覚えたてのドイツ語を使ってみた。実はこの店、去年来た時も世話になった。


 歩き疲れたのでトラムに乗ってホテルに帰る。買ってきた夜食とビールでひとり宴会を開く。無意味に広く素っ気無い部屋では、テレビの声が少し物悲しい。

 

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