5日目(ケルン⇒アムステルダム) 「グーテン、モルゲン!」
やってきたのは若い女性の車掌。途中で車掌が変わったようだ。空いていた隣の個室に案内され、続いて朝食を持ってきてくれた。6時15分。指定どおりの時間だ。窓の外は同じドイツでも西側の雰囲気。東側のように突出して古かったり新しかったりしない、普通の先進国の風景だ。朝食は、パンが2つにジャムやバター、オレンジジュース。そして例のDBロゴ入りのマグカップに入ったたっぷりのコーヒー。豪華とはいえないが、車窓を眺めながらの食事は楽しい。
列車はデュッセルドルフ中央駅に停車。ちょうど通勤時間帯で人が多く、Sバーンなどの通勤列車がひっきりなしに発着していた。個室は1階なので、ホームと同じくらいの高さでその様子を見ていた。
デュッセルドルフ中央駅を発車。ライン川に掛かるホーエンツオレルン橋を渡って、ケルン中央駅に到着した。車窓から見上げた大聖堂は視界に納まりきらない。ホームに降りる。空は曇り空。ライン川からの風は少し冷たい。ロストックを発車したとき最後尾だった乗っていた車両は、途中ドレスデンからの車両を連結して中間車両になり、進行方向も変わっていた。長くなった列車の先頭には企業の広告がペイントされた101型電気機関車が立っていた。
乗ってきたNZ(ナハトツーク)を見送り、ドームに覆われたホームの中ほどへ行くと、左側のホームにはベルギーからやってきたTGVタリスが入線。右側のホームではICEが発車。ここケルンも交通の要所だ。今日でドイツとはいったんお別れ。昼前のICEでオランダ、アムステルダムへと向かう。インターネットで列車を調べたとき、オランダ行きのICEは予約が必要とのことだったので、窓口に並び指定席券を購入。続いて大きな荷物をコインロッカーに放り込んだ。
| | | ナハトツークの朝食 | ケルンに到着したNZ | アルトシュタットの路地にて |
身軽になったところでケルン市内を散策する。9年ぶりのケルンの街。まずは駅前に聳え立つ大聖堂に入った。外観は荘厳で彫刻がすばらしく、内部で天井を見上げるとその高さに吸い込まれそうになる。大聖堂を出てショッピング街のホーエ通りを歩く。通りの両側に店が立ち並ぶが、まだ開店前の店がほとんどだった。通りを歩くのは通勤途中の人たちで、皆、足早だった。次はアルトシュタット、旧市街に入る。石畳の道に古い建物が並ぶいい雰囲気で入り組んだ路地がまた楽しい。近代的な建物が並ぶホーエ通りとは対照的だ。
アルトシュタットを抜けライン川沿いの遊歩道へ。緑地が整備されていて開けている。大聖堂を裏から見るのもまたよい。ライン川に掛かる大きな鉄道橋はホーエンツォレルン橋。歩道も併設されているので、これを渡って対岸へ行く事にした。遊歩道から橋への階段を登ると、ケルン中央駅に発着する列車を一望できる場所に出た。ちょうど駅を発車したICを撮影。15両は連結している堂々の編成だった。ホーエンツォレルン橋を渡って対岸へ向かう。鉄橋は複線のトラス橋が3本。SバーンからICEまでひっきりなしに行き交う。
橋を渡り終えてすぐにケルン・ドイツ駅がある。中央駅からライン川をはさんで1キロと離れていないが、一部のICEが発着する重要な駅だ。この駅から撮ったと思われる写真を何度か見ているので立ち寄ってみたかった。ホームに上がると、ホーエンツォレルン橋と大聖堂をバックに走る列車を見ることができる。ひっきりなしに発着する列車をカメラに収めた。電気機関車が牽く近郊列車、タレントと呼ばれる新型気動車、国際列車EC、そして美しい流線型のICE3と、目の前はまさにドイツ鉄道そのもの。夢中になってシャッターを切る。この旅行でじっくりドイツの鉄道を撮ることができるのはこの日が最後だった。
| | | ホーエンツォレルン橋 | ケルン大聖堂をバックに走るICE | アムステルダム行きICE |
1時間ほどの撮影を終え、Sバーンで中央駅へ戻る。1等のユーレイルパスを持っていたのでDBラウンジでしばし休憩を採った。ここDBラウンジは1等旅客専用の待合室で、ソファが用意され、発車までの時間をゆっくりと過ごすことができる。ドリンクとトイレは無料。駅のトイレは有料が基本なので有難い。利用者はやはり旅行者よりもビジネスマンが多く、ちょっと気が引けてしまうかもしれない。
アムステルダム行きの発車時刻が近づいたのでホームへ出る。滑り込んできたのは流線型のICE3(ドイツ語ではイーツェーエードライ)。最高時速330キロのポテンシャルを秘めているが、現在営業運転では時速300キロが最高で、フランスのTGV、日本の500系新幹線と並ぶ。ICEの中でも一番格好がいい。
10:18、ケルン中央駅を定刻に発車。指定された座席は最後部のラウンジシート。運転台のすぐ後ろで先頭ならば運転士と同じような展望を楽しむことができるが、今回は最後尾。黒い革張りのシートに身体を沈め、車内販売のコーヒーでくつろぐ。ドイツともいったんお別れとなるので、しばし車窓に見入っていたが、居心地の良さに眠ってしまった。
目が覚めると車窓にはオランダ国鉄の黄色い電車が行き交う。通過する駅の表記もドイツのものとは違うものになっていて、オランダに入ったことが分かった。線路に平行して流れる川の水位が異常に高く、伝統的な古い風車も現れた。ケルンからわずか2時間走っただけで違う国へ来たことに実感する。
車内販売員がもう一杯どうだとコーヒーを勧めた。DBロゴのついたマグカップの中はからっぽ。言われるがまま注文する。
オランダに入って最初の停車駅アルンヘムで、手錠を腰にぶら下げた女性の警察官が乗り込んできた。パスポートチェックだ。EU圏内の移動ではパスポートチェックが無い場合もあるが、今回はあった。英語でのやり取りで問題ないが、少しばかりドイツ語に慣れてきたので少々緊張。が、特に質問されることも無く、笑顔でパスポートを返してくれた。
時計を見ると列車は30分ほど遅れ気味。オランダ滞在は今日一日だけとなるが、最低限の挨拶を覚えておいた方が良いと思い、ガイドブックのオランダ語のページを広げる。「ありがとう」は「ダンク・ユー」。車窓は曇り空。しかしさほど暗く感じないのは私が抱いているオランダのイメージからだろうか。それともすれ違う列車の黄色い色彩からだろうか。
列車は30分遅れたまま、13時半少し前、アムステルダム・セントラール(中央)駅に到着した。 アムステルダム・中央駅の雰囲気は、ドイツの駅と違い雑然とした印象だ。どちらかと言えば日本に似ているかもしれない。首都の玄関らしく行き交う人も多い。ガイドブックには中央駅は治安がさほど良くないと記されていたので慎重に行動する。
今日の夜にはこの駅から夜行列車で発つことになるので、まずはコインロッカーに荷物を預ける。コインロッカー室には管理人がいて両替機もある。両替機はありがたい。ヨーロッパでこの種のものを見つけるのは難しく、いつもコインをつくるのに苦労してしまう。この先に備えて余分に両替をしておいた。その後少し駅構内を散策した。オランダの列車を見られるのは今日だけなので、ホームに上がって写真を撮る。機関車はフランスのゲンコツ型と同じ型。電車はなぜか日本の電車に似たものが多い。塗装はどれも黄色と青のツートンカラー。
| | | オランダ国鉄の電車 | アムステルダム中央駅 | アンネハウスの正面 |
撮影を終えて構内の売店でサーモンのサンドイッチを買って食べる。少し遅いが今日の昼食。さて、準備万端。街へ出よう。駅前の案内所でトラムの一日乗車券を買って乗り場へ行く。トラムの系統が多いので少しウロウロした。やがてトラムが到着。ドイツと違い、入口と出口が分けられていた。入口のドアから車内に入って驚く。入ったところにカウンターがあり、案内係りらしき女性が座っている。先に乗車した客はそこで切符を見せていたので、私も買ったばかりの一日乗車券を出すと日付を入れてくれた。
トラムの車窓から見たアムステルダムの街は駅と同じく歩行者が多いが、自転車に乗っている人も多い。思ったより道が狭く、トラムも窮屈そうに走っていた。古い建物の窓は大きく、屋根にはフックがぶら下がっている。フックに家具を吊るし、各階の部屋に運び入れるために窓が大きいと、昔読んだ妹尾河童氏の「河童が覗いたヨーロッパ」に書いてあったのを思い出した。
目的の停留所ウェステルマルクトで下車。ここへ来た理由は「アンネの日記」を書いたアンネ・フランク一家が、ナチスの強制連行を逃れるために潜伏生活をした隠れ家、アンネ・フランク・ハウスを見学するためだ。停留所の目の前が西教会。その脇をプリンセン運河沿いに歩くとすぐ行列が見えた。アンネ・フランク・ハウスへの入場を待つ行列だ。戦後60年経った現在でも、行列が絶えないのだという。20分程待って入場する。入口には日本語のパンフレットもあった。 エントランスで家の模型やVTRを観て中へ。壁のところどころに呼んだことのある日記の一節がオランダ語と英語で書かれている。入口で貰った日本語のパンフレットにはその訳文が書いてあるので、それを読みながら進んでいく。展示室にはアンネやその家族、一緒に潜伏生活を送った人の顔写真のほかに様々な資料が並べられていて、見学者は皆、それに釘付けになっていた。
まず足が止まったのは、アンネの姉マルゴー宛てに送られたナチスの強制労働のための呼び出し状。これが届いたことをきっかけに一家は隠れ家に移り住むことになる。その先の細く急な階段を登ったところで背筋が凍るような衝撃を受ける。そこにあるのは斜めにずれた本棚。これが隠れ家の入口に細工されたドアなのだ。本棚の裏には隠れ家の中から閉められるように取っ手が付いている。
そしていよいよ隠れ家の中に足を踏み入れる。薄暗く、決して広くは無い部屋に、質素な洗面所、台所が並ぶ、細い階段に屋根裏部屋。日記で読んだ住人や協力者の名前やドラマが次々に蘇ってくる。歩けば床がきしんで音を立てる。潜伏中は下の倉庫で働く作業員に見つからないため、音を立ててはいけなかった。アンネの部屋にはアンネが好きだった映画のポスターや写真が壁に貼られ、当時の様子が再現されていた。ここでの潜伏生活を不安や恐怖におびえるだけではなく、人間らしく生きるために工夫していたことは日記からの読み取れるが、こういうものを目の当たりにしていると、生きるために大切なことを学んでいるような気がする。
隠れ家出ると次にある展示物は、逮捕、連行された後の資料などが展示されている。そこにはアンネが13歳の誕生日にプレゼントされた、赤い表紙の日記帳があった。幼い字で書かれた小さい日記帳。この日記は世界各国で数え切れない人々に読まれたことになる。
ひととおり展示を見終えた後は、ミュージアムショップへ。ここには各国語に訳されたアンネに関する本が売られている。そこには日本語のものもあり、数冊買い求めた。
アンネ・フランク・ハウスを後にして、市内観光へ。トラムの停留所のある西教会の前で地図を広げていると、そこにアンネのブロンズ像があるのに気が付いた。一枚写真を撮る。 トラムに乗ってダム広場へ。王宮の前には多くの人が集まり、大道芸人が観光客相手に愛敬を振りまいている。幅の広いローキン通りを南下してスパイ広場へ。大通りから少し入ったところは入り組んだ路地になっているところも多い。
歴史的な建物が並ぶというベギンホフに行ってみる。看板に従い建物の間からその庭園に入ると、外の賑やかさがさえぎられた静寂な空間が広がる。ここは修道院。建物は15〜18世紀に建てられたもので、現在も修道女が住んでいる。
スパイ広場に戻って一休みした後、シンゲルの花市へ。その名の通り花や植木、ガーデニング用品が並ぶが、観光客も多いので土産屋も多い。オランダ名物、木の靴のキーホルダーをお土産に買っておいた。
花市のすぐ横にあるムント塔近くの停留所から中央駅に向かうトラムに乗って、駅近くの繁華街で下車。今度は駅に向かって右側の路地を歩いたが、ここは少々危ない雰囲気。「COFFEE SHOP」の看板が並ぶ。オランダでCOFFEE SHOPと言うのは、実際はドラッグショップなのだ。オランダではある程度の麻薬は合法。辺りは嗅いだ事の無いなんともいえない煙の匂いが充満していた。通行人も多いので危ない目にはあわなかったが、早足で通り過ぎたのは言うまでも無い。
夕食は気軽に中華料理店へ。チャーシューメンと鴨肉ご飯という日本でもお馴染みのメニューで空腹を満たす。ただしご飯がパサパサなのは仕方ない。
食事をしてからもまだ時間があったので、通り掛ったデパートに入ってみる。おもちゃ売り場でミッフィーグッズのコーナーを見つけた。オランダといえばミッフィー誕生の地。オランダ語の絵本をお土産に購入した。
アムステルダム観光はアンネの隠れ家がメインだったので時間潰し程度のつもりだったが、それなりに楽しめたし発見もできた。一泊してゆっくりしてもいいのだが、次なる目的地へ向かうため、今夜も夜行列車での移動となる。今夜の列車はアムステルダム中央駅20:05発のシティーナイトライン。この列車でスイスのバーセルに向かう。
| | | ベギンホフにて | 花市のガーデニング用品 | 発車を待つCNL |
中央駅に戻り、荷物を引き上げてホームに上がる。そこには紺色の車体に「CITY Night Line」の黄色いロゴの入った列車がすでに入線していた。まずは先頭へ行って機関車の写真を一枚撮る。昼間見たのと同じ黄色ゲンコツ型の機関車だ。その後長い編成を後ろに向かってホームを歩くが、なかなか指定された車両が現れないので、ホームに立っている列車と同じ色のユニフォームを着たスタッフに聞いてみた。すると目的の車両はかなり後ろとのこと。結局15両程の編成の先頭から最後部近くまで歩くことになってしまった。
車両に乗り込もうとしたとき、中年の男二人が車内を徘徊しているのが目に入った。ホームに出たり、車内に入ったり怪しい動きをしている。置き引きでもしようとしているのだろうか。警戒しつつ車内に入った。
指定されたコンパートメントには、すでに3人の先客がいた。白人の夫婦とアジア系の男性。早速女性が英語で話し掛けてきた。
「どこまで行きますか?私たちはチューリッヒまで行くのだけど、ベッドが下なの。もし途中で降りるならベッドの位置を変わって欲しいのだけどどうかしら?」
と聞かれる。私は途中バーセルまでの乗車なので、
「いいですよ。私はバーセルまでなのでどうぞ。」
と応える。ハンブルクで寝台券の予約をしたとき、今夜の列車は個室が取れずクシェットを利用することになった。クシェットとは日本のB寝台のような構造で、1つのコンパートメントに6つのベッドを備えている。プライベートはあまり保たれないが、日本円で3,000円弱の料金はとてもリーズナブルだ。
そんなやり取りをしているうちに列車はアムステルダム中央駅を発車。まもなく車掌がやってきた。今夜は寝ているうちに国境を越えるので、パスポートとユーレイルパスを預ける。寝ている間に手続きを代行してくれるという訳だ。
20時過ぎの外はまだ明るく、まだ寝る時間ではない。コンパートメントではおしゃべりが始まる。白人の夫婦はアメリカのテキサスから。アジア系の男性は中国からとのことだった。年齢は皆私と同じくらいに見える。あまりに若いバックパッカーなどと同室になったときのようないらぬ心配もしなくていい。それぞれ自己紹介をして安心した。一夜を過ごすコンパートメントでコミュニケーションがないというのは寂しいものであるし、相手のことを知らない不安も出てくる。交代で喫煙コーナーやビュッフェへ出かけ残ったものが荷物の番をする。就寝時間も皆で決める。コンパートメントでひとつのチームが出来上がったようだ。特に女性はひたすらしゃべる。どこの国へ行ってもやはり女性の方がよくしゃべるのであろうか。内容は他愛も無い話なのだが盛り上がる。
「なんかこの車内放送、歌を歌っているみたい。」
「日本でスシ買うといくらくらい?」
「ドイツにはホワイトアスパラガスがトッピングされたピザがあるんですって!こんなのアメリカで注文したら『あんた何言ってるの!』って言われるわ!」
片言の英語でしか返事は返せなかったが、気を遣ってかゆっくりしゃべってくれるので、内容は大体聞き取ることができた。いつもなら宿でリラックスするところだが、こういう夜も楽しい。忘れられない一夜となった。皆で決めた23時、ベッドへ横になる。
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