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3日目(ベルリン⇒シュトラールズンド)

 

 ベルリンに来た理由はただ一つ。インターネットで見つけた「1.ベルリンダンプロックフェスト(第1回ベルリン蒸気機関車祭り)」を観る事。毎年ドレスデンで開催されたドイツ最大級の蒸気祭り「ドレスデンダンプロックフェスト」が、なぜか今年は開催されず意気消沈していたところにこの情報を見つけた。しかしながらドレスデンのように30両を越える壮大な展示ではなく、情報では4両の蒸気機関車が参加と出ていた。とはいっても東京で走る蒸気機関車が4両も集まることは無いので、贅沢を言ってはいけないかもしれない。


 会場はベルリン・オスト駅に近い、ベルリン・リヒテンベルク機関区。ベルリン・リヒテンベルク駅というのがあるので、まずはここへ向かうことにした。私が持っていた情報は、ドイツ語でたった4〜5行の情報で、参加する蒸気機関車の形式がわかっても、最寄り駅などは分からなかった。


 アレキサンダープラッツ駅から、まずはベルリン・オスト駅へ、夕方、シュトラールズンドへ移動するので、ここのコインロッカーに大きな荷物を預けた。身軽になってSバーンに乗車。ベルリン・リヒテンベルク駅のひとつ手前の駅で扇形庫(蒸気機関車を収容するため、ターンテーブルに併設された車庫。上から見ると扇型になっている。)を発見し、たまらず下車。しかし、構内も周辺も静かで、ここではないと判断して次の電車でベルリン・リヒテンベルク駅へ向かった。すると車窓に89−6009という小型の蒸気機関車が煙を吐いて待機しているではないか。しかし、会場の入口が分からない。そうしているうちに電車はベルリン・リヒテンベルク駅に到着。中心街にあるツォー駅やオスト駅よりも大きいターミナル駅だった。その留置線に、VT18.16型という、東ドイツを代表するディーゼル特急が留置されていた。これには大興奮。写真や模型でしか見たことの無かった東ドイツの遺産が目の前にあるのだ。どうやら修復中の様子で、近く復活するようだ。そのホームを1つ隔てて、待っていましたと言わんばかりに、52−80型蒸気機関車が発車を待っている。間違いなくSL祭りの特別運転だ。VT18.16をカメラに収めた後、あわてて隣のホームへ。角張った蒸気ドームに、船底のテンダー(炭水車)。戦時中製作され、東ドイツという国がなくなる頃まで現役だった機関車。車両番号は52−8047。傍らでは232型というこれまた東ドイツを代表する232型ディーゼル機関車が入換をし、モスクワ行きの特急が発車を待っている。ここベルリン・リヒテンベルク駅ではまるでタイムスリップしたような感覚になった。


 52-80型蒸気機関車の発車を見送り、駅の中を散策する。連絡通路は薄暗く、これまた東ドイツチック。しかし、切符売り場や売店、トイレといった設備は、改装されモダンな感じになっていた。場所が分からず立ち寄っただけのリヒテンベルク駅だったが、思わぬ大収穫だった。ブランデンブルク門やベルリンの壁で感じる東ドイツよりも、ここの方がずっとリアルではないだろうか。

 

 

 

東ドイツの遺産?VT18.16

52型蒸気機関車

232型ディーゼル機関車


 リヒテンブルク駅周辺の地図を見ても、機関区の入口が分からず、仕方なくSバーンで先に降りた1つ前の駅へ向かった。電車を降り、扇形庫のある方向に歩くと、間もなくパラソルの下に腰掛けた初老の男性の前に、2〜3人の列を見かけた。ここがお祭り会場に入口だった。看板などは一切無い。しかしそのパラソルの向こうで、ビールや焼きソーセージを売る売店や、鉄道ファン向けに鉄道廃品を売る露天が見えたのでそれと分かった。


 入場券を売っている初老の男性は、こんなところにやってくる怪しげな東洋人には特に興味も示さず、淡々と入場券を売っていた。それを購入して会場の中に入る。食べ物を売る露天の周りはいい匂いがしてお祭りの雰囲気だった。それを抜け、扇形庫の方へ歩くと、間もなく人だかりが見えた。さっきリヒテンベルク駅で見送った機関車と同じ、52−80型蒸気機関車を囲む人だかりだった。車両番号は52−8029。昨年ドレスデンでこの機関車に会っているので、1年ぶりの再会だった。大人も子供も蒸気機関車に興奮といった様子で、その勇姿に見入っている。標準軌の大型蒸気機関車はやはり迫力がある。内容の濃いドレスデンでは脇役だった52−80が、ここでは堂々の主役だ。その脇ではSバーンから見えた89−6009が入場者を運転台に乗せて展示運転。89−6009は、100歳を超える由緒ある蒸気機関車。由緒あるとは言っても、小型でかわいい機関車だ。小気味よいブラスト音を響かせて、その身体に不釣合いなほどの煙を吐いている。さほど広くない構内を行ったり来たり。運転台に体験乗車の客をいっぱい乗せていた。その奥へ進むとSバーンから見えた扇形庫に出る。ターンテーブルを囲んで、旧東ドイツの電気機関車やディーゼル機関車、客車、貨車が展示されていた。扇形庫には52−80型蒸気機関車がもう1両休んでいた。こちらの車両番号は52−8079。


 展示車両をひととおり撮影し終え、運転台の体験乗車をすることにした。動いている蒸気機関車の運転台に添乗することなど、初めての体験だ。機関車は52−8029。コンクリートブロックでできた即席の階段を登って運転台へ。やはり熱気がすごい。運転台は日本の蒸気機関車と反対で右側にあり、加減弁、逆転機、ブレーキなどの操作機器は左右対称についているが、運転台の雰囲気は日本の蒸気機関車と大差ない。しかし、大人7〜8人が運転台に乗り込んでもまだ余裕があるほど広い。機関助士がひととおり説明を終えてから発車。動輪の動きが運転台に直接伝わってくる。構内の線路を300メートルほど進んで折り返し。レバー類の操作は私が知っている通り。思わず「運転させて欲しい。」と思ってしまう。今度は後退。が、途中で停車。何事かと思えば、下で飲料水を売っている露天の店員に、空になったペットボトルを渡し、新たに水の入ったペットボトルをもらっている。機関車ではなく、機関士の水分補給だった。運転しているのは、この機関車が現役だった頃もハンドルを握っていたであろうと思われる初老の男性。乗車したときの即席階段にピタリと停止させた。運転職人。いや、マイスターの腕をしかと見せてもらった。


 運転台の乗車に感激した後は、会場内のほかの展示車両を観て廻った。DR(東ドイツ国鉄)のロゴが入った旧型の客車や貨車。オールドSバーン。現役の主力電気機関車である101型や120型の姿もあったが、蒸気機関車が主役とあっては少々遠慮気味。パンタグラフを下ろして休んでいた。


 ひととおり展示物を見終わった後で昼食。露天でビールを注文。露天とはいえサーバーから注がれるガラスのジョッキに入った生ビール。それからブロートブルスト・ミット・ブルーテン。焼きソーセージをパンにはさんだもの。ボリュームは満点で、シンプルだけどおいしい。「ドイツといえばビールにソーセージ!」間違いない!

 

運転席の逆転ハンドル

機関車の前で記念撮影!

発車を待つ特別列車


 露天の味に満足した頃、朝、リヒテンベルク駅で見送った、52−8047号が帰ってきた。これで3両の52−80型蒸気機関車が顔をそろえる。すると今度は、扇形庫で休んでいた52−8079号が帰ってきた客車に連結された。今度は52−8079号の特別列車が運転されるようだ。編成は客車数両に貨車も数両のミキスト(混合列車)。会場内は全て観終わったので、この列車に乗って帰ることにした。しかし切符をどこで手に入れるか分からない。周りの客の様子を見ると、切符を手にしている様子は無かったので、そのまま乗車することにした。


 乗車したのは旧東ドイツ国鉄、DRの車両。3軸という日本では戦前の造りで、車内は質素。またもや東ドイツの雰囲気をかもし出していた。汽笛一声でリヒテンベルク機関区を発車。数分で朝来たリヒテンベルク駅に到着。この先の行き先は分からない。とはいってもこんな貴重な乗車は無いのでそのまま乗車。窓から入る煙の匂い。汽笛の音。本気で走っていることを示す忙しいブラスト音。保存機関車の特別運転とはいえ遠慮はしないので、乗っている方も大満足である。しばらくすると古めかしい制服に身を包んだ車掌が現れ、乗客に切符を売っている。時間の関係で途中駅まで買おうと思い、時刻表を見せてもらおうとしたが、あいにく持っていないという。とりあえず全区間の切符を購入した。


 列車はベルリンの複雑な線路を縫うようにして走る。沿線にはカメラやビデオを構えた鉄道ファンが所々で待っていた。やはり蒸気機関車は特別な存在だ。しばらくするとSバーンの線路と並行して走った。ホームで待つ人の驚いた顔がなんともいえない。どこを走っているか見当もつかなかったが、Sバーンの駅名標を見て、Sバーンの3号線に沿って走っていることが分かった。列車はその3号線の終点、アークナー駅に到着。夕方乗車するシュトラールズンド行きの発車時刻が気になったので、名残惜しいがここで下車することにした。列車から降りて先頭の機関車を覗き込む。乗車しているのもいいが、やはり外から機関車の勇士を観るのもまた楽しい。力強い発車を見送り、少し離れたアークナー駅の駅舎へ向かった。


 ここから荷物の預けてあるオスト駅に帰る。Sバーンでのんびりもいいが、この駅は近郊快速のRE(レギオナル・エクスプレスの略)も停車するので、それを利用することにした。まもなくREが到着。2階建て客車の5両編成。近郊列車ながら1等車もある。2等車は混んでいたので、ユーレイルパスの恩恵にあずかり1等車へ。しばらくは来た道を戻る格好になる。しばらくして車内改札。若い女性の車掌だ。ローカル列車の1等車に乗るとまず言われるのが、


「ここは1等車ですが…」


 という尋ね。ローカル列車の1等車は利用者が少なく、年々縮小される傾向にある。間違えて座っていないかの確認である。ここでユーレイルパスを見せて納得させる。大半は間違いか、1等車の切符を持っていないことが多いのであろう。日付入りの鋏を入れて笑顔でパスを返してくれた。
 列車は順調に走行していたが、駅間で突然停車。隣の線路にもライプチヒ行きのIC(インターシティーの略。特急列車。)が同じように停車していた。先程の車掌がどこかに連絡を取っている。続けて車内放送。聞き取れたのは、


「この先オスト駅で特急が遅れている。30分ほど停車する。」


 といった内容。よくあることで、あわてず騒がず席に座って待つ。車掌の周りに乗客が集まり始め、それぞれ状況を聞いている。仕事とはいえ少々気の毒だ。列車の遅れは彼女のせいではない。私の座っていた座席は喫煙席で、たまらずタバコを吸いに来る客もいた。1本吸って元の席へ戻っていく客がほとんどだったが、ケータイで連絡する人もいた。20歳代の青年は、今起きている状況を友人に話している様子。


「電車止まっちゃったよ〜。30分も遅れるみたい。まいったなぁ…」


 というような内容を次から次へ掛けている。よっぽど気にして欲しいのだろう。驚いたのはその掛けている相手。最初2〜3人にはドイツ語で話していたが、最後の一人には英語で話している。「バイリンガルな人だな〜」と感心する反面。そこまで気にして欲しいのか、とあきれてしまった。なぜかと言えば、「遅れるよ。ごめんね。」などという待ち合わせに遅れるから詫びている様子では無く、ただ「話を聞いてくれよ〜」というような様子だったからである。20分ほど停車して列車は発車。オスト駅に遅れて到着した。


 シュトラールズンド行きの発車までは若干余裕があった。東駅の駅裏にデパートがあるのを見つけたので、行ってみようと裏口を出ると、そこに蚤の市が開かれていた。駅の端から端まで、2〜300メートル程のところに露店が連なっていた。冷やかしに覗いてみると、売られているのは家庭の不用品や古本、骨董品などである。しかし、ここベルリンならではのモノを発見した。売られている骨董品や古本は、旧東ドイツの遺産の数々なのである。旧東ドイツの紙幣や硬貨、軍服、勲章、メダル、バッヂ、DDRの文字が入った本など、見ていて飽きない。そのうちの一軒でバッヂを買い求めた。「東ドイツ建国19周年記念」のバッヂらしい。素材はアルミのようで軽い。


 そんなことをしているうちに、シュトラールズンド行きの発車時刻が迫ってしまった。急いでコインロッカーから荷物を引き上げ、両替を済ませて、シュトラールズンド行きのホームへ向かった。ホームへ上がると、シュトラールズンド行きはすでに入線していた。列車は主力電気機関車101型が牽引する客車列車。客車はICEと同じ白地に赤い帯が横に1本入った塗色。ドイツの特急列車として定着してきた編成だ。若干混んでいる2等車を尻目に1等車のコンパートメントを1室占領。ヨーロッパの列車に乗るならやっぱりコンパートメントがいい。列車は定刻に衝動も無く発車。シュトラールズンドを訪れるのは初めてで、この路線も初乗車。旧東ドイツを北に向かって走る。


 ローエンブルク、ブランケンゼー、ノイブランデンブルクとあまり馴染みの無い街々に停車。黄色い菜の花畑と風力発電の巨大な風車が現れては消えていく。ドイツの車窓ではありふれた風景だが、それでも車窓は飽きない。


「車窓はテレビより面白い。」


 とは旅行作家、故宮脇俊三氏の言葉だが、まさにその通りである。ありふれたと思っている風景の中に小さな発見がたくさんある。菜の花畑に走るふた筋の線はトラクターのタイヤ跡。走り去る自動車のメーカー。小さな集落に立つちょっと誇らしげな教会。陽の傾きによって変わる丘の表情。気が付けば食い入るように眺めていた。

 

 

 

シュトラールズンドに到着したIC

0系!?

ホテルの窓から撮った

シュトラールズンド駅


 列車は速度を落とし、シュトラールズンド駅に到着。ホームは近代的に改装され、明るい雰囲気。ここで変なものを発見。トルコ料理、ドネル・ケバブを売る売店の看板が、どう見ても日本の0系新幹線がモチーフなのだ。こんなドイツの果てへ来て、新幹線を見るとは思わなかった。


 行き止まり式のホームの先には赤いレンガでできた立派な駅舎が建っていた。伝統的な建物はそのまま残して、内部だけを改装してある。街の玄関口にふさわしい威風堂々の外観と、駅としての機能を兼ね備えている。駅舎の壁には「MITROPA」(ミットローパ)の文字が残る。MITROPAとは中央ヨーロッパ食堂公社の愛称で、これも東ドイツの名残と言っていい。食堂そのものは営業していなかった。駅舎の脇には蒸気機関車の動輪と給水塔が保存され、レトロな雰囲気を盛り上げている。その隣が今日の宿。インターシティーホテル、シュトラールズンド。入口が分からずそわそわしていると、通りがかった警官が教えてくれた。レセプションでチェックイン。さすがドイツの果て。会話はドイツ語。部屋は清潔で快適。窓を覗くとシュトラールズンドの駅が一望できた。19時過ぎとはいえ陽はまだ傾きかけたところなので、市内観光と夕食に向かった。


 ドイツ北東の端に位置するシュトラールズンドは、リゾート地であるリューゲン島などに渡る玄関口でもある。どうでもいいことだが、ドイツの端というだけあって、日本で有名な黄色い背表紙のガイドブックも一番後に紹介している。それを片手に旧市街へと向かう。池に挟まれた道を抜けると、赤レンガの重厚な建物にぶつかる。建物の正体は銀行。古い建物で営業している。ここから石畳の道になる。3〜4階建てのこじんまりした建物が並ぶ小道を抜けると、ノイヤーマルクトという広場に着く。大きなマリエン教会の横に位置し、カフェやレストランが並ぶ。観光ルートを逸れた路地は少し寂しげで、派手さも無く、時々廃屋も見受けられる。路地で少し迷って再び観光ルートを市庁舎方面へ。メインストリートのオッセンレイヤーシュトラッセの両側は、さまざまな商店が並ぶが、この時間では閉店している店がほとんどだった。商店街を抜けると市庁舎に抜けた。市庁舎は特徴的な美しいレンガのファサードを持つ建物。確かに精工にレンガが組み合わされ美しいが、ハリボテのようにも見えてしまう。低くなった陽の光がそのファザードを照らしていた。市庁舎の周りにはレストランが数件軒を連ねていたが、活気の無さにパス。人が集まっていたノイヤーマルクトに戻った。ノイヤーマルクトの一角にある店は結構な繁盛振りだったので、中に入ってみる。カフェのように見えたので、「ここはレストラン?」と店員の女性に聞いてから中に入る。英語のメニューを持ってきてくれた。歩き疲れたのでまずビールで喉を潤す。前菜はシュトランルズンダーズッペ。その名の通りシュトラールズンド風スープ。港町名物とでも言うのだろうか、魚貝類の入ったスープ。よく煮込まれていておいしかった。メインディッシュはポークステーキのマッシュルーム添え。デザートにはアイスクリームの乗ったコーヒーを頼んで言うこと無しの食事だった。


「お味はいかがでしたか?」


「ゼア、グート!(とても良かった!)」


 と応え、店を後にする。


 千鳥足でホテルに戻る途中の道。池の水面に月が映るのを見た。背後は自動車がひっきりなしに通るが、ここだけ別空間の様だった。


 ホテルに帰ってテレビを点けると、画面はF1モナコグランプリの真っ最中。佐藤琢磨は出場停止中であったことは後から知ったが残念であった。思えば、F1に見入っていた学生時代の頃、ヨーロッパへの憧れを抱き始めていた。そんなことを思いつつ、少し夜更かしして就寝。

 

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