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渡辺崋山


「毛武游記」

 天保2年(1831年)10月11日、 太白堂孤月 の紹介状を手に「毛武」へ旅立つ。その日は鴻巣に泊まる。

 太白堂を訪ひ、毛武諸人への手簡を乞ひ、これを道引として行んとするなり。

 此日は雨ぞふる。 板橋 にいたる。この頃岩本茂兵衛こもの吉兵衛といふもの、江戸に出であきなひす。板橋に飲し、逢んと約す。きたらず。出づ。

板橋宿


  蕨駅  北根岸、白旗(幡)、岸、一里半 此辺有坂、 やき米 を売をもて名あり。

 浦和駅、駅の南に月よみの社社(ママ)あり。額に 調神社 とかけり。寺を月山寺といふ。

  大宮八幡 のやしろ、是、武州一の宮、神は氷川大明神、松のはやし道をつゝみて、天もわかたぬほど黒うしげり、宮居迄凡十八町あなるとぞ。

  上尾 この道いと遠して日暮たり。万に我やどかるかたまで来てひとよを語あかさばやと申せしかど、いとつかれにつかれたれバとて、此駅にやどかる。

 かくせしほどに雨はふり、更たけて行先も見わけがたうなりにたり。辛うじて 桶川 といえるに着たり、夜戌の時程なりし。

 人の行きゝもなく雨またしきりにふり出す。人の家かりて簑と笠とになれ、なかなか旅人のけしきなれど、つかれてくるしさ言んかたなし。漸に 鴻の巣 穀屋次郎兵衛かたに宿かる。

 10月11日、渡辺崋山は夜明け前に駕籠で鴻巣を発ち、太田に向かう。

  吹あげ といふ処に駕おろし、おのこども飯す。又行、 久下 といふ。

久下次郎故址、土俗云久家与梶原景時隔、及戦争敗亡。

 荒川にそひ行。熊谷の土手といふハたゞこの荒川害をおそれ、其長さおよそ三里もありぬらん。堤に皂樹(そうじゅ)をうへ人をしあかしむ。

荒川土手の芥子の花


  熊谷 にいたる。此駅甚にぎはしう、瓦茨、鱗のやうにならびたてり。凡千戸にもおよぶべし。台屋といふ酒店に吉兵衛先かけていたり、酒飯す。

熊谷から妻沼へ。

 熊谷より妻沼まで凡三里、これハ利刀川にそひたる村なり。村家しげくたてゝ、駅めきたり。斎藤実盛の守本尊 八聖天(ママ)の社あり。いと荘厳なり。酒店に飲す、此店吸ものハかも、うどんをうる。魚類愈すくなし。江戸より登る魚は熊谷此わたりをかぎるべし。

妻沼聖天山仁王門


妻沼から太田へ。

 一里、 太田 といふ処にいたり、又飲す。鯛の切身、あつものなり。風いよいよはげし。
 此あたり常州より魚来。冬ハほ鯛、ひらめ、あはび、たこ。
 かごかくおのこ、此風はげしきをもて、価をつぐのひかえらんといふ。聞かず。太田ハ令幣使道もて、此駅にとゞめんとするなり。

 新田 金山 に出る。此山むかし 新田義貞 城ありし処とて、山ハ高からざれども、名ハいと高う聞ゆ。又万葉にも見えし山なれバ、もとより霊山にありしや。

金山城物見台


 漸、 丸山 といふに到。かな山につゞきたる山にて万葉にも見えしとぞ。
 此山辺にうどん売家あり。岩本氏の紋つけたる提燈をひさしのもとに高うつなぎて吾到をまつ。

丸山宿


 10月15日、渡辺崋山は美和神社へ。

 午飯行厨を携て桐生町より西なる山に登る。町をはなるれば 三輪の神社 あり。これは延喜式内の御神にて陽成天皇勅額勳十等といふ。

 10月16日、渡辺崋山は 大間々神明宮 を訪れ「はね瀧」のことを書いている。

 社後巖をとり木の根につきて溪に下れば、はね瀧といふ。又渡瀬川の上流にて水石せかれて瀑をなす。よりてかくは呼るなるべし。夏の程ハ香魚下流より登り、このたきを越んとして飛あがるを、石に坐て網をさし出せばあやまつて其中落るを取る。一時数百尾、まことに愉快なる事とぞ。

高津戸峡


 10月22日、渡辺崋山は鑁阿寺へ。

 出て担角清風楼といえるにいざなはる。途に 大日如来の堂 あり。これなんいと霊場にて街の東にあり。喬木森然として奥に大日の伽藍あり。むねハ雲にそびふるばかり高くひろくて、わたり堂、二王門、三層浮図、経堂、裏門二、誠に荘厳といふべきなり。

大御堂(大日堂)


 10月27日、渡辺崋山は桐生天満宮を訪れている。

 帰又 天神祠 に謁す、此社は桐生第一街にありて、六丁目といえるかたより一文字に行とまれるところ、即此やしろあり。境内松並いと黒うしげり、中に一水きよらかにながれ出づ。やしろハいとめでたくつくりなして、上も下も力をあわせ花鳥(ハナトリ)の形を彫りて、なかなか都にもまれに見るやしろなり。

天満宮社殿


 10月29日、渡辺崋山は金井烏州と伊丹新左衛門を訪ねる。

 高島といふところに伊丹新左衛門といふものあり。この家を訪ひて一夜をからんとて、島村の 烏州 先だちて導く。この処よりは十二三町も西のかたにて、鳥[羽]の夜をたどりその家にいたる。

 伊丹新左衛門は蘭学医。号は水郷。弟の唯右衛門は桜井梅室門の俳人で、号は溪齋。

 主人も又西医の法をこのミ、人を療す。弟ハはいかいにこゝろをゆだね、 梅室 が門人なり。梅室も此会に出んとて此家に滞留せしが、会のびしとてひと日ふた日さきに帰りたりとぞ。

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