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私の旅日記
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2006年
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香取神宮
〜落合直文〜
東関東自動車道佐原香取ICを降りてすぐの信号を左折し、県道55号佐原山田線を行く。
香取神宮
(HP)がある。
香取大神宮
下總國香取郡、正殿經津主大神、神代よりの御鎮座にていと古き神なり。事は香取志に詳かなれば略
レ
之。
『利根川図志』
朱塗の大鳥居
第二の鳥居である。
香取神宮一の鳥居は
津宮河岸
にある。
香取神宮は下総国
一宮
。ちなみに下総国二ノ宮は
蘇我比咩
(そがひめ)
神社
。
貞亨3年(1686年)、大淀三千風は
行徳
から香取神宮を右に見て、
鹿島神宮
を訪れた。
行徳・白井・大森、木颪のなみにゆられ、右は下總香取の神、常陸の湖水にながれこし、志田の浮島、浮洲の宮、旅のとまりは鹿島なる、大舶着にぞあかりける。
『日本行脚文集』(巻之六)
樹が鬱蒼と繁った参道を歩く。
総門
香取神宮の御由緒
御祭神 経津主大神
(ふつぬしのおおかみ)
大神は天照大神の御神勅を奉じて国家建設の基を開かれ國土開拓の大業を果された建国の大功神であります。故に昔から國民の崇敬非常に篤く、國家鎮護、國雲開發の神、民業指導の神、武徳の祖神として廣く仰がれて居ります。
香取神宮の御祭神経津主大神
(ふつぬしのおおかみ)
は、
鹿島神宮
の御祭神武甕槌大神
(たけみかづちのかみ)
とともに出雲の国譲りに出てくる神様である。
御創祀は神武天皇18年と傳へられ現在の御社殿は元禄13年の御造營にもとづくものです。
明治以降は官幣大社に列せられ毎年4月14日の例大祭には宮中より御使が参向される勅祭の神社であります。
楼門
元禄13年造営で重要文化財。
享保元年(1718年)8月17日、千梅林亜靖は香取神宮に参詣している。
川岸に船をつなきて社参す磯より十町余引入御殿は南向廻廊玉垣朱にかゝやき磨なをす御鏡又貴し 後は山岳岸を畳
ミ
前は松杉行衛もなくつゝきて広
ク
海川目前につらなり 昼は帆船足下を通ひ夜は漁夫の灯こゝかしこにひかりて御灯おのつから也右に神宮寺有本地は十一面観世音なり
神鈴や骨にしみ込はつあらし
『鹿島紀行』
宝暦3年(1753年)、
横田柳几
は香取神宮に参詣して、句を奉納している。
夙におきて參詣す。神宮の後に杉の大木あり。まことに牛をかくすへきの樹也。
樂 吟
つはくらもめくり果さす神の杉
『つくば紀行』
楼門の前に菖蒲
(あやめ)
が咲いていた。
明和元年(1764年)11月21日、内山逸峰は香取神宮で歌を詠んでいる。
明る朝香取へわたるに、小見河といふ所迄舟にてわたるに、波風もなく舟着にけり。是よりは下総国香取郡也。此あたりを堀越の裏といふ歌枕なり。折ふし風あらくて沖に舟も見えねば、
風あらく舟の見えぬや沖津波たちのぼりしうらみ成らん
霜ふり月廿一日、下総国香取太神宮 にて、
かしこしな年月とを
(ほ)
く経津主の世の人めぐむ神のみこゝろ
『東路露分衣』
香取神宮の御田植祭は、
住吉大社
・三重伊雑宮と共に日本三大御田植祭と云われ、広く親しまれてるそうだ。
寛政3年(1791年)4月5日、小林一茶は香取神宮の御田植祭について書いている。
けふは香取の御田植とて、此あたりの里々は、餅つき、酒をさゝげて祝ふ。抑
(そもそも)
此神は、民をやすく住せんとて、豊葦原を伐しづめ給ふ。いく千歳の今にいたりて、感応の月ひかりむなしからんや。
神風のはや吹給ふ稲葉哉
『寛政三年紀行』
安政5年(1858年)4月4日、赤松宗旦は
津宮河岸
に揚がり、香取大神宮に参詣している。
香取大神宮 参詣
大鳥居建替、けふ棟上。
明日は御田植祭
ニ而
けふより
大に賑ハふ。
赤松宗旦
『銚子日記』
拝殿
昭和15年(1940年)の皇紀2600年を記念して建てられたもの。
平成13年(2001年)4月24日、
登録有形文化財
に指定されたそうだ。
御神木
樹齢は千余年と伝えられるそうだ。
目通り約7.4メートル。
落合直文
この杉を詠みて
このめぐりくさかありと四人
(よたり)
していだけどたらず神のふる杉
現在桜の馬場と呼ばれる神宮御殿裏山は、昔桜の名所だけでなく梅の名所でもあったそうだ。
咲く梅の香取は闇の名所哉 恒丸
明治39年(1906年)8月31日、河東碧梧桐は香取神宮に詣でた。
十八町の道を香取神宮に詣でる。松のこんもりと茂った小山の裾を右へ廻ると、左に亀甲山の杉一むらがさも参詣者を招くが如く見える。
『三千里』
明治44年(1911年)の初夏、
与謝野晶子
は
犬吠埼
を訪れて大新楼に一泊し、船で利根川を上り香取神社を訪れている。
真菰伏すかぜにまじりてはしきやし香取の宮の大神はある
『青海波』
大正12年(1923年)2月、
北原白秋
は香取から潮来へ、潮来から
鹿島
へ。
香取より鹿島へまゐる舟の路物思はずあらむゆたに榜ぎつつ
『海阪』(浅春舟行)
佐原の町
へ。
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