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与謝蕪村

『蕪村句集』(几菫編)


天明3年(1783年)12月25日、蕪村は68歳で没。

天明4年(1784年)12月、『蕪村句集』(几菫編)。雪中庵 蓼太 序。

蕪翁句集 巻之上

   春の部

   もろこしの詩客は一刻の宵をゝし
   み、我朝の哥人はむらさきの曙を
   賞す

春の夜や宵あけぼのゝ其中に

歸る鴈田ごとの月の曇る夜に

春の海日終のたりのたり哉

燕啼て夜蛇をうつ小家哉

    暁臺 が伏水・嵯峩に遊べるに伴ひて

夜桃林を出てあかつき嵯峩の櫻人

   春 景

菜の花や月は東に日は西に

   夏の部

牡丹散て打かさなりぬ二三片

ちりて後おもかげにたつぼたん哉

不二ひとつうづみ殘してわかばかな

   かの東皐にのぼれば

花いばら故郷の路に似たる哉

愁ひつゝ岡にのぼれば花いばら

   洛東 芭蕉菴 落成日

耳目肺腸こゝに玉巻くばせを庵

落合ふて音なくなれる清水哉

    宮 島

薫風やともしたてかねついつくしま

蕪翁句集 巻之下

   秋の部

   遊行柳のもとにて

柳散清水涸石處々

   辨慶賛

花すゝきひと夜はなびけ武藏坊

名月やうさぎのわたる諏訪の海

月今宵あるじの翁舞出よ

花守は野守に劣るけふの月

   故人に別る

木曾路行ていざとしよらん秋ひとり

    雲裡坊 、つくしへ旅だつとて我に
   同行をすゝめけるに、えゆかざり
   ければ

秋かぜのうごかして行案山子哉

鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分哉

   三井の山上より三上山を望て

秋寒し藤太が鏑ひゞく時

   須磨寺にて

笛の音に波もより來る須磨の秋

毛見の衆の舟さし下せ最上川

新米の坂田は早しもがみ河

猿どのゝ夜寒訪ゆく兎かな

   幻住菴に 暁臺 が旅寝せしを訪ひて

丸盆の椎にむかしの音聞む

   冬の部

   人々高尾の山ぶみして一枝の丹楓
   を贈れり。頃は神無月十日まり、
   老葉霜に堪へず、やがてはらはら
   と打ちりたる、ことにあはれふか
   し

爐に燒てけぶりを握る紅葉哉

   浪花 遊行寺 にてばせを忌をいとな
   みける二柳庵に

蓑笠の衣鉢つたへて時雨哉

   泰里が東武に歸を送る

嵯峩寒しいざ先くだれ都鳥

   うかぶ瀬に遊びて、むかし栢莚が
   此所にての狂句を思ひ出て、其風
   調に倣ふ

小春凪眞帆も七合五勺かな

    金福寺 芭蕉翁墓

我も死して碑に邊せむ枯尾花

西吹ヶば東にたまる落葉かな

寒月や枯木の中の竹三竿

    笠着てわらぢはきなから

芭蕉去てそのゝちいまだ年くれず

   天明四甲辰之冬十二月

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