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川村碩布
『碩布居士発句集』
(逸淵編)
天保14年(1843年)11月9日、川村碩布没。
安政2年(1855年)、碩布の十三回忌に『碩布居士発句集』(
逸淵
編)刊。
修して止されは必妙境に入とかや。亡師碩布の翁天然雅智たくましうして、しかも元録
(禄)
在世の古伝をまもり、弱冠の昔より九十余暦の末期まて俳城の外他念なく、行住坐臥こゝろを丹田に練磨しことはを舌頭に千転すること実に念仏三昧の人の如し。果して活作凡々ならさるもの少しとせす。ことし十有三回の忌辰に当れは、一世の吟叢三ツか一ツを撰集して世の同好に弘うし且ハ冥福に備ふ。是只師恩を報ゆるまてにして、誠に九牛か一毛といハまくのミ
安政乙卯秋到彼岸日
可布庵逸淵誌
川村碩布翁肖像
行年九十四歳年
蕗 圃 序
故を温て新を知るとや。この冊子は我言捨し草々の思ひ出たるをしるし布鬼圃と名付置ぬ。されハ蕗の芽をさくるに古葉をもて栞とするか如し。句案の度々ふるき草々をよくあつかひよく忘れて其後趣向を立へし。必すしも新奇流行になつミ此布鬼圃をわするゝ事なかれ。そもそも是を知り是を好ミこれをたのしむ人々に対し、草に風をくはふるにハあらす、近きわたりの友とちのふるきを温ね新きをしるのひとふしにもならめやと、文政七丙申の春碩布ミつからしるす
春 之 部
正月を笠に着るらし悪太郎
うくひすをいくつも見たり東山
春の夜や業平橋をまた渡る
春の水夕山晴てなかれけり
夏 之 部
大礒鴫立庵
葛三
か身まかりしに
虎か雨また降事の出来にけり
草津
にて
六月の柳のをれし朝あらし
秋 之 部
用なしの我をなふるか萩の声
姨石の高さ忘れて月や月や
丹波島
秋水にとりまかれたる旅寝かな
きくの宿心つくしハ夜にあり
色かえぬかハりや松に秋の声
訳もなや月にまたるゝ十三夜
善 光 寺 詣
陀羅尼ハ暁、読経ハ夕暮と聞えつるこそいと尊けれ、いさや信濃の御仏を拝し奉らんと上毛高崎の客舎を立出る草枕のうへそ心ほそき、頃しも梅雨の空朦朧たるに月日の光りを祈り龍神に小柴さしつゝ、先碓氷川を八重にわたりて
五月雨の山路のほとそ覚束な
横川の関
、横川の橋打越て
坂本の駅
に伏。夜ひとよ降明したる雨の花やかなる旭に引かへてそゝろめてたき旦也けり。扨
臼井の難所
にかゝるに雨後の若葉面を覆ひ、腰袋ゆり直すいとまもなくたとりたとり靄を踏てのほる
ほとゝぎす舞遊ふかと思ひけり
老か突杖かひなくも蚋を拂うて軽井沢に膝を憩ふ
近よりて見えぬ浅間の暑さ哉
布引山
円通閣
三とせ経て折々さらす布引を
けふたちそめていつかきて見ん 西上人
この歌
山家集
にハ見え侍らす
五月名残の空ひやゝかに田中の宿に乗らぬ馬かりてゆく。此馬鼻ひる事百度余り押つゝけたり。かれに向て曰、汝正月朔日かくならハ忽ち竜馬と変し、蒼海に走て百千歳の寿をたもつへきに、さなきハわりなし。せめて翌日の朔日にもなとあらすやと獅子無畏の御名を三唱して馬ハ返しやりぬ。嗚呼、ふる雨哉。上田の樹下夏炉庵水翁を訪ふに、主のそふりよくよく見れハ、むかしの兀雨坊なり
花橘一花つゝの名残なる
坂木の宿
くねり過て漸雨紅か軒を見出しぬ。
十六夜塚
を拜し姨捨山を栞に
虎杖庵
に着。先
梨翁墓
に香をひねりて
螢火も田に呼水も手向哉
千曲川の早瀬にさそはれて行まゝ
鳴神の矢代泊りそ早過し
丹波島
渡りなし、川に添てのほる。二里はかりにして里あり
船頭も田植してゐる小市哉
そもそも
よし光寺
は布金の霊場にして、龕前のしめやかなる事承るにまさりぬ。伝燈の光り鳧鐘の響きハさらなり。悲智兼運して雲霞の老若念珠をつまくり寂黙せさるハなし。されハ此国界をはなるゝ事今日にありや。九品蓮台の生、此国界にありや。
夏の夜のたゝたゝ深く成にけり
文政甲申の水無月矢立の墨尽て
武曰
か庵に筆を収む
六気老人碩布記
可布庵のあるしハ我門のこのカミにして、歳すてニ古稀に近つくものから、ひとり流行の雅欲をすてゝもはら不易隠逸のおもひ止す。且ハ無常を観して后の世のいとなミニ心をこらす。されは今年亡師の遠芳忌にのそミて、さるへき法施あらんよりハむしろ居士か遺章を上木して、生前に因ミ深き門葉ハさら也。海内の詞友に披露せんこそ又なき作善ならめと、庵主か発起の操志ニ荷擔して、件のあらましを後序にしるし畢ぬ
春秋庵梅笠
川村碩布
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