このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

■ 鉄道紀行 ■

最終回


第1回   第2回   第3回   第4回   第5回   第6回   第7回   第8回   第9回   第10回  最終回

3月9日(木)
 あーあ、目が覚めちゃった。今日はとうとうこの北欧を離れる日なのだ。と言っても、飛行機が飛ぶのは午後2時。せめて午前中だけでも、このコペンハーゲンを未練がましく歩いてやる。
 ホテルで朝食をとってたら、水道が壊れたらしく、水が食堂にも流れ込んできた。フロントのオバチャンが苦笑いしながらそれを拭いている。このオバチャン、一見、男だか女だかわからないような顔してる(失礼!)が、たいへん愛想がいい。ボクがホテルをチェックアウトする時、
「今日、日本へ帰るんです。」
と言うと、
「あら、そうなの。また来てね。」と言ってくれた(んじゃないかと思う)。
 重いリュックを担いで、市内のトーバルセン美術館(Thorvaldsens Museum)まで歩く。デンマークの彫刻家ベアテル・トーバルセン(1770-1844)の作品と、彼が集めた作品が並ぶ美術館である。よくわかんないけど、彼は国際的な評価も受けてるらしいから、たぶんいいものなんだろう。広い館内をじっくり見てるうちに時間もあまりなくなった。この辺で諦めて空港へ行こう。
 市バスで空港に着いたのが12時頃。乗る飛行機は来る時と同じアエロフロートの579便東京行きで、14時05分発。とりあえず搭乗手続きを済ませよう。出発カウンターへ行き、航空券を見せる。ここで、事件はすでに始まっていたことを知る。
 カウンターのお姉さんは、にこやかな顔でボクの航空券を受け取ると、慣れた手つきで端末をたたき始めた。しかし、その顔がしだいに真剣なものに変わっていったのだ。ばかに待たせるんじゃない?と思い始めた時、そのお姉さん、何だか英語で説明し始めた。何度か聞き返してるうちに、どうも予約がキャンセルされてると言ってるらしい。「ヘルシンキ」とか「キャンセル」とか言ってる。そんなバカな!
 ヘルシンキでしたのはキャンセルじゃなくてリコンファームですよ、と何回言ってもダメ。アエロフロートの事務所へ行ってくれと冷たく言われ、しかたなくそっちへ。ここのオッチャンも端末をたたいてたが、ボクを見てこう言った。
「『ヘルシンキ』で『キャンセル』したことになっている。でも、『モスクワ』までなら席があるから、とりあえずそこまで行って下さい。(『 』が聞き取れた部分)」
クソー、 あのヘルシンキのアエロフロートのババア め! どうも愛想が良すぎると思った。やっぱり裏があったのか。
 その後、空港内のレストランで、荷物を遺失物扱いされるというオマケまで付いた。まさに泣きっ面に蜂。
 とにかく、モスクワまでの飛行機に乗り込んだ。時刻表では東京直行になってるが、モスクワで乗り換えるらしい。乗り合わせた日本人と話してるうちに、約3時間でモスクワ着。外はもう真っ暗だ。モスクワ時間ではもう7時を回っている。
 さて、飛行機に乗る前に、モスクワに着いたらカウンターへ行って指示を仰げと言われていたが、考えたらだんだん腹が立ってきた。よし、このままとぼけて東京行きに乗ってしまおう。
 KGBに尾行されてるんじゃないかとキョロキョロしながら乗り込み、速攻で席を確保する。席は全部埋まっている。誰かが乗れなくなったかも? うん、そうかも。まるで密航の気分だな。しかし、誰にも何も言われないまま、飛行機はモスクワを飛び立った。
 離陸直後、窓からオーロラを見た。「事件」のせいで、旅の終わりの感傷に浸るなんて気分じゃなかったけど、極地近くでしか見られないと言われるオーロラを見て、やっと旅の終わりの実感が湧いてきた。少し眠ろう。

3月10日(金)
 成田空港から新宿駅行きのバスに乗り、渋滞する首都高速から東京の街並みを見て思った。確かに近代建築は機能的だ。でも、北欧の各都市で見た古い街並みの、あの落ち着きがどうしても思い出されてならない。街の落ち着きと人の落ち着き。もう少し考えてみてもいいんじゃないかな。
「お疲れ様でした。間もなく新宿駅西口、終点です…。」
でもやっぱり日本語はいい!
オスロ/ノルウェーヘルシンキ/フィンランド
コペンハーゲン/デンマークストックホルム/スウェーデン

(おわり)

初出:「鉄道模型愛好会」会誌『Dream Railroad』 1989年4月号〜1990年7月号

←第10回

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください