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京成電鉄のセピア

なつかしの新赤電塗装非冷房車3000形など


ここでは、今は見れなくなってしまった京成車両等の写真を中心に掲載しました。
近隣系列社で、京成と乗入を行なっている北総の過去車両や、会社解散した千葉急行の車両も一部掲載しました。




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写真

タイトル

写真

タイトル

雪晴れの中、優等運用に入った
3500形3564号

1992年2月2日  東中山

3500形は1972年12月に京成初のセミステンレス車・冷房車でデビュー。1982年5月までに96両製造され、1990年代末までは京成の主力車として活躍していた。1980年春に落成した3583〜3588は、オールステンレス車試作車としてデビュー、外観形状(側客扉まわり等)が微妙に異なる。足回りは、当時はAE形同様にチョッパ制御も検討されたが、都営地下鉄・京急乗入を考慮し、抵抗制御で全車デビュー。1993年8月〜1996年3月にかけて、帯色変更(現行のレッド・ブルー)が行われた。1996年3月から2001年3月にかけて、3501〜3556(1972年12月〜1974年11月製造)の更新が行われた。1976年末以降に製造された3557以降は更新をせずに、2003年3月以降に順次廃車されることになり、2005年9月までに3557〜3572の16両が廃車になった。写真の3564は、2005年2月に廃車になり解体された。

未更新時代・旧帯色時代の
3500形3532号

1992年5月3日  東中山 

写真撮影当時は、成田空港ターミナル直下乗入開始1年後で、空港への特急運用は3500形4+4の8連が使用される事が多かった。写真左に小さく見えるのは普通運用の3050形3054号。写真の3532は、1994年3月に帯色変更、1998年5月に更新、2005年8月にシングルアームパンタ化が行われた。

帯色変更直後の3500形3520号

1993年8月21日  市川真間

3500・3600形は当初ファイアーオレンジ帯であったが、1992年3月以降は検査時に側面窓上帯のみをブルーに変更(全車が対象にはならなかった)。1993年8月以降は、検査時に3700形同様に前面・側面窓下をレッド・ブルー2色に変更し、側面窓上もブルーに変更(3600形は1993年9月以降施行)。3500形は、1993年8月に3517〜3520編成が帯色変更のトップを切った。写真撮影時は成田方に、側面窓上帯のみブルーに変更した3569〜3572編成と組み8連で運用に入っていた。3500形の帯色変更に関しては、3501〜3504編成を除き、全車が更新前の原形スタイル時代に行い、1995年3月迄に終了。3501〜3504編成については、1993年1月に側面窓上帯のみブルーに変更し、以後更新入場する1995年秋迄、窓下帯はファイアーオレンジで残された。写真の3520号は1997年9月に更新され、スタイルは一変している

エアポート特急運用に入った
3500形6両編成、3580号

1999年3月上旬   京成津田沼

3700形8連の増備に伴い、3500形で更新していない原形車は4連の普通運用に押されていった。1998年11月の京急線羽田空港ターミナル乗入に伴うダイヤ改正以降、4+4の8連運用の実績はない。6連運用は、3501〜3556の更新で、最終更新ユニットとなった3545〜3546が更新入場した2000年10月以来実績はない。写真撮影時は、3500形の更新が進行時期で、原形車の6連組成も数編成存在していた時期。3500形原形車で、1998年11月〜2002年10月まで存在した飛行機マーク入りの種別 エアポート特急 の種別板を掲げた時期は短期間であった。

3600形3628号

1994年8月7日   京成西船

3600形は京成通勤車初の、チョッパ制御車・6両固定編成車として1982年6月にデビュー。1989年7月迄に6連×9本の54両製造された。先頭車は制御車・中間車が電動車という編成配置で、京成では久々Tc車を新製。車号の振り方としては3601〜3608が第1編成、3611〜3618が第2編成といった順で、末尾4・5は8連化用中間電動車増備の計画もあった為欠番になったほか、9・0も欠番。1991年11月に3661〜3668編成を試験的に側面窓上帯をファイアーオレンジからブルーに変更、以後、3601〜3638迄が、1992年9月〜1993年3月迄に変更された。1993年9月〜1995年6月に全車帯色変更が行われ、現在のレッド・ブルーの帯になった。1997年6月〜1999年9月に、3601〜3608・3621〜3628・3661〜3668編成の中間電動車2両ユニットを挿入することにより8連化を施行。3621・3628・3661・3668は1999年2月に電動化、及びVVVF化を行い、3661-3628+3621-3668といった4両編成を組成。以後、1999年8月に3601・3608の制御車を付随車として挿入することにより新6連を組成。写真の3628は1986年6月製造で1993年3月に側面窓上帯を変更、撮影約1年後の1995年6月に帯色変更。現行標準帯色となってから、3628が先頭に出たのはたった2年で、1997年6月、3631〜3638・3641〜3648編成の8連化で中間電動車が捻出されることにより休車になり、前述の電動化後は中間に埋まれてしまった。

非冷房時代の3050形3070号と
並ぶ3600形3648号

1990年7月 東中山

写真撮影時は、成田空港ターミナル直下乗入前で、昼間の京成上野〜成田空港間特急も40分ヘッドだった。撮影当時の3600形は帯色変更前で6連、左手の3050形は冷房化工事進行中だった。京成車両冷房化100%目前だった1990年7月当時の非冷房車は、3000形3001〜3014と、3050形3055〜3058・3067〜3076の計28両で3051〜3054は冷房化工事出場直前、3071〜3074は同工事入場直前で、6連を主に使用されていた。下り待避線に冷房車の3100形3104号普通が退避中だが、夏期シーズンで急行=非冷房車、普通=冷房車という組み合わせは1990年夏で見納めだった。

帯色変更直後の3600形3641号

1993年9月11日 市川真間

3600形のレッド・ブルー帯への帯色変更は1993年9月上旬に3641〜3648編成を皮切りに始まり、1995年6月中旬に3621〜3628編成を最後に終了。3500形も同様だが新たに追加された帯箇所(3600形に関しては前面・側面の窓下青帯と側扉、前面貫通路脇両端)は、カラーフィルムを貼り、その他(従来から帯があった箇所)は塗装仕上とされた。方向幕が英字非併用の旧タイプのまま帯色変更されたのは3641〜3648編成と、同年月に変更を行った3651〜3658編成のみだったが、1993年12月迄に3600形全車が英字併用(小文字併用)の新タイプの方向幕になった。当時、3600形は皆6連で写真の3641〜3648編成は1997年7月に3622-3623ユニットを挿入することにより8連化。2003年8月〜2004年10月に3600形先頭車の運行番号表示が幕式からLEDに変更され、写真のスタイルも過去のものになった。

六角形スカートを装着した
3700形2次車3738号

1995年4月7日
京成八幡〜鬼越間 

3700形は1991年3月にデビューした。京成初のVVVF車(東洋GTO後期形)の8両固定編成でデビューした。室内・外観も3600形とは一変し、京成のイメージを一新した。帯色のレッド・ブルーの組み合わせも、通勤者では3700形が発端。幾度かのマイナーチェンジをしたうえ、2002年3月までに132両(8連×15本+6連×2本)製造され、京成の主力車両になった。車号配置は、3701〜3708が第一編成、3711〜3718が第二編成という順で、先頭車を電動車とした為、中間車の末尾3・6の車両は付随車となった。写真の3731〜3738編成は、1994年12月に落成した2次車で、1次車最終編成の3721〜3728編成が落成した1991年4月以来、約4年振の増備だった。2次車では、車椅子スペースを設置したほか、スカートを装着しデビュー。同編成と3741〜3748編成(1995年2月落成)はスカートは現在の逆台形タイプとは異なり、六角形タイプだった。3741〜3748編成は1995年4月上旬に現在の逆台形タイプに交換。以後、3731〜3738編成も1995年5月中旬に逆台形タイプに交換されたほか、以後の新車は逆台形タイプスカートを装着し落成した他、3700形1次車や3400形にも波及した。3700形のうち、2000年1月に落成した六次車の3821〜3828編成からは、正面ライト位置や転落防止幌設置する等の、マイナーチェンジを行ったが、2005年7月に写真の3731〜3738編成で転落防止幌を設置。以後、2007年3月までに1〜5次車で転落防止幌設置工事を行った。

デビュー時間もない3400形3408号

1993年3月8日  京成佐倉

3400形は引退となったAE形の足回りを流用し、大榮車輌で車体新製した車両。1993年2月中旬にデビューし、1995年11月迄に8連5本落成した。種車がAE形の為、界磁チョッパ制御車であるが、京急乗入を考慮し、先頭車は電動車とした為末尾3・7は付随者である。3700形と同形車体の鋼製車版で、ライトグレーベースにレッド・ブルーの帯が配されたが、クーラー形状が3700形との相違点。この形式から、初めて車椅子スペースが設置された。落成方法としては、まず末尾4・5の中間2両ユニットを除いた6連で落成、数ヶ月遅れて2両ユニット(末尾4・5)を挿入し8連化する方法で行った。写真の3401〜3408編成は3400形最初期編成で、撮影当時は6両暫定編成だったが、1993年3月末に3404-3405ユニットを挿入し8連化された。

暫定6両編成だった3400形3411号

1994年3月3日  青砥

3400形第2編成目の3411〜3418編成は、3414-3415の中間電動車2両ユニットを除いた6連で、1993年9月末に落成。前面種別幕が新タイプ(細ゴシック字体・小文字対応英字併記タイプ)が初採用され、以後2001年4月迄に3500形原形車を除く京成全車両に波及(2002年10月の改正直前に全再交換)。1994年5月に3414-3415の2両ユニットが落成するまでの間、暫定6連で運用に入っていた。3400形は、1995年9月製の3441〜3448編成でスカートが設置されたほか、それ以前の車両も1996年9月迄に設置。以後、2003年以降はシングルアームパンタ化・転落防止幌設置等が行われ、写真撮影時の3400形も過去の姿。

AE形AE50号

1992年6月10日  船橋競馬場

AE形は成田空港開港に備え1972年2月〜1978年11月にかけて、6連7本計42両新製。京成初のチョッパ制御車で先頭車は制御車、中間車は電動車の6両固定でデビュー。車号の配置は第1編成がAE1〜10、第2編成目がAE11〜20といった順で、末尾4〜7は10連化の際の中間電動車挿入の計画があった為欠番になってた。1983年10月〜1984年9月に塗装変更(デビュー時のマルーン・クリームから写真のブルー・レッドを主にした塗装に)、AE100形が8連でデビューした直後の1990年6月末〜7月にAE21〜30・AE31〜40の編成の中間電動車2両ユニットを挿入することにより8連化が行われた。その際、制御車のAE31・AE40は中間電動車化改造され、AE64・AE65っと改番しAE61〜70編成に挿入、AE21・AE30は余剰廃車となり、8連5本に置き換えられた。しかし8連化後の活躍は短く、AE100形の増備により1991年7月以降順次運用を脱退し廃車になった。1993年6月末のAE61〜70編成による‘さよなら運転‘を機AE形の運用は終了し全廃に。廃車後車体は解体され、足回り・台枠等は3400形に流用した。写真のAE41〜50編成は、撮影から1ヶ月後の1992年7月末で運用脱退、足回りや台枠等は1994年3月〜7月に落成した3400形3421〜3428編成に流用された。

 

 

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