このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
写真 | タイトル | 写真 | タイトル |
旧青電 京成2100形2105号 (編成は成田方から、2105-216-215-2106) 1987年9月5日 京成関屋にて 地下鉄非乗入の青電グループのうち、1967年の更新によりカルダン化された210形中間電動車210〜219(1932年製、1967年の更新時に車体新製・カルダン化・台車変更等を行い新車同様になった)と制御車2100形2101〜2109号(1952〜1953年新製、1971年更新)・2000形2008号(旧国鉄63形、1961年車体更新)の計20両は青電最終グループとして、1980年代末迄使用された。1980年2月〜1981年10月に、従来の青電塗装から、3000番台同様の赤電塗装(帯ステンレス縁取はなし)に変更。1987年9月〜1988年3月に廃車となり、京成から青電グループの地下鉄非乗入通勤形車は消滅した。 | 引退1年前の京成3000形3001号 1990年2月14日 海神にて 3000形3001〜3014は赤電最初の形式で1958年5月にデビュー。日本初の地下鉄乗り入れ対応の私鉄車両(京成通勤車は、同形式以降の新製車は全車都営地下鉄浅草線乗り入れ対応車となった)。性能的には、750形以来の平行カルダン車だが、2両電動車ユニットとなった。室内広幅間通路・ファンデリアの採用等が目新しかった。デビュー時は、従来の青電塗装だったが、1960年〜1961年に後輩の3050形同様ツートン赤電塗装に変更した。1977年6月〜1978年11月に更新を行い、3009〜3014は中間電動車化、3001〜3008は車号順に4両固定編成化されたほか、先頭車のヘッドライト2灯化が行われた。1980年5月〜1981年10月に写真のファイアーオレンジベース塗装に変更した。写真の3001に関しては1977年6月に更新、1981年5月にファイアーオレンジ塗装に変更し、写真の姿になった。1991年3月末、3000形全車(3001〜3014)は3050形3075〜3076号と共に非冷房車のまま廃車となり、京成の車両冷房化率は、100%を達成した。 | ||
4両編成で普通運用に就いた3000形3005号 1990年5月4日 京成津田沼 3005は1978年9月に更新を施行、1980年5月にファイアーオレンジ塗装に変更され写真の姿になった。1980年代半ばまでは、3001〜3004・3005〜3008編成は、中間電動車化された3009〜3014のうち2両ユニットを挟み6両固定編成を組むのが基本だったが、1986年秋以降は3050形に座を譲り4両編成単独運用に就くことが多くなった。3050形の冷房化工事が進行した1990年初夏以降、再度3000形のみの6両固定編成を組成。さらに引退直前の1990年暮以降は、非冷房車3050形3075〜3076の2両を組むことにより8連2本にまとめられた。撮影時は3000形4両運用末期の頃で、3005号とすれ違うのは、更新直後の3300形クロスシート試作車3313号。 | 冷房化直後の京成3100形3121号(左) 、と新京成8800形(右) 1987年11月21日 京成津田沼 3100形は、1960年11月〜1962年2月に製造。3121以降は、空気バネ台車を採用した二次車。1980年7月〜1982年12月に更新施行、1987年7月〜1989年12月に冷房化・方向幕取付工事が施行された。3121〜3124編成は、3100形冷房化・方向幕取付工事のトップに選定された。同編成は、1970年より側客扉が小窓タイプのステンレス扉が採用され(残念ながら写真で見れないが)冷房化後もそのままだったが、1988年8月に通常の大窓タイプのステンレス扉に変更された。1994年6月に塗装変更。3100形形式消滅した1996年3月に、3123〜3124は廃車となり後に解体。3121〜3122は帯色・社名変更のうえ千葉急行にリースされた。1998年10月の千葉急行京成吸収合併後も、千葉急行塗装のまま引続き使用される事になり、再度京成の籍に入ったが、1998年12月に廃車となり後に解体された。 | ||
3100形3124号の車内 1988年1月 写真は冷房化後の3100形3124号車内。ステンレスの側客扉の小窓が特徴だった(1988年8月に通常の大窓タイプに交換)。ベージュ色化粧版・広幅間通路妻窓は更新後の赤電では3100形が最後だった。 | 解体途中の3100形3123号 1996年8月9日 宗吾車両基地 写真は1996年3月末に廃車となった3100形3123号。車体解体直前の状態で窓が外されていた。1996年1月〜3月の間、3100形3123〜3124号の他に、3101〜3108・3129〜3136号と、千葉急行にリースしていた3050形3067〜3074号の計26両が廃車解体対象車として引退し、それら全てを解体するには半年以上かかった。 | ||
京成3150形3187号 1993年3月 船橋競馬場 3150形は、1963年2月〜11月製造。1983年3月〜1985年6月に更新・冷房化工事が行われ写真のような姿になった。3100・3150形の片扉車赤電は、8両固定編成の3700・3400形の数が揃うまでは、4+4の8両編成で使用されることが多かった。写真の3187〜3190号は、2000年4月に北総にリースされ7050形7085〜7088号に改番。2003年12月、北総で ’7050形さよなら運転’を行った後京成に返却され廃車解体となった。3150形の中では、同時期に北総へリースされた3179〜3182と共に最後迄残った。 | 3150形3175号 1994年6月26日 京成大和田 写真の3175〜3178号は1984年9月〜11月に2両単位で更新・冷房化を施行。1993年8月に塗装変更し写真の姿になった。1998年10月に北総にリースされ、7050形7071〜7074として使用した。2001年5月に京成に返却され、営業運転に戻らずに廃車となった。 | ||
3200形3204号 1995年4月1日 おゆみ野 3200形は1964年11月〜1967年12月にかけて88両製造。1985年7月〜1989年6月に更新・冷房化工事を施工。そのうち、3221以降は先頭車片端台車が付随台車となり、これを6M車と呼ぶ。写真は3150形同様、全台車がモーター台車の3201〜3220の8M車グループ(1964年秋に新製したグループ)。試験塗装等で話題の多かった3200形8M車は、2003年3月〜2004年1月に全車廃車となった。写真の3204を含む3201〜3204編成は3200形8M車で唯一試験塗装編成の対象にはならずに1994年8月、ファイアーオレンジから写真の現行標準色に変更。2004年1月の廃車時まで使用した。 | 8両編成で特急運用に就いた3200形8M車3205号 1995年11月 市川真間〜菅野間 3200形8M車は、4+4の8両優等運用も多かった。写真の3205は1986年6月に更新・冷房化。1992年1月に試験塗装車としてイエローグリーンベース色に変更したが、1993年5月末、試験的に編成単位で現行標準となったグレーベースにレッド・ブルー帯を配した塗装に変更し(翌月より赤電の塗装変更は本格化し、1995年初夏に在籍車は完了)、2003年3月の廃車時まで使用した。撮影場所の市川市菅野付近は、今も昔も閑静な住宅街だが、外環道路の建設により、今後大きく変わる可能性もある。 | ||
試験塗装色のまま残った3200形3220号 1993年8月下旬 西登戸 3217〜3220編成は、1991年12月上旬にグレー試験塗装車となり、現行標準色への塗装変更が開始した1993年6月以降も、試験塗装色のまま残った(現行塗装に近かったが、帯配置等が大きく異なっていた)。1993年12月に現行塗装に変更され、2003年3月に廃車になった。 | 旧塗装3100形一次車3116号(左) と現行標準塗装の3200形6M車3232号(右) 1994年4月10日 海神 写真左の3100形3113〜3116号はファイアーオレンジ塗装のまま、1995年3月に廃車となった。写真右の3200形は6M車グループ3232号で、1993年10月塗装変更された。それから約12年後の2006年1月に廃車になった。写真撮影時期は塗装変更過渡期で、新旧塗装顔合わせも多く見られた。 | ||
更新後の3200形3295号 1990年3月23日 千葉中央 3200形のうち3291〜3298は、1967年12月に特急開運号としてセミクロスシート車・WC付、3150形同様の片扉車でデビュー。1974年にロングシート化・WC撤去等、通勤車化を行ったが、片扉車の為、他の3200形とは異端的扱いだった。3200形片扉車のうち3291〜3294号は1988年5月にVVVF試験編成として更新・冷房化。3295〜3298号は1989年4月〜6月に抵抗制御車のまま更新・冷房化(2両単位で工事施行)。写真は、更新・冷房化後約1年後の3295〜3298編成。同編成は1994年12月に現行標準色のグレーベースにレッド・ブルー帯に塗装変更。2004年1月に3291〜3294編成が廃車となり、3295〜3298は京成最後の片扉車として活躍した。2007年1月‘ 開運‘ 復活運転イベント(2007年1月28日に行われた)に備え旧赤電塗装(モーンアイボリー+ファイアーオレンジにミスティラベンダー帯)に変更した。イベント以外は4両運用に混じり使用し、ファンを喜ばせた。2007年3月下旬に廃車になった。 | 冷房化後、更新前の3300形一次車3305号 1989年5月2日 京成船橋 3300形は1968年11月〜1972年3月に54両(一次車3301〜3316と二次車3317〜3350・3353〜3356)製造。1980年8月〜1981年12月に従来の赤電ツートン色からファイアーオレンジ塗装に変更、1984年6月〜1987年5月に冷房化工事、1989年6月〜1992年4月に更新、1993年8月〜1995年4月に現行標準塗装に変更。2007年現在は、踏切事故によりに廃車となった3329〜3330と、北総にリースされた3305〜3308・3313〜3316以外の44両が京成車として活躍している。1968年11月に製造された3301〜3316の一次車は、外観上3200形同スタイルで落成。冷房化時は唯一の方向幕なしの冷房車だったが、1987年10月〜1988年7月に方向幕取り付け工事を施工した。写真の3305は1980年8月にファイアーオレンジ塗装に変更、1987年3月に冷房化、1987年10月に方向幕・種別幕取付工事を行ない、それから1年半後の姿。Hゴム付の側客扉や、保護棒付の側窓等が懐かしい。撮影後の1989年8月に更新、1993年12月に現行標準色に塗装変更を行なった。2006年4月1日付で北総にリースされ、7260形7261として活躍中。 北総7260形7261号の外観 (2007年4月) | ||
3300形一次車、新旧塗装混結 3313号(左の旧塗装)と3306(右の現行色) 1994年5月29日 千葉中央 塗装変更過渡期の3300形一次車。3306は1993年12月に塗装変更済だった。ファイアーオレンジの3313は、1990年4月の更新時に、クロスシート試作編成となった3313〜3316編成の成田寄先頭車。クロスシート試作3313〜3316編成は、常に成田方に3300形一次車2両ユニットを連結し6両編成を組んでた(更新直後、一時的に上野方に2両ユニット連結し8両組んだ事もあった)。1995年4月に塗装変更と同時にロングシート化され、個別シートを試みる事になった(その後、2001年8月にバケットシートに再交換)。オールクロス車だった3313号は、更新後のファイアーオレンジ塗装で先頭に出たことはなかった。2006年4月1日付で、3305〜3308・3313〜3316は北総にリースされ、帯色変更のうえ北総7260形7261〜7264・7265〜7268として使用中。 | 冷房化後、更新前の3300形二次車3320号 1988年3月19日 京成高砂 3300形二次車3317〜3350・3353〜3356は、1969年12月以降に製造。当時より方向幕を搭載したことが3200形・3300一次車と異なる。台車は、3000形や3050形等赤電初期形式との混結も考慮してコイルバネ台車が採用された。1984年6月〜1986年4月に冷房化単独工事を実施。1985年3月迄に同工事を施工した3325〜3332・3341〜3350・3353〜3356は横浜の東急車輛で実施、それ以後は宗吾の大榮車輌で実施した。3300形二次車の更新は1990年2月以降に行われた。写真の3320は、1969年12月新製、1981年4月にファイアーオレンジへ塗装変更、1986年2月に冷房化を行い写真はそれから約2年後の姿。その後、1991年10月に更新、1993年8月に現行標準色のライトグレーベースにレッド・ブルー帯に塗装変更し、2007年現在も使用中。 | ||
落成直後、暫定6両編成で 使用した3400形3418号 1994年2月27日 東中山 3400形はAE形の台車・足回り機器等を流用して、1993年1月〜1995年11月に8両編成5本新製。車体は、大榮車輌で新製した鋼製車両。同形は、最初に中間Mユニット2両を除いた6両で落成・営業運転入し、数ヶ月遅れて中間2両ユニットが落成し8両編成化する形で竣工した。写真の3411〜3418編成は、1993年9月に中間Mユニットを除いた6両で落成、1994年5月に中間Mユニットが落成され8両編成になった。当編成は2003年夏から秋に転落防止幌取付・シングルアームパンタ化・シート生地変更(新3000形同様の色)、2005年9月末に室内扉部LED案内表示機を変更した。 | スカート未装着時代の3400形3438号 1996年6月15日 谷津〜京成津田沼間 写真の3431〜3438編成は、1995年1月下旬に6両(中間電動車ユニットを除いた)で落成。1995年3月に中間電動車ユニットの3434・3435が落成し8連化した。続いて、3441〜3448編成が1995年9月に6両(中間電動車ユニットを除いた)落成。その編成から3700形二次車同タイプのスカートを装着してデビューした。同編成中間電動車ユニットの3444・3445が落成した1995年11月の時点で3400形は生産完了し、種車AE形同数の8連5本が揃った。3438までの先頭車両も1995年11月〜1996年9月にかけて、スカート取付工事を施工した。撮影時は、3401・3408・3431・3438がスカート未装着車だった。3400形は、2003年〜2004年に転落防止幌取付やシングルアームパンタ化等の小改造が行われた。3400形は、2007年現在も、京急線羽田空港乗入運用等を中心に使用中。 | ||
旧帯色時代・更新前の 3500形3545号 1994年6月22日 京成津田沼〜谷津間 3500形は、1972年12月〜1982年5月に3501〜3596の96両製造され、京成の主力形式だった。1992年3月〜1993年6月にかけて約半数の車両で側面窓上帯のみブルーに変更。1993年8月〜1995年3月に、更新入場直前だった3501〜3504編成を除き現行標準色のレッド・ブルー色への帯色変更が行われた。写真撮影時は3500・3600形現行標準帯色変更の過渡期で、3500・3600形で側面上下帯がファイアーオレンジで残った編成は3545〜3548編成のみだった。3545〜3548編成は、1974年秋に新製した3500形3次増備車で、更新施行対象車であり、2001年1月に3547〜3548、同年3月に3545〜3546を更新。この編成をもって3500形の更新は中止となり、最終的に1972年暮〜1974年秋に製造した3501〜3556で更新施行。1976年暮〜1982年初夏に製造された3557〜3596は更新の対象から外れ2003年3月以降順次廃車されることになり、2005年9月までにに3557〜3572が廃車済。 | 3500形3557号 1988年6月 谷津にて 3700形がデビューするまでは、3500形は8両優等運用のエースだった。3500形は1972年〜1974年製の3501〜3556を1996年3月〜2001年3月に更新。1976年〜1982年製の3557〜3596は更新せずに順次廃車することになり、写真の3557〜3560編成は2003年3月に3500形初の廃車となった。その後、2005年2月に3561〜3568、同年9月に3569〜3572が廃車となり、3500形原形車は4両6本のみになった。 | ||
3600形3628号 1992年7月31日 京成大和田 3600形は1982年6月〜1989年7月に6両編成9本製造。1993年9月〜1995年6月帯色変更、1997年7月〜1999年9月に8両編成化を主とした編成替が行われた8両編成6本、6両編成1本の体制になった。8両化を主とした為、6両の余剰制御車のが生じ、そのうち4両を電動車化し、VVVF車として6両編成を組成することになった。写真の3628もその1両で、1999年2月に3621・3628・3661・3668と共に電動車化(VVVF)した。1999年8月に制御車2両を中間に挟み、成田方から3661-3628-3601-3608-3621-3668といった新編成が生まれた。新編成の中間車の乗務員室は機器等を外した以外は変化なく、2+2+2の6両編成として活躍中。 電動車化(VVVF化)し、中間に埋め込まれた 3628の外観・車内 (2006年10月) | デビュー直後の3700形3728号 1991年8月29日 京急川崎 3700形は成田空港ターミナル直下乗入・北総2期線開業を機に、1991年3月デビュー。同年4月迄に8両固定編成3本が1次車として落成。2007年現在は3700・3400形等を中心に京急線羽田空港へは頻繁に乗り入れるが、京急川崎への乗入は1998年11月以降定期運用では消滅した(年始の箱根駅伝開催日のみ、京急川崎へも乗り入れた)。当時、京成車による京急川崎〜千葉ニュータウン中央間の運用があり、この運用には数少なかった3700形がよく使用された。 | ||
3700形3701号 1994年3月中旬 菅野 3700形は1991年4月に新製された3721〜3728編成以降は、1994年12月の3731〜3738編成まで増備はなかった。写真はデビューから丸3年の3701〜3708編成で、前面スカートは未装着だった。3731以降、前面スカート付でデビューし、1991年製の3700形一次車8両編成3本(3701〜3728の編成)も1995年6月〜8月に前面スカート取付した。3700形一次車は2007年2月〜3月に前面・側面の種別・行先表示を幕表示からLED表示に変更した。 | 初代 ‘スカイライナー‘ AE型AE11号 1991年11月4日 京成津田沼 初代スカイライナーAE形は、1972年2月〜1978年11月に6両編成7本新製。1983年10月〜1984年10月に写真の塗装に変更。1990年6月〜7月に8両編成化し、制御車2両を中間電動車化・制御車2両廃車により8両編成5本に置き換えた。1991年秋以降、AE100形の増備により順次休車となり、1993年6月末で同形の運用は終了。以後順次廃車解体となり、足回りは3400形に流用された。 | ||
京急から約3年間リースした 京成1000形1037号 1991年9月2日 幕張本郷 1988年12月、京急で廃車になった1000形8両(上野方から1029〜1032・1037〜1040号でいずれも1960年製)を、車号・塗装も京急時代のままリースされた。リース時の主な改造は、方向幕が京成仕様の青地のものに交換されたほか、社名ロゴ変更等。リース後、約2年は8両で優等列車に使用されたが、1990年12月以降、4両編成2本に分割され、普通運用中心に使用した。1991年11月に1037〜1040を京急に返却され、解体。1029〜1032は1992年1月に千葉急行に又貸しという形でリースし1994年1月まで使用した。返却後は、京急の久里浜工場で解体した。 | 旧京急1000形を譲渡した 北総7150形7158号 1992年6月21日 新鎌ヶ谷 1991年3月、北総2期線開業を機に京急より1000形16両を譲渡。形式は7150形とした。外観上、シルバーベースに北総ブルー帯を配した塗装に変更された以外は原形を留めていた。1995年10月に7161〜7168編成、1998年2月に7151〜7158編成が京成3150形をリースした7050形と代替に廃車となった。写真撮影時期は、北総2期線開業1年3ヶ月後で、新鎌ヶ谷駅周辺は殆ど住宅はなかった。新京成線の新鎌ヶ谷駅開業も、目前だった。 | ||
冷房化前の赤電の送風機‘ファンデリア‘ 1984年7月下旬 冷房化前の3050形3067号車内にて 赤電形式の3000〜3300形258両は、全車非冷房車でデビューし、室内送風機として写真の三菱製のファンデリアを設置した。3000形がデビューした1958年当時としては、ハイレベルな鉄道部品の一つだった。1983年以降、赤電の冷房化工事が始まり、ファンデリアは順次撤去、冷房装置と東芝製首振扇風機に変更。1991年3月末に廃車となった3000形全車14両(3001〜3014)と3050形2両(3075〜3076)以外は全車冷房化完了し、京成からはファンデリアは姿を消した。 |
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |