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京成電鉄のセピア

なつかしの新赤電塗装や非冷房車3000形など

ここでは、今は見れなくなってしまった京成車両等の写真を中心に掲載しました。
近隣系列社で、京成と乗入を行なっている北総の過去車両や、会社解散した千葉急行の車両も一部掲載しました。




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写真

タイトル

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タイトル

3200形6M車3224号

1992年12月30日 お花茶屋

1964年秋に落成した3200形一次車3201〜3224のうち、3221〜3224編成は先頭車運転台側のがT台車でデビューし、これを、京成では6M車と呼ぶことになった。同編成以降の3200形は6M車で製造され、1982年製の3500形にまで至った。3200形6M車は、1964年製の3221〜3224以降、1965年秋〜1967年末にかけて3225〜3280・3291〜3298の68両新製。1986年7月〜1989年3月、3221〜3280は更新・冷房化が施行され、同時に6両固定編成×10本に置き換えた。1992年8月〜1995年2月に、先頭車の台車振替(先頭側をM化する為)、それと平行するような形で1993年8月〜1995年2月に塗装変更が行われたが、旧塗装時代に台車振替工事を行った車両もあり、写真の3224もその一両であった。2003年11月より廃車が始まり、3261〜3264以外は2007年春までに廃車済。3221〜3224・3233〜3236は2003年12月、北総にリースされ北総7250形として余生を送ることになった。写真の3224は、北総7258として活躍してきたが、2006年3月に京成に返却され廃車になった。

塗装変更直後の3268号

1993年8月14日   市川真間

3200形6M車両扉車(3221〜3280)のうち1967年秋に落成した3265〜3268編成から、ユニット間が狭幅貫通路・半永久連結となり、2両分割し6両編成組成も可能になった。同編成は、1987年2月〜3月に更新・冷房化、その際電子フォーン音警笛を試験採用。新車では1987年6月に落成した3631・3638で初採用し、以後の新車や3300形以降の更新車でも本格的採用された。3265〜3268編成は、1987年4月〜7月に更新・冷房化された3229〜3232・3249〜3252のうち3229・3252を中間化することにより、2両ユニットを分割化し6両固定編成を組んだ。しかし、3200・3300形6両固定全編成車は、1999年夏まで全般・重要部検査は原則的に車号順に4両で行っており(1999年秋以降は原則的に6両固定で行う事になった)、暫定4両・8両編成も組成することもあった。写真の3268も、3265〜3268の暫定4両編成で、1993年8月の検査時に3200形6M車初の塗装変更を実施。同時に、京急乗入対策として先頭車台車振替も行った。2005年秋時点で現存する3200形との相違点は、前面種別幕の字体が異なる。3267〜3268は2004年12月上旬に3249〜3252と共に廃車になり、解体された。

未更新時代の
3200形6M車3256号

1988年7月9日  東中山

3200形の更新・冷房化が進行していた1988年7月上旬時点では、6M車のうち3243〜3244・3247〜3248が更新入場中、3245〜3246が更新入場直前で運用脱退してたほか、3253〜3260・3275〜3276と片扉車の3295〜3298が未更新・非冷房で運用されていた。この時期、未更新車3253〜3260・3273〜3276の12両は、3273〜3276を2両ユニット分割することにより6両編成2本を組んでいたが、3273〜3276が更新入場した1988年8月末以降、3253〜3260は4両編成2本に組み替えられた。3253〜3256編成は京成の両扉車としては最後の非冷房車だった。写真の3256は、1989年2月に更新出場、1992年10月に先頭台車M化(先頭車の台車振替)、1994年5月に塗装変更が行われた。2006年3月、新3000形に押され 廃車になった。


3256 更新・冷房化後、
塗装変更後の姿
(1996年9月)

未更新時代の
3200形片扉車3298号

1987年8月  立石

3200形のうち、1967年12月に落成した3291〜3298号は1600形代替として有料指定特急車‘開運‘としてデビュー。3150形同様の片扉車としてデビューし、WC付・セミクロスシートだったことが特筆。1973年、AE形デビューにより通勤車化改造され、WC撤去・ロングシート化が行われたが、片扉はそのままで、3200形特異なグループだった。3150形と混結し6両編成を組むことも度々あったが、3150形が更新・冷房化完了した1985年以降、更新入場時までは4両のみで使用された。写真の3298は1989年4月に更新・冷房化、1994年12月に塗装変更。更新後も片扉車である為、3200形の中では異彩を保っていた。晩期の2007年1月に 開運‘ 復活運転を行うため更新後の姿のまま赤電ツートンカラーに戻され運用に入り、2007年3月末に廃車となった。


更新後、リバイバルカラーの3298
(2007年1月)

廃車後、解体中の3298
(2007年6月)

塗装変更直後の
3200形VVVF車、3291号

1994年5月15日  検見川

4両編成2本在籍していた3200形片扉車(3291〜3298)のうち、3291〜3294編成は1988年5月の更新・冷房化時に試験的にVVVF化された。車体外観スタイルとしては、前面の角形ライトが他の3200形と異なっていた。写真は、1994年4月末の塗装変更直後の姿。同編成は2003年初夏頃よりVVVFインバーターの故障が目立ち、初期タイプのVVVF制御は部品調達も困難であることから、3200形8M車全廃時の2004年1月に廃車となった。

更新後の3300形一次車3305号

1991年3月21日 
東中山〜京成西船

3300形一次車3301〜3316は1968年11月に落成。当初は3200形と同スタイルだったが、室内で座席・荷棚・吊革のパイプが一体型となった点が異なった。1986年夏〜1987年春に冷房化工事、1987年秋〜1988年夏に方向幕取り付け工事を行った。1989年6月〜1990年4月に更新が行われ、外観スタイルは更新後の3200形に近似スタイルになった(3200形とは、前面間通扉窓の支持方式・側面方向幕位置が異なる)。その後、1993年12月〜1995年4月に塗装変更が行われた。写真の3305は1989年8月に更新され、それから1年半後の姿。1993年12月に現行標準色に塗装変更した。2006年4月1日付で3305〜3308・3313〜3316は北総鉄道にリースし、7260形7261〜7264・7265〜7268と改番し活躍中。

更新前、冷房化後のの
3300形二次車3341号

1987年7月25日  東中山

3300形二次車3317〜3350・3353〜3356は1969年12月〜1972年3月に落成。3000・3050形等、赤電初期形式との混結も考慮し、空気バネ台車でデビューしたほか、製造時より方向幕も取り付けられた。1984年6月〜1986年4月に冷房化単独工事が行われた。その際、1985年3月迄に施行した3325〜3332・3341〜3350・3353〜3356は横浜市金沢区の東急車輛にて施行、他は自社の大榮車輌で行われた。1990年2月〜1992年4月に更新、1993年8月〜1995年4月に塗装変更が行われた。2003年3月、3329〜3330は同年1月の踏切事故の為、廃車になった更新時、3317・3321・3325・3332・3336・3340が中間電動車化改造が行われた。写真の3341は1984年7月に冷房化、1991年12月に更新、1995年1月に塗装変更が行われた。尚、冷房化直後の1985年春〜1986年夏にかけて写真の3341と同編成だった3342・3343で室内送風機にローリーファンが試用されたことも特筆。

更新前、冷房化後の
3300形二次車3321号

1989年7月12日 京成津田沼

1970年12月に、日本車輌にて製造した3321〜3324は、1981年12月にファイアーオレンジへの塗装変更、1985年7月に冷房化工事を施行し写真の姿になった。1991年5月に3323〜3324、同年7月に3321〜3322といった順で更新、その際3321は中間電動車化された。1993年8月、3321〜3322と3319〜3320が3300形初の現行標準塗装変更車として、ファイアーオレンジ塗装だった3329〜3330を成田寄に連結し6両固定編成ながら、新旧塗装混合編成として営業に入った事も特筆。更新後は幾度か編成替を行っていたが、1999年夏以降、成田方から3345〜3346+3321〜3324の6両固定編成が定着化し、2007年現在も使用中。


更新・塗装変更後の3321の姿
(2006年10月)

冷房化後、更新前の
3300形二次車3348号

1987年6月6日  京成船橋

京成は1980年代、車両冷房率が関東大手私鉄で最悪だったが、1983年3月より3150形を更新時に冷房化。翌1984年6月より、車齢の若い3300形二次車についても冷房化単独工事を行う事になった。その中で、第一陣に選定されたのが3345〜3348・3349〜3350の6両で、横浜の東急車輛にて施行。撮影時は冷房化から丸3年後の姿で、3300形2次車に関しては前面運行表示幕枠が白だった編成が多かった。3348は1990年11月に更新、1994年3月に塗装変更を施行。2007年現在も、3347〜3348ユニットは3337〜3340と連結し6両固定編成を組み使用中。

更新直後の3300形二次車3344号

1992年3月8日  新鎌ヶ谷

3343〜3344は1992年2月中旬に更新され、撮影時は更新入場中の3329〜3332以外は更新済だった。3344は1995年2月に塗装変更。写真は北総線に乗り入れた時。北総線は1991年3月から1993年4月京急線羽田駅(現 天空橋駅)開業までの間、北総線千葉ニュータウン中央から京成線・都営線を経て京急川崎へ行く運用が昼間帯の主であり、この運用に一部京成車の6連・8連が使用された。だが、京急線の規定から先頭台車がM台車である編成に限られていた。6連の場合、当時6連主力だった3200形と3600形は先頭台車がT台車の為不可。3300形の先頭車は更新時、京急乗入対策として先頭台車がM台車になるように台車の振替を行なってた為、6連京成車としてこの運用に担当される事が多かった。

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