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有井浮風・諸九

『湖白庵集』(諸九尼)

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 明和4年(1767年)、諸九尼 は京都岡崎の 惟然坊 旧庵「風羅堂」に「湖白庵」を結ぶ。『湖白庵集』上梓。廣陵風律序。黄薇暮雨跋。

湖白庵浮風、風雅をこのみ、生涯吟杖をとゝめすして、其名一世に鳴る。志の深きなり。没後その婦人諸九尼、其糸すしをつたひて、ひとり關西を經歴す。その志いよいよ深し。今年庵主の吟をあつめて梓に上す。人々其志の厚を感して、洛東岡崎に草庵をいとなみ、此尼をあるしとす。これ各風雅になくさみ、修行地とせんとなり。

廣陵風律書

   湖白庵の記

世に侘人の住る所には、嵯峨深草の里とはいへと、都へ足駄かけのたよりのわろきや。この 岡崎の里 は、たゝ千鳥なく加茂の川一すしをへたて、しかも幽閑の地にして、あうしの百姓の草の軒、尼法師の竹の網戸、門をならへて、おのつから風流のかくれ家にとあはれに心とゝまりておほえけるにや。むかし惟然坊この地に風羅堂を造立して、祖翁の遺徳をしたひ侍りしあらましは、もとの冥加といへる書に残れるのみ。



 明和四亥年五月十七日於湖白庵興行

花橘のにほひおほつかなく結ひ捨たる庵のありけるを、人々のもとめ給りけるにうつり侍りて

子規聞はや雨の世話もなし
  諸九

 名もあらたまる軒の若竹
   文下

五献目は波のたつほと引うけて
    蝶夢

 また夜は深いなんの明ふそ
   吟風



  
背競を裾てほめたる柳かな
   文下

隣から隣も遠し桃のはな
   只言

また咲ぬ躑躅も見へて諫皷鳥
    蝶夢

浪華

扇とはちかふた物よはつあらし
   南華

竹の子やもふ一つ身の胸あはす
   舊國

備後
  三原
浦の月背向て居る家もあり
   梨陰

備中
  倉敷
七草をきぬたはしめやあちの里
   暮雨

安藝
  廣嶋
鴫たつや我片膝もひとり立
    風律

筑前
  直方
恐ろしい我足音や虫の音
   文沙
  飯塚
牛の舌とゝけは逃る柳かな
   依兮
  内野女
蝉啼や一頻つゝ蒸やうな
   なみ
筑後
  善道寺
後の月夜は柳から更にけり
   而后

伊勢
  山田
陰日南なしに働く柳かな
   麦浪
  
麦蒔や飯呼ふ聲を吹ちきり
    二日坊

駿河
  吉原
聞知た寺の鐘さへ秋のくれ
    乙児

江都

椎の木の下にあかるき椿かな
    秋瓜

物かけてつい寐た顔や朧月
    鳥酔

    烏明

鶯やしつまりかへる奈良の町
    蓼太

常陸
  水戸
髪ゆふた子共からまつころもかへ
    三日坊

陸奥
  仙臺
秋さひし蚊も相人には足らぬほと
    丈芝
  津經
秋さひし蚊も相人には足らぬほと
   里圭

加賀
  金沢
夜はついに明て只居る蛙かな
    麦水

薪にも足らて残るやかれ柳
    半化坊
  松任
初しくれ水にしむほと降にけり
    素園

近江
  粟津
六条に汐も焼かとおほろ月
    既白

ことことと水もいぬるや秋のくれ
    可風

あたゝめる硯も雪の朝かな
   文素



延享のはしめの秋、浮風難波に住ける頃ほひ、東の柳居、伊勢の麦浪、洛の風之なと尋来まして、ともにうちつれて、住よしの寶の市の月にうかれし風流の一巻ありしを、古皮籠の中よりもとめだして、その頃のしのはしく筆の序にかいつく、

   柳居
八合の月見はおかし升の市

 火縄ひへ行松原の中
   梅従

京の手も碪はおもふ響せて
   杜菱

 額はしらに眠る馬引
   浮風



市の升油は入れし後の月
   杜菱

何買に言の葉屑を升の市
   梅従

升買ふて松露拾はん十三夜
   浮風

後の月杖を寶の市人数
   風之

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