このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

下 町台東区
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不忍池不忍池弁天堂〜

JR山手線御徒町駅から不忍池へ。


不忍池


左に見えるのはルネッサンスタワー上野池之端。

38階建だそうだ。

不忍の池は 森鴎外 『雁』の主人公「岡田」の散歩道である。

 寂しい 無縁坂 を降りて、藍染川のお歯黒のような水の流れ込む不忍の池の北側を廻って、上野の山をぶらつく。それから松源や雁鍋のある広小路、狭い賑やかな仲町を通って、 湯島天神 の社内に這入って、陰気な臭橘寺(からたちでら)の角を曲がって帰る。

森鴎外『雁』

正岡子規 は不忍池を度々句に詠んでいる。

   不忍池

辨天をとりまく柳櫻かな

『寒山落木』 (巻五)

   不忍

辨天の樓門赤き櫻哉

『俳句稿』 (明治32年)

中央に不忍池弁天堂が見える。

不忍池弁天堂


寛永年間(1624〜44)、 慈眼大師 天海創建。

不忍池の中島にあり。当社は江州竹生島のうつしにして、本尊弁財天および脇士多門・大黒の二天、ともに 慈覚大師 の作なり。

社伝に曰く、往古 東叡山 草創の時、慈眼大師この池を江州の琵琶湖になぞらへ、新たに中島を築き立てて、弁天の祠を建立せられしと云々。(『江戸名所記』には、水谷伊勢守建立せらるゝとあり。)


安永9年(1780年)4月14日、蝶夢は弁天堂に参拝している。

神田の社湯島の社 ・忍ばずの池の弁財天など拝みて池水にのぞむに、水すゞしくたゝへ蓮葉うかみていと広し。


不忍池弁天堂の裏に「芭蕉翁」の碑があった。


寛政年間、 白寿坊信我 建立という。

碑面の外ニ文字無之

寛政年中東都獅子門白寿坊信我建ト云


獅子門は 各務支考 の門人。

野村信我 は江戸下谷住。幕府御家人。

昭和11年(1936年)、 富安風生 は不忍池を訪れ「芭蕉翁」の碑を見ている。

   上野不忍池

うづくまるかたゐを見まじ枯蓮

不忍に芭蕉の碑あり枯蓮

枯蓮をみな見に出たる座空し

『十三夜』

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