このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

みい子 の ひとり言

徳島県シルバー大学校 意見発表

自薦・他薦で持ち時間8分間・テーマは「生き甲斐について
長い間、各分野で活躍されていた方達の個性あふれるスピーチです。
(敬称略)

近藤 栄克 谷本 惣平 重本 隆博 市村 素子
野崎 陽子 村本 裕子 妹尾美代子 新居すみ子
        生き甲斐について  谷本 惣平

 私の「生き甲斐」は旅行です。旅行は楽しいですよね。
旅行の計画、行くまでの楽しみ、旅行中の感激、旅行後の写真などの整理などいろいろです。旅行の目的はいろいろありますが、私の場合は、世界遺産、遺跡、美術館などの見学、また、山が好きですからトレッキングなどです。

 女性に方は、買い物ツアーなどがありますが、私には関係ありません。では、なぜ旅行が「生き甲斐」なのかについてお話しましょう。それには、「自分歴」を知ってもらわねばなりません。私が生まれたのは昭和13年寅年で、隣の県、讃岐です。昭和31年に高校を卒業し就職をしました。一年経った頃、いろいろな事情で退職し、自衛隊に入隊しました。自衛隊の中にはいろいろの職種があります。私は、飛行機関係の整備を選びました。その中で電子関係を選択しました。電子関係と云うのは、通信機やレーダーの整備です。その後、搭乗員の適性検査を受け合格し、搭乗員になりました。飛行機の搭乗員といえば航空自衛隊のパイロットと思う人が多いと思いますが、陸・海・空自衛隊には、それぞれの航空部隊があり、飛行機を持っています。私は、海上自衛隊の方で、対戦哨戒機の通信、レーダー関係の搭乗員となったのです。

 平成7年に定年退職をしましたが、それまでの大半は飛行機にのっていました。飛行時間は7000時間ぐらいだったと思います。退職前の10年間は、救難部隊で、救難飛行艇に搭乗して人命救助の勤務でした。救難飛行艇と云うのは、海上に着水できる大型航空機で、重さは約50トン、搭乗員12名です。任務は、遠洋における遭難船の捜索救助、けが人・急病人の搬送、また、離れ島の急病人、けが人の搬送などです。離れ島というのは、小笠原諸島がほとんどでした。特殊なものでは、遠洋で漁船員の殺傷事件があり、その犯人を父島から羽田に運んだこともありました。このような勤務ですから、6日に一度の当直勤務があり、拘束されるため、旅行に行く機会は全くありませんでした。

 海外旅行などは夢の夢でした。旅行と云へば、子供達の夏休み、冬休みに妻の実家に帰るのが精一杯でした。退職後はそういった拘束もなく時間もとれるようになりました。そんなあるとき、妻が海外旅行に行きました。2回目がスイス旅行で好天に恵まれ素晴らしかったようです。妻は海外旅行に一緒に行こうと、ひつこく云うのですが、私は「国内旅行にも行っていないのに外国旅行になど行けるか」と、頑張っていたのですがスイスの話、写真などを見ているうちに、一度行って見ようと思い、8年前に妻と二人でスイスのトレッキングツアーに行きました。

 普通海外旅行は、関空とか、成田空港に集まりツアーリーダーが付き添いますが、この時は初の海外旅行だというのに、関空から香港、ドイツ経由スイスまで各自で行き、落ち合うというものでした。途中は2回の乗り換え、ビックリしましたが、何のトラブルも無く行くことが出来ました。平成10年7月20日、夏ですがスイスの山々は雪があり素晴らしい景色でした。このツアーは、中年の5家族10名で10日間の日程でした。旅行中は天候にも恵まれましたし、移動は船、電車んど、地元の人たちと一緒に乗って目的地に行くようにスケジュールが組まれていました。普通は日本人ツアー客だけがバスで移動するのが殆どですが、少人数だったのでこのような方法になったのでしょうが、このことで、地元の人たちとの触れ合いもあり、旅を更に楽しくしてくれました。この仲間の皆さんからも、夫婦での旅行の楽しさも教わりました。このように第一回目の海外旅行が素晴らしかったので、その後、8年間に9カ国の旅に出ました。旅行って楽しいですね。と云うわけで「私の生き甲斐」は旅行です。

 先般の講義で「円満な家庭のあり方」の中で、万福寺住職・福島誠淨 様が云っておられた「ボケ防止」のひとつに、「元気な間に旅行を」と云うのは全くその通りだと思います。皆さん楽しい旅行をしようではありませんか。 
  

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