このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
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生き甲斐について 妹尾美代子 | |
私は四国88ヶ所・10番札所・切幡寺の門前町の近くで生まれ育ちました。日当たりの良い、広広とした環境の中で育ったので性格はのんびりとしております。娘時代をそのような中で過ごしましたが、結婚して夫の勤務先の香川県高松市で生活をする事になりました。高松市での生活が始まってすぐに、カルチャーショックを受けました。先ずは言葉です。徳島も方言はありますが、高松の場合は、「それでね」と云う場合「それがのう」「のう」と云って、やたらに「のう」を連発します。また、子供を見て「これ、うまげな子やのう」と云います。初めて聞いたときは、子供を食べられるのかと思い、ビックリしました。「これを下さい」と云う場合も「これ、いたー」と云います。これにもびっくりしました。子供の転校手続きに行った時も、職員室でいろいろとお話を伺ったのですが、大体の意味は理解できるのですが、意味不明の方言が理解できるようになるまでには、日数が掛かりました。しかし、地域に溶け込むことに努力をしている内にだんだんと慣れてきました。 また、私の子供時代には学校にプールが無かった時代だったので、子供達は近くの吉野川で泳いでいましたが、私の場合は母親が危ないからと云って川へ入らせてもらえ無かったので、川岸で遊ぶ程度なので、全く水泳は出来ませんでした。 住んでいた処は繁華街にも近く、近くには三越デパートもあり、非常に便利な場所でした。暇と若さに任せて、足に豆が出来るほど歩き回ったり、名所旧跡を巡り歩いたり、そのような中で友達もたくさん出来、高松での生活は楽しい思い出が一杯になりました。このような状態を生き甲斐が有った人生と云うのだと思っています。 夫の定年退職を機に再び夫の生まれ故郷に帰ってきましたが、高松で親しくなった友達との交際は今も続いております。 今日のテーマは「生き甲斐について」と云うことなので、今までの人生を振り返ってみまました。妻として、子供の親として、また、一人の女性として考えて見たとき、それぞれに「生き甲斐」があったと思っています。 例えば、妻としては、夫の多忙な毎日を支え、その中で子供の成長を見守り、その中で、喜び、苦しみ、楽しみを家族と共有し一緒に歩んで参りました。 このような中で今、振り返って見ましても幸せであったと思うと共に今は、私の人生の中で大きな喜びを感じております。健康で、いろいろな目標を持って毎日を楽しく暮らしている事に感謝しております。最近は、子供達も皆、独立し、家族の協力もあって、シルバー大学校に通うことで、たくさんの素晴らしいお友達も出来、喜びを共有出来ることを嬉しく思っています。これからも、趣味やその他、生きていて良かったと思えるように過ごしたいなと・・・そしてこのような出会いを大切に、多くの人たちと語り合い、楽しい人生を送りたいと思っております。これからも宜しくお願いします。
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