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森川許六

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『五老文集』
(許六自筆遺稿)

(元禄二年冬自序・自元禄二至同六)

   己巳除夜

鰤をきる大晦日や仏の日

   庚午元旦

けふの春雪のふつたる事もあり

 元禄4年(1691年)10月9日、森川許六は彦根藩中屋敷を出る。19日、夜の中に不破の関を越えて彦根に帰る。

ことしや未の六月のころ、旅だちて故里をなむ出たり。むさしの江に官遊して、閣中にこめられ、旅客断腸のおもひを万里の月に寄せたり。水雲の身のならひに、又神無月初九日に東武の城を去て故山に趣くあした、旅亭の壁に書て去る

水鳥のたつ跡なみぞ江戸のもの
   許六

といひ捨ぬる一歩の旅行を初ぬ。けふはむさし野を行富士のさま、此所にりは凹に見えたり

我形(なり)は画にかく人かふじの雷

羽織着て上に帯する枯野哉

こよひは武蔵の国 鵠の巣 といふ所にとまり侍る。十日未明にたつ旅のかりやのありさま、上段下段とやらんをしつらひたれ共、はゞからず一夜を明したるは、誠に旅したるおもひ出ならん

大名の寝間にも寝たる寒さかな

木がらしや百姓起て出る家

熊谷寺 といふ所は、むかし次郎直実といひける人すみける也。熊谷寺といふ寺はかの人菩提所也

(たき)あます熊谷でらの木葉かな

蓮生山熊谷寺


   夕ぐれ過るころ、からす川をわたりて

敲れむ船頭もなし鴨のこゑ

暮て 倉ヶ野 といふ駅屋につきぬ。やごとに餅をつく。けふなん十月十日餅といひて、東の方には事ぶく事とて、旅人に宿かさず

十日餅かりのやどりをお(を)しみけり

十一日くらがのを出て、かんな川の渡りにて、やうやう明たり

川霧や馬と人との足ばかり

臼井川は、旅客の為に神無月のころより、仮橋を作りてわたす

駕籠かへし霜に跡あり臼井川

此あたりより山あひに入る。山ざとのすたり、漁村の屋作りなんどは、よのつねの田家には似ずあはれ多し

山里のへだては栗のもみぢかな

旅なれぬやつこつれけり夕時雨



又馬にのりて山をめぐり、谷をわたりてあやふき所々しのぎて、臼井川の川上を又わたる。峠には雪ふると見えて、人馬共に雪をいたゞき、柴おひたるお(を)のこは、ふるき哥のさまなり。雪こそくだれ渓の道、と詠めつ。やうやうにして、暮かゝるころ本海道に出ぬ。橫川の関の戸さゝぬ先にと、馬をはしらかして行

恋すらんものや関路の雪のくれ

からふ(う)じて 坂本 にとまりぬ。ぬれたるものなどかはかして、焼火してたびのうさをわすれ侍ぬ

鉢の木やゆ殿に入し
植木ずき浪人やらん雪の宿

十二日、夜明てたつ。けふは、荷はれて臼井の半年路を越へ(え)たりきのふの雪の高さ、あたかも尺に過たり。羊腸の岩路を攀(よじり)て、山中の茶やにかきこまれぬ。駕籠荷なふお(を)のこ、「初雪のふりける」などゝいへば、所の人も「めづらしき物のふりたる」などいらふも、尤雪の徳なりけり

   に      人のやさしさよ
初雪や信濃のものもおなじ事

ことし六月の末に、此海道を下りしころのあつさに引かへたる事よ。此峠を上るに、善光寺へ詣づる法師ばらの背に、いみじく蠅の取つきたるをみて

信濃路や蠅にすはるゝ痩法師

此句、江戸にて 其角 にかたりければ、秀逸とて感じ侍ける。

けふは、終日浅間のけぶりを見る。

地獄にも同じ雪ふる浅間かな
焼石とおもへば重し笠の雪

浅間山


暮かゝるに、 八幡 といふやどりに伏ぬ。

十三日、東しらみにたつ。此間に引かへて、てんきよし。望月の牧を過るに、母馬に人の乗て行あとに、ことし生れたるトウ子の、朝霜のひやゝか成に、はだしにてしたひ行。猶あはれにおぼえ侍ぬる

母馬にうたがひもなし橋の霜

和田峠は、上下五里余程なり。峠に山賤の庵三つ四つもあらん。いぶせきすまひながら、只独のみものす

うき世かな夫婦むつまじ和田の雪

猶たどりたどり下る山路の入あひ過るころ、 下の諏訪に宿 をかりて温泉にひたり、旅の草臥をやすめぬ。

湖水の東にあたり、山越に富士山見えたり。山八分よりあらは也

元政やひねくり廻すふじの雪
背から物いふ富士や雪のくれ

十四日、夜明てたつ。桔梗原にて例の風吹出す

鑓持の馬に乗たる寒さかな

といひ捨ぬる本山と奈良井の間に、桜沢の橋、是より大方木曽と申ならはしける

檜の木香や木曽の旅寝の冬衣

   又夏のころは

よめ入に              もなし
水無月や木曽路の妹は蚊帳もたず

日のくれかゝるに鳥井峠歩行より越へ(え)たり

早追や武士越へ(え)かゝる雪のくれ

やご原といふに、暮過てとゞまる。

十五日、夜いとふ(たう)深きに、時を寝わすれて出づ。宮の腰にて明たり。雨少そぼふる木曽やしきの覧古(いにしへをみる)

木曽やしきからみ大根や引時分
           大根畑のしぐれかな



十七日、夜道を二里ばかり行、例の事しげきにまぎれ侍る。ゆくゆく太田のわたしに成ぬ

乗合に馬尿(ばり)つく馬や雪のくれ

こよひは 太田の宿 の何某のもとを敲て、木曽の寒かりしをかたり、関、岐阜の物がたりなど尋て、やがてまどろみぬ。

十八日、鶏鳴に出ぬ。茅店の月に鞭をあげたり。馬士(まご)のいひけるは、「関といふ所へは、太田の宿より路程二里余の廻り」とかたりぬ。孫六やしき、志津やしきの物がたりなどきゝて

志津やしき井戸の形や水けむり

哥によみたる宇留間野は、四里八丁の埜也。所のものは鏡野といふなり。右の方に 岐阜の城山 まのあたりに見えたり。「稲葉の山の岑に生る」とよみたる山も、おなじ山つゞきといふめり

  山や敵の見すかす冬木立
城跡や実律義なる冬木立

岐阜城


郷渡のわたりは、ながら川のすそ也。州の俣のわたりもおなじ流れをいふ。

冬の夜は念仏精出す鵜飼かな
      鵜飼の人の念仏

   いつぬき川たちわたり

氷ぬるいつぬき川や馬の骨

   今いふくろのわたしはくゐ(ひ)ぜ川の事也

あし入や冬の日でりのわたし舟

赤坂 に日たかくつきぬ。ふる里の山どもにちかづきぬれば、見しりたる人にあふ心地ぞする。

樽井、赤坂あふしか、野上などいふ所は、いにしへ遊君のすみけるといへど、いまは名もなき所よりは、あさましく成行けり

        なき遊君の事とはん
(を)し鳥よ垂井赤坂君も見ず

十九日、夜半過るころ、赤坂をたつ。青野が原、 不破の関 など、夜の中に行

ねぢお(を)れる物見の松や夜の雪

   夏ごろ不破のせきにて

頬あてや土用干する不破の関

此句及かけ橋の蝉の句、 嵐雪 がほめたれば、又爰にのせたり。

                の窓
水付て髪ゆはぬ日や雪二尺

 火燵四隅に友五人寄る



鳥籠の山の麓、いざや川の辺、駅の原といふ所に園を求めつゝ、いにしへは原の何某が住けるといひつたへ侍る中に、霊水あり。五老井と名づく

水筋やむかし柳に封じ置

   ほどなく、東武に官遊するまゝ

何事も蟻にいひおく林かな

元禄5年(1692年)6月5日、彦根を発って東海道を江戸に向かう。

   壬申 秋東武行

               軒の
初秋やかたびら越にかゝる雨

秋風や並木にあてる鑓のさや


不  破
関の戸はこゝらが月のさし所

 大井川にて送り火を見て
   にならで越けり
聖霊に成らずに越ぬ大井川

うつのやま 
十団子(とをだご)も小粒になりぬ秋の風

七月五日    
清見寺  
盆棚むかひはふじか清見寺

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