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俳 人

平野平角
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盛岡の人。本名は治兵衛。別号梅翁。 暁台 門の俳人。

可都里 『名録帖』 に「平角同盛岡中町 平野治郎吉」とある。

『俳人住所録』 には「平野治良吉」とある。

 もってその一班を知るに足るであろう。なお蓬雨氏談に、 素郷 と同時平野平角なる者があって、常に素郷と軋礫しておった。しかし平角の覇気満々たるに比して、素郷は恭倹常に争を避けておったとのことである。ついでに平角の小伝をも左に併禄する。

平角姓は平野通称は治兵衛、字は子詢、その別荘新庄村の梅園に因み自ら梅翁と号す。家世々商豪邁にして義気あり。門前客を絶たず。年六十二業を捨てて別業に居す。後仙台に遊び名僧南山に乞ひ剃髪す。平角俳諧を春秋庵 白雄 に学ぶ。文政八年五月十二日歿す云々


 天明8年(1788年)、 井上重厚 は盛岡に着く。

余事には属するが右平角の伝記中左の一節がある。

或は言ふ山城嵯峨の重厚東下し、其角の印一顆去来が書入の徒然草を贈りしは素郷を抑えて梅翁を援けんが為めなりしといふ。


 寛政6年(1796年)9月18日、花巻の 伊藤鷄路 から句が届く。

此日、花巻鷄路坊より文來り、句論あり。尤風雅にいちはやき人なり。句は

見すもかな花野は人の老を吹
   鷄路

風はしる藺の枯株や後の月
   同

此國の産とてとたんを贈らる。山いろ鐡屑の如く、和賀郡仙人山より出るよし。

『梅園日記』

 寛政10年(1798年)7月23日、 建部巣兆 は盛岡の平角亭を訪れる。8月4日、宮古に赴いた。

 寛政12年(1800年)11月8日、 常世田長翠 は盛岡の平角亭を訪れる。

 文化6年(1809年)、 『繋橋』 (幽嘯編)刊。幽嘯がみちのく行脚の途次、須賀川の石井雨考のもとで 「すゞしさを」歌仙 を書き写して収録。平角や成美の助成で出版した。

 文化7年(1810年)6月22日、 岩間乙二 は白石を発って箱館に向かった。盛岡で平角に会う。

南部俳人平野平角のことについて、その後乙二七部編集中の「斧の柄」の序文に「文化八年末のとし初冬ちらちら雪の降日梅翁平角述」とあるのを見た。

またその「箱舘紀行」の中に、

中秋の望をきのふといひけふといひいひて、二十日のあしたこのかみ平角かもとにて筥館へ行く。旅より旅のよそほひす。主大盃によゝと盛たる酒をほして、やをら予にさしていふ。云々

ともある。乙二が箱舘へ渡る途中盛岡に立寄って平角を驚かしたのである。当時素郷も盛岡におった筈であるが、大杯を盛った席上に列した由は見えぬ。平角が


文化8年(1811年)10月、 『斧の柄』 (乙二編)。平角序。

 文化15年(1818年)4月、国村は平角の別墅梅園を訪れた。

はからすも吾今とし卯月八日のふれんの下より名のり入て、まつ主翁の無事を窺ひ、おさおさ昔におとらぬすこやかをよろこひ合、うれしさいふはかりなし。捨身獨歩をあはれみありて、しはらくもとゝまるへきことをゆるさる。既に主客の席を作て、日夜閑談に盡す。

   ある日梅園に遊ひて

花香實の梅や朝茶となる處
   國村

『梅園日記』

文政8年(1825年)、没。

岩手県北上市の 称名寺岩間乙二 と平野平角の句碑がある。



松杉もひとりはおかず宿の春

平角の句

梶の葉に雨を隔てゝ二星


   妻におくれしとき

あやめふく軒や葱の魂まつり


小田の蛙鳴尽してやもとの水


秋の夜や世ハさまさまの高笑ひ


やとり木の花くひおるなやま烏


秋の夜や世はさまさまの高笑ひ


白魚やふたゝひくめば水の泡


秋の夜や世はさまさまの高わらひ


水汲に山伏出たり秋のくれ


嵐雪かつまのはなしや衣くはり


   四十の春をむかふ

黄鳥に我とし隠かゞみ哉


宵の雨葉になる梅の二月かな


夜やあつき草の葉を喰ふ鼠哉


夢にだも瓢箪の花むつかしき


秋の日のほそきにならへ柿なます


散萩や扇に摺らば唐にしき


米多く持てさびしき砧かな


火串さす陰にあたゝら樗哉


新月の影すさまじや立烏ぼうし


   幽嘯ぬしにしばらくわが梅園をまかせて

冬ごもりひくき鴨居に心あれ


里の子が呼やこうなの花曇


人更に幽なり山沓直鳥


雪を花に岩手の山や春三月


米多く持て淋しききぬた哉


茶の鍋の垣にかゝるや梅の花


秋の日の細きにならへ柿なます


月夜かけて花の寿ぎ願ふなり


月一夜まかせておけば小雪ふる


夕柳人立よれば横に吹


人更に幽なり山ほとゝぎす


友ほしき日も九ッや松の花


かの草にうち囃されて咲や梅


梅がゝの壁吹よごす草の庵


杵うたに雪を諷(うた)ふや丘の家


よき水の走る音する若葉哉


春の雨昼は外やまをぬらしけり


かの草にうちはやされて咲くや梅


名の人のそれぞれに月の筵哉


盆の月あまりに冴て哀なり


越ゆくや末の松山ほとゝぎす


ほのほのと梅に別あり山のうめ


ほのほのと梅に別あり山の月


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