▲RSR850。21世紀初のタイのSLの雄志
パシフィック、それはフランスの古いレコード「パシフィック231」が語る様に、蒸機を代表する車輪のレイアウトだ。その傾向は東南アジアでも全くかわりない。カンボジアの231-500型蒸機、タイ国鉄のパシシフィック型蒸機たちはモンスーンの豪雨と戦い、椰子の林の中を1分を縮めるために力走していた。 タイ国鉄の日本製のパシには基本的に2つのヴァージョンがある。WW2前に国際競争に勝利してタイへと売却されたモデル、戦後に賠償として輸出された戦前モデルの発展型がそれにあたる。戦前モデルはウッドバーニング使用。戦後モデルは後期製造のモノのみオイルバーニングとなっている。この2つのモデルに外見上はほとんど違いはみられない。そして戦前モデルは現在では完全に姿を消している(部品取り車化?)。 現在、タイ国鉄のパシは2両。以前は1両(824番)のみしか復活していなかった。しかしある日、824番の主連棒が折れてしまった。それに驚いたタイ国鉄が急いで850番を新たに復活させた。これは正しい判断だったと思う。蒸機を連日使用しても整備のローテーションが組めるからだ。 この2両も最後は南幹線から支線の貨物列車の牽引と都落ちを経験している。824番と850番の最後の活躍場所は確かハッヂャイ周辺で、ハッヂャイ工場で一度眠りについた。850番は1969年、824番は1977年のローリングストックによれば車籍が確認できる。もちろん車籍が存在していても実際に走行していたかどうかは怪しい。ただ判っているのはこの頃から蒸機は大規模な整備や修理が行われなくなったこと。壊れるまでは使用し続けようと言うことだろう。
▲RSR824。客車の8割が新色となってしまった(ので隠した) このモデルは現場のウケは非常に良かったそうだ。まずは日本らしく、出力が構造上に無理がなく遊びも多かった。同じモデル同士の部品の交換が非常に楽だった。おかげで安定した運用が行える。思えばタイ国鉄はヨーロッパから購入した蒸機の納入後に設計ミスなどによる不具合、低出力の連続に泣いた後で、日本製の蒸機に出会った。しかし、それは蒸機最後の時代であったため、蜜月期間はそう長くは続かなかった。 新幹線の歴史に詳しい作家T氏の話によればデゴイチの設計者「島秀雄氏」もやはりタイを訪れている。もしやと思って尋ねてみたら、大当たり。当然、それは戦前に納入したパシとミカド関係のお仕事のためである。 ところで同型のパシはバングラディッシュなどでも活躍していた筈である。これはこの目で見ていないのであくまで未確認情報。それはタイ国鉄がバングラディッシュに中古で売り払ったというか、商談の話があったことだけは間違いないからだ。
▲クルンテープ駅で出発を待つ蒸機。
この日はTV局の取材陣が同乗した
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▲タイ人の多くは蒸機に無関心です。
まあ、日本以外ではこんなモノ?
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