このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

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蒸気機関車課
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22世紀向かってファーストラン!



蒸機機関車課へようこそ
  タイ国鉄という組織は「シアーム王室鉄道局」として発足した。それはチュラロンコーン大王(ラマ5世)の治世に始まった、国内インフラを一気に近代化させるというタイ族主導の鉄道プロジェクトの成果だった。しかし残念なことにそれまで内燃機関による輸送手段が一般に存在していなかった当時のシヤーム王国には、鉄道関係に限らず機械術に秀でた人材はほぼ皆無だった。そこで鉄道プロジェクトチームは、ドイツから技術者を招き、進んだ鉄道技術を取り入れた。これは政治的圧力抜きで先進技術の導入に成功するという、アジアでは珍しい事例となった。

  タイでの鉄道組織は初期の段階で技術・運用面でドイツより大きな影響を受けたためか、第二次世界大戦直前までのタイのレールの上にはドイツ製の蒸気機関車が幅を利かせていた(日本の旧陸軍もドイツ式であったため、ドイツ崇拝の傾向が強かった、それをふまえると「なるほど」と思える)。例えばガーラットだ。東南アジアで少数のガーラットはタイ最大の難所クンターン峠で植民地ゲージの蒸気機関車最大のパワーを奮っていた。だがこのガーラットは設計上のミスなどがあり、改修作業後も設計通りの出力が出なかったことはおおきな誤算となった。

  タイのガーラットが東南アジアでは唯一と信じていたが、他にミャンマーにもあったという指摘をNITTA様よりいただき、訂正(GC型/No.837/1D1+1D1のピーコック社製)。ヤンゴンのインセン工場内部に保存されているという情報( Nitta様 に感謝!)。

  やがて時代はアジア製の蒸気機関車をタイの地へと誘った。それが日本製のパシフィックとミカドである。当時のタイへの蒸気機関車の輸出に際して「島秀雄」、「朝倉希一」らが出向き、実施の調査まで行ったという話もある。この2種の蒸気機関車は無理のない設計とおおらかな精度で工作されていたために、タイ国鉄の現場を驚かせた。そして思わず追加発注を出してしまったほどである。
  第二次世界大戦後、連合国(この場合英国)は日本から接収したC56などをタイに買い取らせ、また連合国(この場合米国)は自国製造の蒸気機関車をタイへとマッカサー型でどんどん輸出した。その時代のタイ国鉄の蒸気機関車の種類は百花涼蘭であった。しかし部品供給の困難もさることながら、整備にそれぞれ特有の技術が要求されるため保守部門が悲鳴を上げた。やがてディーゼル機関車の納入がペースに乗り始めると、蒸気機関車はどんどん支線へと追いやられて消えていった。
  運命の皮肉と幸運はまだ終わらなかった。それは石油ショックの到来である。これによってウッドバーニングの蒸気機関車が再び脚光を浴びる異なった。これによってオイルバーニングの蒸気機関車をウッドバーニングへ改装するなどの大きな仕様変更が行われた。しかし、タイはやがて完全な無煙化を実現した。タイは1980年代にはすでに蒸機の世紀を終えていたのだった

東南アジア最大クラスの機関車たち!



ディーゼル機関車課へようこそ
  タイ国鉄に初めてディーゼル機関車が登場したのは第二次世界大戦以前、1928年のことである。それはスイス製のディーゼル機関車21〜2号だった。タイ国鉄はディーゼル機関の小ささと、それに見合わない出力の大きさ、そしてメインテナンスの良さに驚かされた。何故なら今までのSLは蒸気機関の火を落としてしまうと、その後再始動にかなりの時間が必要になる。それに対してディーゼル機関の場合はスイッチ一つで再始動できる。これでは勝負にならないのも仕方がない。しかしながら、予算の都合で全線無煙化計画はかなり遅れてしまった。それもその筈だ。地方にまで広がる鉄道ネットワークに散らばる全ての工場にディーゼル機関の整備器具とディーゼル機関を理解した整備工を揃えることができなかったからだ。
  タイのディーゼル機関には基本的に3段階の世代に分かれる。1つめはスイス製のディーゼル機関車21〜2号から始まる第二次世界大戦中に連合軍の爆撃で消耗していったディーゼル機関車たち。2つめは第二次世界大戦後に納入されたディーゼル機関車たち。これらのディーゼル機関車は基本的にDHL(=Diesel Hydraulic locomotive)であった。これらの機関車は幹線から徐々にSLを駆逐していった。3つめはDHL以降の機関車の出力の増大を目的にした大型化した機関車たちである。基本的にこれらはDEL(=Diesel Electronic Locomotive)であった。これらの機関車の登場によってタイの鉄道ネットワークは完熟状態となった。



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