このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
会津の街道 ー Day after day , I wander ・・ ー | |
文献 この頁は下記の文献等を参考にしました。筆者の方に御礼申し上げます。 1.「会津の街道」、酒井 淳 著、歴史春秋社、1993.06.10発行 2.「会津諸街道と奥州道中」、安在邦夫・田崎公司 編、吉川弘文館、2002.6.20 3.「城下町の誕生」、松本良子ら 編、会津若松市、1999.12.10発行 4.「こんな話知ってる」、歴史春秋社 編、歴史春秋社、1998.03.25発行 5.「芦名四代」、林 哲 著、歴史春秋社、1982.09.10初版、2002.06.11・第四刷 6.「日本奥地紀行」、イザベラ・バード著、高梨健吉訳、平凡社、2002.5.31・第四刷 7.「町名歴史散歩 会津若松・町名の由来」、小島一男 著、歴史春秋社、1998.12.31発行 | |
会津の街道・・・ 室町時代、葦名盛氏は、会津一円を支配し、新潟県東部〜福島県中通りを、 その影響下に治め、 奥州では、伊達氏と並ぶ、大 戦国大名になりました。 蒲生氏郷は、ほぼその領域を受け継ぎ(新潟東部、会津、福島中通りの大半、 +山形県・宮城県の南部)92万石、徳川家康、毛利輝元に次ぎ、全国第三位 の大名でした。 上杉景勝の時代には、山形県庄内三郡や佐渡三郡も追加され、120万石に に上りました。保科正之 以後の松平・会津藩は、会津と新潟県東部の40万石 になりましたが、それでも、尚、東北では、伊達藩と並ぶ雄藩でした。 なので、街道も発達し、今尚、残っています。 1649年、幕府の街道調査の命により、会津藩が、「本道五筋」と報告した 会津五街道は、 1.白河街道、2.南山通り、3.越後街道、4.二本松街道、5.米沢街道 です。 また、本道五筋に準ずる街道、「小道二十五筋」として 福島街道、沼田街道 等が、挙げられています。 これらの街道は、現在も幹線であったり、裏道や地元の生活道路だったり、 廃道だったりです。 ・・・廃道寸前の道なんか・・・・・・ まるで、その時代にタイム・スリップしたようで・・・ 行ってみた〜い! | |
街道筋!現在のメイン・ルートと違う所も多く、結構複雑です。 昭文社等の会津若松市街地図や、会津地方の載ってる道路地図等を傍らに 置いて、御覧下さい。 尚、(文献を参照し私が作図した)江戸時代(初期?)の市街地図、会津圏の道路地図を 下記に示し(リンク)ました。新しいウィンドウに表示します。画面の隅等に置くか、 プリントするかして、必要な時、御覧下さい。 | |
江戸時代(初期?)の市街地図 | 会津圏の街道地図 |
街道の概要&市街地ルート ここでは、街道の大筋と、市街地の風景を紹介します。 白河街道と南山通りの市街地内ルートは複雑です。昭文社等の大きな 「会津若松市」市街地図(や上記江戸時代市街地図をプリントした物)を 傍らに置いて、御覧下さい。 | ||
![]() 会津の五街道は、全て大町一之町の四つ角、 (七日町通りと、野口英世青春通りの交差点)を 起点とする。ここには、高札(布告・告知板)があり、 「札の辻」と呼ばれた。 →四つ角・北東角には、それを示す説明板がある。 明治初期の福島県県令・三島通庸も、道路整備し、 その起点となる、”道路元標”(看板左下の石)を置いた。 | ||
1. 白河街道 | 2. 南山通り | 3. 越後街道 |
4. 二本松街道 | 5. 米沢街道 | 6.福島街道 、 7.沼田街道 |
*街を出て* 山を越え、河を渡った、 写真集へのリンク . 市街地を出てからのルートは、幹線でない所、マイナーな所から、 順に取材し、アップしたいと思っています。 | |
米沢街道(総説&大峠ルート) | 米沢街道(桧原峠ルート) |
南山通り(本郷ー大内宿) | 南山通り(那須) |
越後街道1(1611年以前) | 越後街道2(坂下町) |
越後街道3(西会津町) | 越後(会津)街道4(津川・三川) |
福島街道 |
BBSは こちら 等 |
”会津の街道” お楽しみ いただけたでしょうか? シー・ユー・アゲ〜〜ン! (^o^)ノ~~ |
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