このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
八丈島の見所スポット | 林道探索の書 〜今日もどこかで林道ざんまい〜 |
[9]宇喜多秀家公と豪姫の象/ Ukitahideieko to Gohime no zo | もどる |
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大賀郷エリア
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八丈島の流人で知らぬ者はいない宇喜多秀家とその正室豪姫の象です。豪姫は前田利家とまつ夫婦の四女に生まれ、幼少時に秀吉とねね夫妻に養子に出されました。夫婦仲は大変良かったそうですが、 関ヶ原の戦いから6年後、 慶長11 (1606)年に秀家は2人の息子とともに八丈島へと流されています。 それが最後の別れとなって、 豪姫は28年後の寛永11 (1634) 5月に実家である北陸の金沢城で61歳で亡くなっています。 一方の秀家は明暦元年 (1655) 年に83歳で没しましたが、生存中は水汲み女といわれる現地妻の女人があったとの記録はないようです。 海を見つめて並ぶ二人の象を見ると、2人一緒に八丈島へ流されたのかと勘違いしてしまうかもしれませんが、豪姫は秀家の八丈島送りに同行は許されませんでした。そして八丈島の流人の歴史は宇喜多秀家から始まります。 |
誰もいなくてひっそりと淋しげな雰囲気 |
海岸沿いにある宇喜多秀家とその豪姫の象への入口。ごくたまに観光客のレンタカーが通りがかるだけで、訪れた時には誰もいませんでした。八丈島の観光スポットとしては有名ですが、ひっそりとして淋しいな〜。 |
二人の象が見つめる先には無情な海の広がりが・・・ |
2人の像の前には果てしなき水平線が広がる大海原が広がっているのみ・・・。 許されて赦免されることもなまま、 秀家は50年間を八丈島で過ごして亡くなりました。 おそらく、彼は何度も何度もこの海を眺めたことでしょう。 ちなみに宇喜多秀家の子孫は、八丈島では直径は浮田、傍系は喜田と名乗り、ほかの流人とは区別されていました。いわゆる浮田流人と言われる人たちで、秀家の子孫の家系は現在も途切れることなく続いています。 |
どこまでいっても一面の溶岩だらけ! |
宇喜多秀家とその豪姫の象から右手、南原千畳敷方向を眺めてみました。おびただしい量の黒々とした溶岩が波打ち際まで広がっており、なかなか壮観な光景です。前方に白い建物が見えていますが、ちょうどそこが南原千畳敷の入口です。 |
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