永郷分教場跡の碑
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  八丈島の見所スポット林道探索の書 〜今日もどこかで林道ざんまい〜 
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 [1] 大賀郷エリア
 [2]大賀郷エリアの見所スポット
     1 八重根港
     2 メットウ井戸
     3 大坂トンネルの展望
     4 横間ヶ浦
     5 大里の玉石垣
     6 屋けんヶ浜
     7 長崎
     8 大潟浦
     9 宇喜多秀家公と豪姫の象
     10 南原千畳敷
     11 舟付鼻
     12 ナズマド・ナカノママ
     13 永郷分教場跡の碑
     14 八丈島歴史民俗資料館
     15 宇喜多秀家住居跡
     16 大賀郷「大里」地区

かつてはここに文教場があったそうです

八丈島の八丈富士周辺は大賀郷と三根地区に属しますが、通称永郷(えいごう)地区と呼ばれています。 かつては多数の農家が入植し、 永郷小学校 (昭和50 [1975] 年廃校)の文教場が置かれていましたが、現在は農家が僅かにあるのみで、永郷小学校永郷文教場も昭和32 (1957) 年に廃止されてしまいまいます。 八丈富士の裾野を周回している最中に通りかかり、石碑を見つけたので立ち寄ってみました。

ちなみに平成24(2012)5月時点で八丈島にある小学校は以下の通り。

    三根小学校 4級僻地校・明治8(1875)年創立・生徒数193名
    大賀郷小学校 4級僻地校・明治10(1877)年創立・生徒数117名
    小学校 4級僻地校・平成19(2007)年創立・生徒数62名
     (樫立小学校と中之郷小学校の統合によって新設)

八丈島町立の小学校の創立は新設された三原小学校を除いて明治初期の頃。八丈島の伝統文化を大切にしつつ、保護者や地域住民の協力に支えられながら教育されているのが特徴で、小学校の運動会は地域住民の参加意欲がとても高いそうです。郷土愛を育むということで島言葉を校内研究としている位置づけている小学校もあるそうです。






島内でも特に過疎化が著しい永郷に立つ文教場之碑

大賀郷小学校
永郷文教場跡之碑
大正6(1917)年ニ開校シ、昭和32(1957)年閉校ス
大賀郷永郷地区・永郷会
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