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蓑笠庵梨一

『大和紀行』(高橋利一)



明和2年(1765年)、蓑笠庵梨一は吉野の桜を見に旅をする。

 敦賀に到り、道つれの僧と別れて、 気比の宮 に詣す。社前に白砂を敷わたしたるは、奥の細道に見えたる、遊行のもてる砂ならんかし、中門に木履を多く置たるを人に問に、参詣のともからはきものの穢をははかり、此木履をはきかへて神前へ参るとそ。いと殊勝の事に覚え侍りて、

   神垣や木履も匂ふ草の露

 兼てむつひたる序睡といふものを尋ねてしはらく足を止む。

      天満宮奉納

   網敷て神もあそふや浦の春

 ひと日蕉雨といふものにいさなはれて、金か崎といふ所に遊ふ。寺あり、 金前寺 といふ。むかしは金輪寺といひけるよし、太平記に見えたりと云り。境内に祖翁の碑を建て鐘塚と名つく。翁此地経廻の時、月いつこ鐘は沈める海の面。との吟ある故なりとそ。此寺の鐘楼よりして入海を望むに、四面の山々程よく峙ち、民家を離れて又遠からず、海の面は方一里はかり、青波静にして天に遠く、磯辺は桃花多して影魚鼈を酔しむるかと疑ふ。

   鐘しらぬ桃も吹こむ海辺かな



 次の日も又此主人にあるしせられ、誰かれと共に船に掉して 常宮 の桜見にまかる。海上一里はかり、けふは空よく晴て、野坂山先高く聳へ、それにつらなり、あるひはひとり峙ちたるも各一手際つつ春色を備へたり。磯の詠めは是にかはりて、木々の青みを水面にそそくかと思へは、又大小の岩壁みな底を望み、ここにさし出たるは弁財天を崇め、かしこにほからか成は不動尊を安置す。宮庭には白砂皎々として、是を常宮砂といふ。遊行のもてるものは、いまし此所の砂なりと云り。道を設けて石の鳥居あり、海上に掛出したる神楽殿あり、八乙女の鈴の声玲瓏として心なきうろくすも、おのつから灯に寄なんけしき、坊社十はかりおのおの宴閣をしつらひ、庭のやり水きよらか、石を立て島となし、魚をはなちて酔をすすむ。見こしの山は高けれとも作り木に軒端を餝り、客まつ風情の世わたりなから夏をむねとの涼しさもしるへし。宮のまはりはなへて桜花の咲みだれて、木陰の白砂に照そふけしき、実に銀世界に入かと疑ふ。此宮居に短冊納めよと人々のすゝめけれは、

   浜砂や桜もませて朝きよめ

 其帰るさ一夜の松原にて、

   ひとよひとよ月は缺るを松の華



 真野の入江を過て堅田に出、 浮御堂 一見す。

   蘆の芽や日もかろかろと水の上

浮御堂



 坂本の宿はつかれ足に長々と覚ゆるのみ、 唐崎の松 に到りて、はしめて風情は付ぬ。此日はとりわき小雨ふりて夜ならすとも称すへし。松の枝々はたた朦朧として、けにや花よりあわれに面白くは覚え侍る。

   松風や朧を昼へ吹廻し



 京に入て 蝶夢 法師かいほりを尋ぬ。

   宿からん経よむ巣にもほとゝきす

 法師にいさなはれて御室の花見にまかる。名にしあふ都の内外なれは、道々の風景尽すへくもあらねと、世を忘れたる此身には、取わきならひの岡兼好の旧跡なと、こよなふ目には留り侍る。



  二月堂 に若狭の井、良辨杉あり、三月堂、四月堂を廻りて大仏殿に到る。

  興福寺 はいにし年の回禄に七堂伽藍すへて烏有となり、今はたた礎のあなたこなたに残るのみそ、いよいよ哀とは見なし侍る。 南円堂 はいにしへ藤花の名残ある所なれは、

   石に見るむかしの跡や藤すみれ



 黄檗山は新にして雅なり、木幡の里はふりてさひし、伏見の桃林のはつれを左に見て、藤のもり、稲荷、 東福寺 なとおかみ廻り、其の日の暮京に入。

 三月十二日は東山 雙林寺 祖翁の石碑墨直しの会式にして、ことしは洛の蝶夢法師是をつとむ、出席の風士三十人はかり、百韻の俳諧あり、おのおの桜の発句して碑前に手向ぬ、予は其巻頭の役にさされて、

   影落て朝日も白きさくらかな

      三本木朝日楼上より東山の風景に対す

   菜の花やあさ日の跡のこほれもの

       広沢の池 一見にまかりて

   月かけや目覚て居たる蛙の巣



      大津松本の 可風 亭を尋て一二夜談笑す

   木に草にたらぬものなし夏構

       義仲寺 の翁塚に詣て其余沢を感す

   茂るものゝ先目にたちてはせを哉

       龍か岡 に登り丈艸の墓に詣て生前の剛毅を感す

   梅の実やかんはしき名を刺こほし



  高宮の宿 のうちに石の大鳥居あり、傍に石を建て多賀へ三十町と記せり、多賀は大社と称す。今はさまていふへき宮居にはあらねと、檜皮の厚葺きしんしんとして、楼門あり、末社あり、本社の菱垣、拝殿の蔀格子なと、猶いにしへ残るやうにて、亦小社ともいふへからす。鐘楼といひ、三重の塔といひ、さすかに昔しのはしくそ覚え侍る。

   花咲て苔拝まする宮居かな



 原村の入口右にみゆるはとこの山なり。いさや川は民家の軒下を流れたる小川をいふとそ。此村のはつれに五老井か四絶を物とし、 別業の跡、草庵 なとありと聞て其所を尋るに、四面の修竹青やかに生ひしけりて、けにも風流家の住居とは見え侍れと、常は門戸をとちて人にゆるさすと、故に空しく外面より打詠めて果しぬ。それよりかの宝珠院に行く。此山に祖翁の 昼寝塚 あり、其碑前にひさまつきて、

   まつかせや夢吹よせて昼寝塚

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