このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
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タイ国鉄友の会>タイ国鉄の駅舎部>クルンテープ駅 |
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フアラムポーンの朝の静けさはバンコクを知る者には異常に感じられるかもしれない。夜はまだ明けず、バンコクの中心地にありながらも、昼の喧騒(けんそう)からは想像もつかない程に厳かな雰囲気につつまれている。だが午前3時を回り始めるとまるで霞(かすみ)が薄れていくかのように、ホームの彼方に二つのやさしい光が現れ、序々に近づいてくる。それは午前2時55分バンコク駅着。列車番号66のウボンラチャタニー発。普通列車で、全車両が3等車というユニークな編成になっている。その朝到着する列車達こそが深夜から張り込みを続けている私の目的なのだ。その時間帯に到着する列車の多くは通称『出稼ぎ列車』と呼ばれ、北部や東北部からバンコクへ出稼ぎに来る者達の長い脚として知られている。特に3等車である為に、タイ端部からも確実に、安価にバンコクを訪れられることが、その列車が選ばれた理由なのだろう。しかしその代償は決して安くはない。急行や特急とは違い普通列車である。どれほどの時間をかけてバンコクヘ到着したのだろう?更に硬い木製の座席に数時間、長ければ数時間座り続けるということがどれ程の苦痛をともなうのかは、寝台車の切符を買う余裕のあるひろ達には想像がつかない。だが、その過酷な儀式の末にバンコクへに到着した彼らを迎える環境は、列車内での過酷さらに上回るものかも知れない。何故ならば彼らを迎えるバンコクでの労働環境は、バブル経済崩壊の余波を受け、大きな打撃を被っている筈だからだ。 その日、クルンテープ駅のホームへ降り立った最初の乗客はオレンジ色の袈裟をまとった僧侶だった。ホームへ降り立ち、凛々しくバンコクの街へ去って行く。その僧侶にしてみればバンコクは知った街であり、決して怖れる必要はない所なのだろう。一方、ホームへ降りて来る者の中に混じる、大きめのバックを両腕で握りしめた一人の若者がホームの出口へ向かって移動する群の中で立ち止まっていた。その目にはあきらかに不安が映し出されている。彼はホームのべンチに座り、うつむいて目を閉じた。10分が経過した。彼はやがて一人でバンコクの街の中ヘ消えて行った。タイ国鉄には珍しく、予定時刻まり30分程遅れて到着したピサヌロークからの列車の雰囲気は少々違っていた。列車が到着するとまずホームにはモーターサイが先頭の貨物車から降ろされた。一人の若者がそれを大事そうに押して行った。その直後、ウボンから到着した列車にはほとんど興味を示さなかった、駅構内のポーター全員が荷物運搬用の手押し車を押して、列車の出口に群がって行く。彼らはどの列車が金になるのかを長年の経験から知り抜いているということだ。一人のポーターがの壮年の女性客を得た。彼女は故郷から持参してきた多くの手荷物や食糧で、手押し車を満載し、更にその上にどかっと座ったままポーターの手によって駅の外で待つトゥク・トゥクへと運ばれて行く。その費用は20バーツということだ。その後にもちょっとした荷物をポーターに運ばせる乗客が目に付いた。特に南部からの列車は北部からの列車とは色合いからして違う。それらは急行や特急が主で、特に日本や韓国製の2等エアコン寝台などが当り前の様に銀色の車両を輝かせている。その朝、クルンテープ駅に到着したガンターン発の列車もそうだ。スラータニーで、サムイやパンガン島を訪れる外国人用の旅行列車を拾ってきたこともあって、全20両からなる華々しい快速列車は、その場には異質なものだった。
そして『出稼ぎ列車』という失礼な呼び方で形容するしかない列車は5時40分に65分遅れで、クルンテープ駅に到着した。列車番号40のウボンラチャターニー発の快速列だ、その列車は三等車のみで構成される列車ではなかったが、まず2等車からは家族連れに混じって、何人かの化粧の濃い女性が降りてきた。その後に続いた乗客の大半は若者達で大きなバッグを肩に掛けている。だが観察者からの目には、雰囲気の違いにより、便宜的(べんぎてき)に若者達がニつのグループに分けられるように見えた。—つ目は自信ありげにホームから姿を消して行く、小綺麗なスニーカーを履いているグルーブ。もう一つは大きな眼をキョロキョロさせながら、初めて見るものに対して隠しきれない興味と恐怖を交えた視線を落ち着かせない、薄汚れた安価なサンダルを履く若者達のグループだ。だがその二つのグループにも共通点はある。彼らは全て、バンコクの街の中へと消えていく運命にあることだ。
空は既に明るく、ホームは多くの到着。発車の列車達で混み合っていて、辺りには街からの喧騒が戻り始めていた。ここでクルンテープ駅の朝が一つ終わった。しかし、クルンテープ駅での毎朝行われる『到着の儀式』はタイ国に於けるバンコク—点集中という発展のスタイルが終わる日まで決して途切れる事はない。何故なら明日の朝にはまた新たな若者達が『出稼ぎ列車』の乗客としてバンコクに到着するからだ。小雨まじりの街の中へ消えて行った若者達に幸あらんことを・・・。 |
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