1997年の3月のタイの乾期の終わりに、突然に私のアパートへ1通の絵葉書がまいこんできた。その手紙のよれば、マレーシア経由で友人が訪ねて来るのとのことだ。彼には以前、バンコクで大変世話になった記憶がある。また、私は彼と早く美味なシンハー・ビールを飲み交わしくなった。それで、翌日に投函した返事の葉書のP.S.の欄には、ハジャイまで出迎えると書き込んだ。投函した後になってから気づいたのだが、私にとってもハジャイは少し懐かしい街だ。2年前にマレーシアから初めて陸路でタイへ入国した際に2日ほど滞在して以来、あの中国人が多いと記憶する街を訪れる機会がなかったからだ。 バンコクを出発する日、私は寝坊をした。前日に徹夜をしたので、ちょっと仮眠をと思ったのがまずかった。私は本当は1:30PMに列車番号45(クルンテープ駅発スンガイ・コーロック行)の快速電車でハジャイまでの旅に出る予定だったのだ。間に合う筈はないのだが、急いで荷物をまとめてフアラムポーンへと向かった。
▲ハッヂャイ分岐点構内
私は局1時間後に発車する列車番号19の急行へ乗ることになった。これもまた列車番号45と同じくタイとマレーシアとの国境のスンガイ・コーロックまで走る長距離列車だ。しかし2等寝台がいっぱいだっために、座席は3等車になってしまった。予定ではハジャイまで約16時間なのだが、乗る前からお尻が痛くならないかと心配だ。 クルンテープ駅ではまだ3等車両の席は空いていたが、これで安心してはいけない。3等車両の真実の姿はナコン・パトムのチェディーが姿を隠した後から少しづつ見えてくる。まず、ナコン・パトムを通過した頃に車内が満席になる。通過する各駅から少しづつ客が乗り込んで来るからだ。そして王室専用ホームがあるフワヒンを過ぎると、便所の前や客車間の通路までに座り込む程にたくさんの乗客が乗り込む。そんな光景を見ると『ああ、始発駅から乗って良かった!』と心から思ってしまう。 フワヒンの辺りで車内販売の弁当と水をタイ国鉄(ロー・フォー・トー=R.S.R)の売り子さんから買った。弁当は20バーツで水は10バーツだ。 客車の外も暗くなったが、10時間以上も固い座席に座っていたのでお尻が痛い。眠れない私は床に座る乗客を避けて、客車間の喫煙スペースまで移動した。そこでライターを襲う風と戦いながら煙草に火をつける。1分もしない内にタイ人のおじさんが『煙草を1本もらえないだろうか・・・』と近寄ってきた。笑顔で煙草を差し出す。 「おじさん、どこの出身ですか?」
『スンガイです。久しぶりに家へ帰るのです。』
「奥さんはいますか?」
『妻と子供が2人です。子供が恋しいです。』 眠れない鉄道の夜はこんな風に、知らない誰かと出会って会話を楽しむのがいい。私は予め買っておいたサンティップ(ウイスキー)をミキサーなしでおじさんとシェアした。おじさんはどうやら、スンガイへ一度帰った後はチェンマイへ出稼ぎに行くらしい。ソンクラーンを家族と一緒に過ごせないのは確実だそうだ。おじさんはサンティップを飲み干して、勝手に独りで眠ってしまった。後に残された私はもう一度煙草に火をつけた。あたりは少し明るくなってきている。朝靄が見える。日の出はもうすぐだ。 6:00AM、列車はやっとスラート・ターニー駅へ到着した。ここまでで3時間の遅れが出ている。時刻表通りならあと2時間でハジャイへ着く筈なのだが・・・それはムリな話だ。日本のJR(旧国鉄)でも同様だが、長距離列車というものは終着駅への到着は遅れるものだのだ。だいたい、線路上には急行列車以外にも近郊列車にさらに融通のきかない貨物列車などが走っているのだからダイヤが乱れるのは当然のことだ。 列車がハジャイ分岐点に到着したのは10:00AMだった。クルンテープ駅から945KM(東京-青森間よりも遠いのだから)を約18時間かけて走破したのだ。ハジャイ分岐点から先は完全な単線ではあるが、終着駅のスンガイ・コーロック駅までは路線も空いているので、ある程度なら時刻表の遅れを取り戻せる。 ほとんどの乗客がハジャイで下りてしまった。3等客車に残る疲れた顔をした人達は、やっと広くなった客席に横になったりして、身体の疲れを癒していた。私だって約18時間の列車の旅は疲れた。本当にそう思う。 列車番号19のスンガイ・コーロック駅行きの急行列車は約20分の停車中に何両かの客車を引き離して、ハジャイ駅を去った。私もハジャイ分岐点を後にして以前に宿泊したことのあるホテルへと向かった。誰にも邪魔されることなく、とにかく1人で眠りたかったからだ。
▲ハッヂャイ分岐点に展示されているRSR32番
翌朝、私は友人を迎える為に旅社を後にして、ハジャイ分岐点へ向かった。ハジャイ分岐点の今朝のアナウンスも先日と同じ女性の澄んだ声だ。『プロー・サープ・プゥー・ドイサン・ワー・・・・(乗客の皆様にお知らせします)』この後はたいてい、列車の到着するプラットフォームの情報か、列車の遅延の知らせだ。そのアナウンスによれば、マレーシア・クアラルンプール発ハジャイ着の特急が予定通り8時18分に終着駅のハジャイへ到着するとのことだった。 日本の日立製のロット・ディーセル・ラーン(DEL)に引かれて、目的の列車がハジャイ分岐点に到着した。床に下ろしていた腰を引き上げて、通用門の前まで行く。やがて帽子とレイバンのサングラスをかけた見慣れた顔が現れた。友人のS氏だ。彼にとっても約半年振りのタイになる筈だ。S氏はやがて私の前で足を止めた。懐かしい顔同士で握手を交わし、彼はクロンティップ(タイ製の煙草)に火をつけた。そして二人はまずは駅前のロビンソンの地下にあるTOPSへと消えて行った。午前8時の朝っぱらからやっている飲み屋などないので、デパートの食料品売場へシンハー・ビールを買い求めに行っただけのことなのだが。 あれからもう何年経ったことだろう。私もとうとう日本へ帰国し、日銭をかせぐためにヒーヒー言っている。あの懐かしき日々が再び戻ることを心から願いつつも、タイへのういういしさがなくなっているので無理かとも思う。溜息。
▲ハッヂャイ工場
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