会津の街道
ー Day after day , I wander ・・ ー |
文献
この頁は下記の文献等を参考にしました。筆者の方に御礼申し上げます。
1.「会津の街道」、酒井 淳 著、歴史春秋社、1993.06.10発行
2.「会津諸街道と奥州道中」、安在邦夫・田崎公司 編、吉川弘文館、2002.6.20
3.「城下町の誕生」、松本良子ら 編、会津若松市、1999.12.10発行
4.「こんな話知ってる」、歴史春秋社 編、歴史春秋社、1998.03.25発行
5.「芦名四代」、林 哲 著、歴史春秋社、1982.09.10初版、2002.06.11・第四刷
6.「日本奥地紀行」、イザベラ・バード著、高梨健吉訳、平凡社、2002.5.31・第四刷
7.「町名歴史散歩 会津若松・町名の由来」、小島一男 著、歴史春秋社、1998.12.31発行
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会津の街道・・・
室町時代、葦名盛氏は、会津一円を支配し、新潟県東部〜福島県中通りを、
その影響下に治め、 奥州では、伊達氏と並ぶ、大 戦国大名になりました。
蒲生氏郷は、ほぼその領域を受け継ぎ(新潟東部、会津、福島中通りの大半、
+山形県・宮城県の南部)92万石、徳川家康、毛利輝元に次ぎ、全国第三位
の大名でした。
上杉景勝の時代には、山形県庄内三郡や佐渡三郡も追加され、120万石に
に上りました。保科正之 以後の松平・会津藩は、会津と新潟県東部の40万石
になりましたが、それでも、尚、東北では、伊達藩と並ぶ雄藩でした。
なので、街道も発達し、今尚、残っています。
1649年、幕府の街道調査の命により、会津藩が、「本道五筋」と報告した
会津五街道は、
1.白河街道、2.南山通り、3.越後街道、4.二本松街道、5.米沢街道 です。
また、本道五筋に準ずる街道として、「小道二十五筋」として
福島街道、沼田街道 等が、挙げられています。
これらの街道は、現在も幹線であったり、裏道や地元の生活道路だったり、
廃道だったりです。 ・・・廃道寸前の道なんか・・・・・・
まるで、その時代にタイム・スリップしたようで・・・ 行ってみた〜い!
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街道筋!現在のメイン・ルートと違う所も多く、結構複雑です。
昭文社等の会津若松市街地図や、会津地方の載ってる道路地図等を傍らに
置いて、御覧下さい。
尚、(文献を参照し私が作図した)江戸時代(初期?)の市街地図、会津圏の道路地図を
下記に示し(リンク)ました。新しいウィンドウに表示します。画面の隅等に置くか、
プリントするかして、必要な時、御覧下さい。
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江戸時代(初期?)の市街地図
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会津圏の街道地図
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