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東京圏鉄道発達図

1885年12月31日現在

1880年までは、西南戦争や秩父事件などが連続して発生して明治政府がまだ安定していなかったため、鉄道延長までに手が回らなかったのではないだろうか。
強国ロシアに対する北の守りのためにも北に向かう鉄道が敷設され強化されたようだ。
東北方面からの旅客は上野駅で下車して東京駅までは鉄道馬車などで移動したようです。この当時は万世橋の付近がもっともにぎやかな街でした。一方貨物列車は赤羽で東北本線から分岐し山手線を抜けて横浜方面に行っていました。


完成年路線名完成区間摘要
1883高崎線上野熊谷
1885東北本線大宮栗橋
1885東北本線中田(仮)宇都宮
1885山手線赤羽品川


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2010-06-14 作成

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