このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
1885年12月31日現在
1880年までは、西南戦争や秩父事件などが連続して発生して明治政府がまだ安定していなかったため、鉄道延長までに手が回らなかったのではないだろうか。
強国ロシアに対する北の守りのためにも北に向かう鉄道が敷設され強化されたようだ。
東北方面からの旅客は上野駅で下車して東京駅までは鉄道馬車などで移動したようです。この当時は万世橋の付近がもっともにぎやかな街でした。一方貨物列車は赤羽で東北本線から分岐し山手線を抜けて横浜方面に行っていました。
完成年 | 路線名 | 完成区間 | 摘要 | |
1883 | 高崎線 | 上野 | 熊谷 | |
1885 | 東北本線 | 大宮 | 栗橋 | |
1885 | 東北本線 | 中田(仮) | 宇都宮 | |
1885 | 山手線 | 赤羽 | 品川 |
1875年← | 目次へ | →1890年 |
1875 | 1885 | 1890 | 1895 | 1900 | 1905 | 1910 | 1915 | 1920 | 1925 | 1930 | 1935 | |
1940 | 1945 | 1950 | 1955 | 1965 | 1970 | 1975 | 1980 | 1985 | 1990 | 1995 | 2000 | 2005 |
2010-06-14 作成
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |