このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
俳 人
坂本朱拙
豊後日田の人。医師。初号は守節。別号守拙・四方郎・四野人。
明暦2年(1656年)、日田城内村(現城町)に生まれる。
元禄8年(1695年)、江戸に出て
其角
を訪ねる。
元禄8年(1695年)12月、
広瀬惟然
は日田を訪れて朱拙の許に立ち寄っている。
元禄10年(1697年)冬、黒崎の
沙明
を訪れる。
元禄11年(1698年)、大橋に
支考
を訪ねる。豊後玖珠まで支考に随行。
朱拙曰、このあたり人里ありとはかねてしれるたに今宵はおほろけにたつきなきこゝろもせられて藪村の鷄の聲も人をおとろかすはかりにそありける
白雲の下に家あり夏の月
朱拙
『梟日記』
元禄12年(1699年)1月、
『けふの昔』
(朱拙編)四方郎朱拙序。
元禄12年(1699年)、
『初便』
序。著者不詳。四野人朱拙ともいう。
元禄15年(1702年)1月、
『初便』
(知方編)朱拙序。惟然跋。
宝永元年(1704年)9月10日、
去来
没。
悼去来
眼を明て思案も出来す菊の宿
『漆川集』
宝永3年(1706年)、
『漆川集』
刊。(土明撰)朱拙序。土明跋。
宝永4年(1707年)10月、大垣の
木因
を訪ねる。
享保元年(1716年)、
沢露川
は門人燕説を伴って西国を行脚。朱拙の許に立ち寄っている。
十年不遇の思ひを述て、廿日ばかり席
をしりぞがずして語ると云詞書、長篇
略
レ
爰。
此わかれ腸をたつ瓠かな
朱拙
『西國曲』
享保3年(1718年)1月、『初便』樗野坡跋。
享保8年(1723年)、
『芭蕉盥』
(朱拙・有隣編)序。
享保9年(1724年)4月、『芭蕉盥』(朱拙・有隣編)刊。
享保18年(1733年)6月4日、78歳で没。
朱拙の句
山の井や猿もあぐらを星むかえ
(へ)
豊前中津医師玄貞の亭にて
百草や払はぬまどのうらゝかさ>
『菊の香』
頤て本をあけたるこたつ哉
『喪の名残』
鶯のたゝくさになる柳かな
月花の坐頭にたつわかな哉
『鳥のみち』
頤て本
ン
を明たる火燵かな
『染川集』
鶯に目白はすうといふ
(う)
てのく
『泊船集』
鴬や籠からまぼる外のあめ
黒崎にて人々に留別
此寒き背中を見せて別れ哉
筑前の国
苅萱の関
にて木の丸殿の旧跡を感ず
歌舞の地や枯野のうへをふくあらし
『続有磯海』
若なつみ庖丁ならは牛のふん
『けふの昔』
海山の達者や雛の餅と酒
『西華集』
行千鳥うさんかるやら海坊主
『
俳諧
草庵集』
花ならぬ落葉に何をなめくしり
『金毘羅會』
饂飩打家や師走の梅の花
『射水川』
みそさゞいみそさゞいとて渡りがち
『花の雲』
黄鳥や岩のとかりは冬のまゝ
『小柑子』
あら麦や肥そろハねと鳴鶉
『藁人形』
あら塚もかたまれ袖の時雨先
『枯野塚集』
行秋や壁に打むく一羽どり
『渡鳥集』
梅の花折角出ても花の時
『すき丸太』
きろきろと烏見て居てかへる雁
『与州播州雑詠』
俳 人
に戻る
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください